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寺田的コラム

【日本選手権1日目②】

2020.10.02 / TEXT by 寺田辰朗

新井とディーンが5、6投目に逆転80mスローの応酬
噛み合い始めた同学年ファイナリスト対決

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写真提供:フォート・キシモト

 今年の陸上競技日本一を決める日本選手権が10月1日、新潟市のデンカビッグスワンスタジアムで開幕。初日はフィールド種目のみ7種目の決勝が行われた。女子やり投は昨年の世界陸上ドーハ代表同士の佐藤友佳(ニコニコのり)と北口榛花(JAL)が対決。最終6投目で59m32を投げた佐藤が、北口を2cm逆転して初優勝を果たした。男子やり投は新井涼平(スズキ)がやはり最終6回目に、81m57を投げてディーン元気(ミズノ)を逆転。14年大会からの連勝を「7」と伸ばした。

●初めての日本選手権でのワンツー

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写真提供:フォート・キシモト

 競技後に別々に行われたオンライン会見で、新井とディーンは同様のことを話した。

「正直、大会記録(84m54)を投げた100回大会(16年)のときの方がうれしさは大きかったですけど、今回、勝負がとても楽しかった」(新井)

「今日は良い勝負でした。楽しかった」(ディーン)

 今大会は2人とも、良い投げ始めではなかった。12番目の試技順のディーンの1投目は、68m56と70mに届かない失敗投てき。13番目の新井もつられるように、71m83と低調な記録でスタートした。3投目が終了してベストエイトが決まったとき、新井は76m70で2位に上がっていたが、ディーンは74m65で7位と浮上できないでいた。

 新井に関しては後述するが、5投目までは「横回転の要素が強く入った失敗投てき」だった。ディーンは「右腰が全然進んでいかなかった。全日本実業団陸上(優勝したが76m64)の悪い感覚を引きずっていた」という。

 しかし5回目に、試技順が先のディーンが80m07と、この日初めて80mラインを越えるアーチを架けた。触発された新井も77m41で2位に上がる。

 そして最終試技の6回目。8月のゴールデングランプリ(GGP)のディーンは84m05の世界レベルの記録を投げたが、今回は76m台と失敗投てきに終わった。それに対して新井の6投目は80mラインを明らかに越えていた。ディーンの5投目より距離が出ているのは間違いない。81m57の記録が表示されると、2人は歩み寄ってがっちり握手を交わした。

 ディーンはロンドン五輪(11位)を決めた12年大会の優勝者で、翌13年も2位に入ったが、14年以降の日本選手権では2位以内が一度もない。それに対して新井は12年大会が3位で13年大会は4位。そして代表に入り始めた14年以降は昨年まで6連勝している。

 つまり新井とディーンが日本選手権で1・2位を占めたのは、29歳になるシーズンの今回が初めてだった。

●新井復調のカギを握るタテ回転の投げ

 ディーンの低迷と復活の経緯は本Facebookの8月24日記事で詳しく書いたが、新井も16年のリオ五輪後は不調に陥った。

 14年にアジア大会代表になり、帰国後には86m83の日本歴代2位の大記録をマークした。15、16年もシーズンベストは84m台で、北京世界陸上、リオ五輪では決勝に進出。同学年の2人がともに五輪ファイナリストになった。日本の陸上史でも極めて珍しいケースだろう。

 ところが17年以降のシーズンベストは80〜82m台が続き、日本選手権の優勝記録も18、19年と70m台に落ちてしまっていた。

 もともと直線的な縦回転の動作が新井の特徴だったが、16年シーズン後に横回転の動きも取り入れ始めた。通常の動画ではわからないような違いだが、海外でも国内でも、その投げ方の選手は多く存在する。

 だが、その投げ方は新井には合っていなかった。首を痛めてしまい、腕にシビレも出始めた。18年からはもとの縦回転の動きに戻し、その精度を上げる方針に変更した。しかし記録は18年も19年も、83m以下だった。体は18年シーズンを通して異常はなくなったが、技術の微妙な狂いはなかなか修正できなかったのだ。

「縦回転に“戻そうとしていただけ”でしたね。今年のGGP直前でした。横回転が入っていたことに気づいて、そこから縦回転の投げをしっかり思い出せるようになりました。GGP前は練習でもよくて78mでしたが、GGP以後は毎回練習で80mを越えています。それが日本選手権では、練習投てきの2本は縦回転ができて80mくらいの距離が出たのですが、試合では1投目から空回りしてしまって、5投目まで全て失敗投てきでした。6投目はイメージし直して、縦回転の本来の投げをすることができました」

 自身の投げの微妙な狂いに気づいた新井がGGPの5投目で81m02を投げ、それに刺激を受けたディーンが6投目に8年ぶりの84m台(84m05)で復活を果たした。

 そして日本選手権ではディーンが5投目に80m07を投げ、「1投目に失敗し、7番目でベストエイトに入るなど悪い試合運びをしてしまいましたが、80mを投げられたのは最低限ですがよかった」と80m台はキープした。

 しかしそれに刺激された新井が、6投目に81m57で日本選手権7連勝を達成した。

「ディーンが84mを投げてくれたので、自分もやる気が大きくなりました。GGPのあとケガもあって日本選手権に間に合うか微妙になった時期もありましたが、しっかり投げないと彼に負けてしまう。できる限りのことをやってきました。81m台ですが。勝てて良かった」

 今季2人が直接対決した2試合では、新井が技術を改善したことが80mスローの応酬につながっていった。

●今年のワンツーは激戦の五輪イヤーへの布石

 2人とも競技後の会見では清々しい表情を見せ、初めての日本選手権ワンツーの勝負を楽しんだことを振り返った。しかし東京五輪が開催される来年は、「本当の勝負」(ディーン)になる。

 ディーンが優勝した12年の日本選手権は、09年世界陸上ベルリン銅メダリストである村上幸史の連勝を12で止めた大会だった。村上は当時スズキ浜松AC(現スズキ)所属で、新井にとってチームの先輩にあたる。

「今年は新井の7連覇を許してしまいましたが、来年のオリンピックイヤーで8連覇を止めます」

 オリンピック・シーズンに懸けるディーンの気持ちは、半端ではない。リオ五輪が行われた16年は、助走が間延びしてしまって低迷していた期間だが、4月には79m59を出している。「GGPの84mのときと同じくらい投げられる手応えがあった」が、その試合で足首を激しく捻挫してしまった。五輪連続出場は実現させられなかったが、五輪イヤーに合わせる自信と意地を、ディーンは持っている。

 来年の日本選手権は2人とも、2度目の五輪出場を懸けた大一番となる。代表は最大1種目3人まで出場できるので、2人とも85m00の五輪参加標準記録を投げておけば出場できる。

 新井は「今回、ディーンや強い選手が多くいるなかで7連覇できたことは、すごく実になった」といえば、ディーンは「ライバル関係は大事なこと。2人で引っ張って世界へ挑戦していきたい」と思いを言葉にした。

 初めて2人の戦いが噛み合った日本選手権が、日本のやり投活性化の象徴になる。

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