「咲さん」と「蝶々さん」
(前作)の第一話です。江戸を見渡せる崖の上で、天を仰いで神に、「もうわかったから、帰してはくれないだろうか・・・」と泣きじゃくる、迷子の仁先生。心配して探しに来た咲さんは、先生の表情から彼の置かれている状況を悟り、「帰りましょう」と諭すように、ゆっくりと右手の人差し指で、橘家の方角を差しました。その右腕は、肘と手首をやさしく屈曲させて、白くしなやかな、天使の指に見えました。江戸の夕陽を背景に、赤蜻蛉も加わり、咲さんの、この美しいポーズを、目の当たりにした私は、全身に電気が走りました。「ドラマJIN-仁-」の中でも、(前作)と(完結編)を通じて、一番好きな名場面です。
(完結編)の第六話の舞台になった、長崎グラバー邸の園内には、オペラ「蝶々夫人」の像があります。蝶々さんも咲さんと同様、幕末に没落していく武家の娘です。咲さんは、現代から時空を超えて来た、脳外科医南方仁先生とめぐり合い、蝶々さんは、アメリカから太平洋を越えて来た、海軍士官ピンカートンとめぐり合い、それぞれ愛が芽生えました。蝶々さんの像のポーズも、右手で、やさしく我が子の肩を抱き、左手で、この子の父親であるピンカートンがいるアメリカを指差しています。しかし彼は帰国後、アメリカ人女性と結婚。我が子も、ピンカートン夫妻に引き取られて、蝶々さんは、刀を喉に突き立て自害してしまうという、アメリカ人作家が創作した、悲恋のお話です。
森下佳子先生脚本の、ドラマ「JIN-仁-」でも、幕末で咲さんが真剣に慕う仁先生と、現代で友永未来さんから生まれ変わるであろう橘未来さん(野風さんの娘で、咲さんの養女でもある、安寿ちゃんの子孫)との関係が、恋愛を含むこのドラマの大きな要素ですね。でも、先ほどの、咲さんが仁先生に、右手で、橘家の方角を指差した場面から、幕末における仁先生の、医者としての使命と、神との対話が始まりました。そして私には、その指差した、更なる先には、自害などの悲劇ではなく、咲さんと仁先生が、仲間と共に育んだ仁友堂の、明治時代で担う役割と、医師として人間として成長された仁先生の、未来(現代社会)で担う役割が、待っているように思われるのです。
森下佳子先生。ドラマ「JIN-仁-」の感動的な完結を、ありがとうございました。
ケアマネおじさん/男性 (57) 2011.6.27 (Mon) 00:00