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寺田的コラム

トラック&フィールドも開幕! 東京選手権①

2020.07.31 / TEXT by 寺田辰朗

ケンブリッジが本格復調。代表争いに名乗り
日本選手権を制した4年前との違いとは?

 長距離種目のホクレンDistance Challengeに続き、トラック&フィールド種目でも陸上競技シーズンが始まった。

7月に入って全国各地で県選手権などが行われている。そのうちの1つの東京選手権(7月23〜26日@駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場)は、東京以外の選手も参加することができ、代表経験選手や全国トップクラスの選手が何人か出場した。

なかでも男子100 mのケンブリッジ飛鳥(Nike)は、予選、準決勝、決勝と大会新を3連発してみせた。16年リオ五輪、17年世界陸上ロンドン、18年ジャカルタ・アジア大会と連続出場した代表常連選手。昨年の世界陸上ドーハは代表から外れてしまったが、復調への階段を順調に上がっている。

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写真提供:フォート・キシモト

●課題クリアに手応え十分のケンブリッジ

 ケンブリッジが強さをアピールした。
 大会初日の予選は雨の中で行われたが10秒29(+0.3)で、その組の2位を0.47秒、距離にすると5m以上も引き離した。青戸慎司(100 m元日本記録保持者)が1992年に出した10秒31の大会記録を更新した。

 2日目の準決勝は10秒26(-0.3)で組2着の選手に0.31秒差、同じ日の決勝は10秒22(-0.8)で2位に0.25秒差。ケンブリッジの目標は「10秒15あたり」だったが、無風なら、10秒1台前半のタイムが出ていただろう。

「3本通してある程度、イメージ通りの走りができていましたし、もう少し行けそうな感触もあります。決勝は最後の30mの(接地後の重心への)乗り込みが少し甘かったんです」

 ケンブリッジはすっきりした表情でレースを振り返った。

 16年の日本選手権はダークホース的なポジションだったが、山縣亮太(セイコー)、桐生祥秀(日本生命。当時東洋大3年)ら、実績で勝る選手を破って優勝した。リオ五輪では準決勝に進出し、4走を任された4×100 mRはウサイン・ボルト(ジャマイカ)とバトンが接触する接戦を展開。日本の銀メダル獲得に貢献した。

 翌17年の日本選手権予選では10秒08(-0.9)の自己ベストで走った。向かい風0.8mだったことから、9秒台一番乗り候補の1人と期待された。

 だが、その日本選手権の決勝(3位)がそうだったように、大腿が痙攣するなど100%の走りができないことが多くなった。同年の世界陸上ロンドンでも準決勝に進出したが、9秒台はその年9月に9秒98を出した桐生に先を越されてしまった。昨年はサニブラウン・アブデル・ハキーム(フロリダ大=当時)が9秒97、小池祐貴(住友電工)も9秒98と続いている。それに対しケンブリッジは18年アジア大会は準決勝落ち。19年は日本選手権8位で「久しぶりの一番後ろ。良くない部分がいっぱいあったし、すごく悔しいシーズンになった」と調子を落としていた。

 渕野辰雄コーチによると、上半身と脚の動きの連動が上手く行かなかったり、スタートで力を使いすぎていたりした。その課題が東京選手権ではクリアできていた。

「スタートが速くなったというより、最初を楽に入るので無駄な力を使わず100 mが流れている。走った後の筋肉の疲労感が違って張りも出ない。これから始まっていくところですが、その最初としては合格点かな」

 ここまで明確に自身の走りの手応えを語るケンブリッジは、本当に久しぶりだった。

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写真提供:フォート・キシモト

●「勝ちたい」から「負けたくない」に

 ケンブリッジはスタートでリードできるタイプではないが、競り合いでもリラックスした走りができるので後半が強い。大舞台でも力まないメンタル的な強さがケンブリッジの武器だった。それが18、19年と発揮されなかったことも、不振の一因だったと言われている。

 リオ五輪後の4年間でプロ選手になったことをはじめ、米国のチームで練習したり、スタートの改善を行ったりと、多くの取り組みをしてきた。それらが結果に結びつかず、気持ちのどこかに焦りもあったのかもしれない。

 状況が好転し始めたのは、日大時代から指導してきた渕野コーチのアドバイスに加え、昨年秋からは新しいトレーナー(渡部文緒氏)を付け、技術的な課題解決に力を入れてきたことも一因だった。

「片脚で体を支えたり、力を発揮したりするメニューを重点的にやって来ました。ウエイトトレーニングも、例えばスクワットなら重さを20kgくらい軽くして、筋力を増やすのではなく“使える筋力”を増やすイメージでやっています。今日の走りも正しく筋肉が使えて、全体的に安定感があった」

 技術的な手応えを得られたことで、表情や話しぶりにも落ち着きが出てきた。4年間の試行錯誤が無駄ではなかったと実感できているのだろう。

「4年前は上の人に勝ちたい気持ちが強かったけど、今は負けたくない気持ちが強い。16年の日本選手権前までは勝てなかったので、とにかく勝ちたいと思っていました。今は色々と経験してきた中で、負けたくない気持ちになってきています」

 ケンブリッジ自身は「単純に考え方の違い」と話したが、4年間の経験が言葉の背景にある。

 4年前は自分がやって来たことを考えるより、実績が上の選手たちにガムシャラに挑んだ。その後の4年間は結果が出ない時期も長かったが、考え抜いて競技に向き合ってきた。上だけを見て挑戦するのでなく、自分のやって来たことを見て強さの根拠にする段階に変わってきたのではないか。

 東京五輪に挑戦する気持ちは「(リオ五輪のときと)似ている」ところは当然あるが、4年前とは違ったケンブリッジの挑戦が始まっている。

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