TBS SPORTS 陸上

寺田的コラム

【クイーンズ駅伝2020展望コラム3回目 女子マラソン代表3人<前編>】

2020.11.19 / TEXT by 寺田辰朗

前田穂南、鈴木亜由子、一山麻緒……
史上初めて翌年の五輪マラソン代表3人が集結するクイーンズ駅伝<前編>

 コロナ禍によりスポーツ界には沈滞ムードも漂うが、実業団駅伝は関係者や地元の方たちの尽力により全国大会が開催される。ファンにとってさらにうれしいのは、前田穂南(24・天満屋)、鈴木亜由子(29・JP日本郵政グループ)、一山麻緒(23・ワコール)のマラソン東京五輪代表3人を同時に見られる大会になったことだ。通常はクイーンズ駅伝後にも五輪代表選考レースが行われるため、クイーンズ駅伝に翌年の五輪代表が勢揃いすることはない。東京五輪が1年延期になったため、今回はそれが実現した。
 これまでの駅伝とマラソンの戦績から、3選手の成長プロセス(=特徴)の違いが把握できる。

<前編>ではMGC1、2位の前田と鈴木、対照的な成長過程の2人のここまでを紹介する。

MGC優勝の前田穂南(天満屋)
高卒入社2年目に初マラソンに踏み切った理由は

写真

写真提供:フォート・キシモト

 前田は天満屋に入社当初は完全なスタミナ型選手だったが、マラソンを早くに始め、マラソンの成長とともに駅伝でスピードを発揮できるようになった。
 前田のクイーンズ駅伝とマラソン全成績は以下の通りである。
---------------------------------------------------------
15年:6区区間7位(チーム8位)
16年:5区区間11位(チーム6位)
▼マラソン▼17年1月:大阪国際女子12位・2時間32分19秒
▼マラソン▼17年8月:北海道優勝・2時間28分48秒
17年:5区区間6位(チーム5位)
▼マラソン▼18年1月:大阪国際女子2位・2時間23分48秒
▼マラソン▼18年9月:ベルリン7位・2時間25分23秒
18年:3区区間5位(チーム2位)
▼マラソン▼19年3月:東京12位・2時間31分42秒
▼マラソン▼19年9月:MGC優勝・2時間25分15秒
19年:3区区間3位(チーム4位)
---------------------------------------------------------
 前田は全国高校駅伝優勝の大阪薫英女学院高出身だが、高校時代は全国大会を走ることができなかった。同高の安田功監督は練習時間や量を制限し、卒業後のノビシロを持たせて実業団や大学に選手を送り出す。だが、当時から走ることが好きだった前田は自主的に距離を踏み、スタミナ面がかなりしっかりしていた。
 2年目のクイーンズ駅伝で後半の長距離区間である5区(10.0km)に抜擢された。過去に4人のマラソン五輪代表を輩出してきた天満屋で、将来の代表候補を若い段階で5区に抜擢する。そのコースに前田も乗った。
 だが天満屋の武冨豊監督は、2年目の初マラソン前に「まだ早いかな」と感じていたことを明かしている。2年目の5区も区間11位と、とり立てて良かったわけではない。
「入社したときから前田自身が、東京五輪のマラソンに出たいと言っていました。すぐにマラソンを意識した練習も始めましたが、天満屋では高卒2年目にマラソンを走ることはありません。しかし東京五輪から逆算すると、経験しておいた方がいいと判断しました。40km走も入社1年目から始めました。あんな細い体ですけど、練習で壊れない強さがあります」
 3年目の夏の北海道マラソンに優勝し、19年夏のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。五輪代表2人が決定する)の参加資格を得た。そして同年のクイーンズ駅伝5区で区間6位。特別に良かったわけではないが、2カ月後の大阪国際女子マラソンは2時間23分台で走ってみせた。歴代順位では20位にも入っていないが、前田のトラックや駅伝のスピードを考えると、予想以上のマラソンのタイムだった。

4年目のクイーンズ駅伝3区起用から5年目のMGC優勝へ

すると翌18年、入社4年目のクイーンズ駅伝は3区に起用された。最長区間であり、レースの流れを大きく左右する。日本のトップランナーたちがスピードを競う区間だ。そこで前田が通用するのか長距離関係者は疑問も呈していたが、前田は区間5位でチームを4位から2位に引き上げた。日本選手権10000mで優勝経験を持つ松田瑞生(25・ダイハツ)や福士加代子(38・ワコール)に競り勝ったのだ。
「2人のことはあまり意識せず、自分の走りに集中しました。去年は5区であまり走れなかったですけど、今日は良い感じで走れてよかったです。リラックスして楽しんで走ることができました」

