寺田的コラム
ゴールデングランプリ陸上&新国立競技場の主役たち⑨寺田明日香
2020.08.20 / TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト
第1回大会以来9年ぶりのGGPとなる寺田
新テクニックで自身2度目の12秒台&日本新を
女子100mハードル日本記録保持者の寺田明日香(パソナグループ)が、8月23日に新国立競技場で開催されるセイコーゴールデングランプリ陸上2020東京(GGP)に、第1回大会以来9年ぶりに出場する。13年に一度引退し、結婚・大学進学・出産、七人制ラグビーへの挑戦を経て、昨年陸上競技に復帰。9月には日本人初の12秒台となる12秒97の日本新をマークして世間を驚かせた。「GGPでは12秒97以上では走りたいですね」と自身2度目の12秒台と日本記録更新に意欲を見せている。復帰後は貪欲に新しい技術やトレーニングに取り組んできたが、1月に30歳になり迎える今季、さらに進化したママさんハードラーになる。
●GGP第1回大会→引退→出産→ラグビー→陸上復帰
2011年のGGP第1回大会に出場した寺田は、13秒52(-0.3)で7位だった。当時の自己記録は09年に2回マークした13秒05。優勝したのは12秒92のL・ジョーンズ(米国)。寺田は日本人でも2位で、09年世界陸上代表経験者としては低調な成績だった。
「(第1回)GGPは5月上旬でしたが、4月に剥離骨折をしてしまったんです。そのときは捻挫だと思っていたのですが、まったくダメでした。今回は間違いなく13秒52より速く走れます」と、寺田は笑いながら当時を振り返る。
自己新翌年の2010年も13秒10とトップレベルは維持していたが、11年はGGPの13秒52がシーズンベストに終わった。12年は13秒57、13年13秒81と記録が下降し、13年シーズン途中に引退した。
「(前身大会のスーパー陸上を含め)10代で出ていた07〜09年はルーキーとしてすごく期待されていて、結果も出ていた頃です。しかし11年はケガが続いて、記録も大きく下がり始めていました。その年の世界陸上は絶望的で、オリンピックも翌年に迫っている。内心“ヤバイ”と焦っていました。実際2年後には引退してしまうのですが、第1回大会に出た私は、まさか自分が30歳になってまた同じ大会で走るとは、少しも思っていなかったですね」
13年に引退した寺田はその年に、高校まで陸上競技経験がある佐藤峻一さんと結婚し、夫が住む東京に転居した。東京五輪開催が決まったのはその年の9月だったが、「私は選手じゃないから目指せないし、と少し斜に構えていました」と当時を振り返る。若くして競技をあきらめた自身へのいら立ちも、心のどこかに残っていたのだろう。
それでも「20年までには家族も増えて、子どもの記憶が残る年齢になるだろうから、東京オリンピックは家族で生観戦したいな。スポーツ関連の仕事をして、何らかの形でオリンピックにも関われたら」と、地元五輪を外から見たり関わったりすることを楽しみにしていた。
だが、人生はどう変わって行くかわからない。長女の果緒ちゃんを出産(14年8月)後、16年から18年まで2シーズン、7人制ラグビーに挑戦した。日本代表練習生にも招集されたが、右足首を手術するケガで半年ほどブランクが生じ、メンバーやプレイスタイルの構想が固まっている日本代表チームに復帰するのは難しいと判断。18年末には19年シーズンからの陸上競技復帰を決め、そのための冬期練習も積んだ。
そして19年4月にレースに出場し始めると、6月の日本選手権で3位となり、7月の南部記念100mでは11秒63と12年ぶりの自己新をマーク。8月のAthlete Night Games in FUKUIで13秒00の日本タイ、9月の富士北麓ワールドトライアルで12秒97の日本新と、復帰半年で日本選手未踏の領域に足を踏み入れた。
そして標準記録の12秒98を唯一人突破していたため、10月には世界陸上にも10年ぶりに出場。外から見るものと思っていた東京五輪が、「世界と戦うために絶対に出場したい。第1期は行かなきゃ、という気持ちでしたが、今は私に関わってくれる人たちみんなで行きたい」と、熱い思いを抱く対象になっていた。
●新しいテクニックはヒザの角度にも注目
復帰した後は高野大樹コーチとともに、寺田が「第1期」という13年までとは違ったアプローチをしている。第1期は踏み切り位置や空中姿勢など自身の感覚に任せていた。それで13秒05の日本歴代3位(当時)まで記録を出せた。寺田の感覚は間違いなく日本トップレベルで、100mもインターハイで優勝するスピードがあった。
しかし「第2期」では高野コーチのアドバイスで、ハードリングをさらに細かく分析し始めた。と同時に世界のトップハードラーの100mなどのタイムを見て、スプリントの再強化も重要課題とした。