 この走りで前田は、マラソンのさらなる飛躍が予想されるようになった。
 その予想は翌19年のMGCで現実になった。一山麻緒の速い入りを利用し、暑さを考えればハイペースと言えるスピードで前半から押し切った。鈴木亜由子を20kmで振り切ると、以後を独走。2位の鈴木に3分47秒もの差をつけて圧勝した。

 20kmで鈴木を引き離したシーンを「いつの間にか後ろの選手がいなくなっていました」と振り返った前田。レース中は「リラックス、リラックスと思って走っていました」と、クイーンズ駅伝と同じことを心がけていた。

 MGCの2カ月後、昨年のクイーンズ駅伝も3区で区間3位。前田のスピードは、マラソンと駅伝を並行して行うことで研かれてきた。

鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)
故障と戦いながらトラック、駅伝で結果を残してきた選手

写真

写真提供:フォート・キシモト

 鈴木は前田の反対で、大卒入社で当時からトラックのスピードが高かった。トラックと駅伝でスピードを発揮しながらマラソンへの適性を見極め、入社5年目の18年にマラソンに転向した。
 鈴木のクイーンズ駅伝とマラソン全成績は以下の通り。
---------------------------------------------------------
15年:3区区間5位(チーム12位)
16年:2区区間5位(チーム優勝)
17年:1区区間3位(チーム3位)
▼マラソン▼18年8月:北海道優勝・2時間28分32秒
18年:3区区間2位(チーム7位)
▼マラソン▼19年9月:MGC2位・2時間29分02秒
19年:3区区間2位(チーム優勝)
---------------------------------------------------------
 展望コラム2本目(★リンク挿入)でも紹介したように、鈴木のクイーンズ駅伝はほとんど毎回、万全の練習ができなかった。それでも日本郵政が初出場した15年大会から、毎年欠かさず出場してきた。

 15年8月の世界陸上5000mで9位と入賞に迫り、その年のプリンセス駅伝では3区区間賞と快走したが、クイーンズ駅伝前には故障があって思いきり走れなかった。
 16年はリオ五輪、17年は世界陸上に出場したが、クイーンズ駅伝は故障明けのためエース区間を走れなかった。
 鈴木は前田のように、入社当初からマラソンを目指していたわけではない。それは「自分なんかが簡単にできるものではない」という気持ちが強かったからだ。高校時代に右足の甲を2度手術してから、ハードな練習はできないと決めつけていた。

 だが「視界の片隅」(鈴木)には、マラソンの4文字があったのも事実だ。リオ五輪が終わり、東京五輪をどうするかを考えたとき、マラソンが現実的な選択肢に入ってきた。

 トラックで代表を3年続け駅伝でも好成績を出した。次のステップとしてマラソンに挑んだ、と言っても間違いではないだろう。だが、中心にあるのは鈴木亜由子という長距離ランナーそのものだ。大きな目標を設定するよりも、その成長の過程で故障を避けながらトラックも、駅伝も、そしてマラソンも走って実績を残してきた。

東京五輪の1年延期が鈴木に与えたメダルのチャンス

 鈴木が初マラソン出場を決意したのは18年の4月。決断の理由に鈴木の特徴が現れていた。
「痛みが出てマラソン練習ができるか不安で、覚悟を決められませんでした。しかし4月に何カ所か痛みが出て帰国した時に、トラックシーズンに向けて無理をしてマラソンを走れなくなったら嫌だな、という気持ちになったんです。今年まず1本マラソンをしっかり走って、今後のことを決めよう、と」
 鈴木の成長はケガなくレースに出ること、と言い換えられる。それができれば結果もついてくる。15〜17年までトラックの日本代表を続け、クイーンズ駅伝も15〜20年まですべて走ってきた。ケガは多くとも結果を残してきた選手なのだ。

 マラソンはまだ2本しか走っていないが、初マラソンと五輪選考会とも目的は達成した。「経験が少ないのは弱点でもあると思いますが、自分が一番ノビシロがある」

 今年1月から故障が続いて、継続した練習が再開できたのは7月。「今年、東京五輪が行われていたらベストな状態で走れたかわからない」と話したが、故障と戦い続けて結果を出してきた鈴木に、神様がチャンスを与えたのだろう。
「オリンピックの目標はメダルです」
 故障を避けながらトラック、駅伝、マラソンと出場してきた鈴木が、初めて大きな目標を設定した。

おすすめ記事

ジャンル別ポータルサイト

このページのトップへ