2人は着地したときに重心ができるだけ前にある姿勢をとること、そのために踏み切り位置を遠くすることなどに取り組んだ。踏み切り位置はAthlete Night Games in FUKUIでは3台目以降を、富士北麓では1台目から、遠くすることに成功していた。
昨シーズン後はその精度を、さらに増すためのトレーニングに取り組んだ。その結果、現時点の技術は次のようになっている。
まずは「スプリントを変えないとハードルは変わらない」と、短距離を速く走るための動きだが、「蹴りすぎると脚が前に出るのが後れるので、接地のところのタッチを素早く、着いたらすぐに離す意識でやっています。1年前より前での回転になっています」
跳躍系の種目が強いことは第1期からの寺田の特徴だが、そこを強調しすぎるとストライドが大きくなってハードルへの踏み切り位置が近くなってしまう。接地を速くする意識を持つことで、ストライドよりも回転(ピッチ)の速さにつなげようとしている。
ハードリングでは遠い位置からの踏み切りを、定着させつつある。
「ジャンプの頂点をハードルの真上ではなく、手前にもって来ています。ハードルの真上を通過するときはもう、下降局面に入っていることが接地時の姿勢につながります」
そのためにリード脚のヒザが曲がった状態で、ハードリングをするようになった。
「復帰した頃はヒザが伸びて、そのまま降ろしていました。海外のトップ選手の多くはひざが曲がっているんです。ヒザが伸びている動きは、ピヨーンと前に振り出しているところで一度、自分の感覚が切れてしまう。勢いでその動作になっているのであって、自分がコントロールしきれていない。それがロスにつながっています」
テレビ画面では脚を回転させるポジションや踏み切り位置の違いまではわからないが、ヒザの角度は横からの映像がスロー再生されれば確認できるかもしれない。
「理想はハードルを跳ぶのでなく、走っている途中で跨いでいくような走りをすることです」
ハードルへ向かってジャンプをするというより、跨いで進んで行く。ハードルを越えたと思ったらすぐに走り始めている。そんなイメージをテレビ視聴者が持てたら、日本新が誕生しているかもしれない。
●テレビカメラ越しの応援を力に
今年のGGPはコロナ禍の影響で、残念ながら無観客で実施される。夫の峻一さんと愛娘の果緒ちゃんも、復帰後のレースのほとんどをスタンドから見守ってきたが、今回はリモート応援になる。寺田は家族の応援だけでなく、観客の声援などスタジアムの雰囲気にノって力を出してきた選手だ。
「無観客だから気持ちを高められないとか、モチベーションが下がってしまうとか、そういうのは違うと思います。どんな環境でもよりよいパフォーマンスをするのがプロ。テレビやネット中継もあるのですから、カメラの向こうに見てくださっている皆さんの熱気を感じて走ります」
寺田がカメラに向かって視線を送っていたら、視聴者の気を感じていると思っていいだろう。
新国立競技場はすべての選手が初めて走ることになるが、寺田は「ウォーミングアップエリアからの動線や、召集所の位置などを確認したい」と言う。全天候舗装の硬さも選手にとっては気になる部分で、地面からの微妙な反発の違いをチェックする。
「イタリアのモンド社製の全天候舗装で表面は軟らかめですが、表面の下には硬さがあります。力をしっかり加えないと反発をもらえないと思うので、その感覚を覚えたいですね」
実は寺田が国立競技場を走るのは、19年ぶりだという。小学校6年時(2001年)の全国小学生大会100mで2位になって以来のこと。その大会では表彰プレゼンターの1人が池田久美子さんだった。その年の世界陸上エドモントン大会走幅跳で決勝に進出した選手で、その後06年には走幅跳の日本記録(6m86)を、07年には100mハードルでも13秒02の日本歴代2位(当時)を出した。
小学生にとってはスーパーヒロインだったが、寺田は「第1期」時代に何度か対戦している。09年には池田のタイムに0.03秒差まで迫ったが、追いつくことができずに引退した。しかし近いようで遠かった池田の記録を、復帰してわずか半年後には上回っていた。
自身の人生を夢中で走った結果、気づいたらいくつものことを達成している。それが寺田という選手の人生だ。
新国立競技場に立った寺田は、どんな感慨を抱くのだろうか。家族や、高野コーチをはじめとする「チームあすか」のサポートスタッフの顔を思い浮かべるのは言うまでもない。19年前の記憶がよみがえるのか、来年の東京五輪に出場している自分をイメージするのか。
8月23日、新国立競技場には寺田明日香の現在、過去、未来が凝縮して現れる。
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