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寺田的コラム

ゴールデングランプリ陸上&新国立競技場の主役たち⑦ 北口榛花

2020.08.18 / TEXT by 寺田辰朗

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写真提供:フォート・キシモト

投てき種目唯一の五輪標準記録突破者の北口
「来年の68m」のためにGGPで助走を大幅変更

 女子やり投日本記録(66m00)保持者の北口榛花(JAL)は、8月23日に新国立競技場で開催されるセイコーゴールデングランプリ陸上2020東京(GGP)を、東京五輪でメダルを取るための助走を試す場と位置づけている。五輪標準記録の64m00は昨年すでに二度突破。東京五輪の1年延期が決まると、助走の変更に着手した。GGPでは「記録にこだわらず、練習していることが試合でどう出るかを確認する」ことを目的にしている。それが来年68mを投げるための、つまり東京五輪でメダルを取るためのスタートとなる。

●日本新につながったチェコでの助走変更

 今年の変更の前に、昨年の助走変更を説明しておく必要がある。北口は昨年2月から3月にチェコでトレーニングを積み、助走変更を軸にした投てき全体の改善に成功。5月の64m36の日本新につながった。

 やり投の助走は保持走とクロスステップ(投げの動きを行いやすいように、直前数歩を脚をクロスさせて走る)に分けられるが、保持走を6歩から8歩に増やした。クロスは8歩でトータル16歩。
「2歩増やすことで楽にスピードを上げられるようになりました。他の人と比べたら遅いですけど、助走スピードは以前よりは速くなっています」

 やりの引き方も変更した。従来は保持走からクロスに切り換えるところで、やり(の握っている位置)を肩の上から真っ直ぐ後方へ引いていた。それを一度サイドに下げてから後ろに持っていく引き方に変更したのだ。男女の世界記録保持者を生んだチェコの選手が多く行っているスタイルだ。
「保持走からクロスがスムーズに切り換えられるようになりました。自然と体が横を向いて、それを戻す(捻る)力も利用しやすくなったんです」

 当時北口は日大の4年生。チーム内でも、保持走の歩数を増やすことは勧められていたが、「私は不器用なので」と2〜3年時は変更に踏み切れなかった。混成ブロックの練習に参加することをアドバイスされたが、きつそうなメニューに対して腰が引けていた。

 それをチェコというまったく異なる環境に飛び込むことで、自身の甘さを含めた競技への姿勢を変えることができた。

 世界陸上ドーハ大会前も、7月上旬のユニバーシアード(@ナポリ。60m15で銀メダル)から9月末の世界陸上本番まで、チェコでトレーニングを積んでドーハに乗り込んだ。体調が万全とはいえず60m84に終わり、わずか6cm差で決勝進出を逃した。

 しかし帰国1カ月後に出場した北九州カーニバルで66m00と、自身の日本記録を1m64も更新。昨年の世界リスト7位で、世界大会の入賞を狙えるレベルまで達していた。

●保持走の歩数を増やし、クロスの歩数を減らす狙いは?

 東京五輪が今年開催されれば、日本新を出した昨年の助走で挑むはずだった。だが3月に1年の延期が決まると北口は、再度助走の変更に着手した。全体で16歩はそのままだが、保持走を2歩増やして10歩に、クロスステップを2歩減らして6歩で投げる。
「前向きに走るのと横向きに走るのでは、横向きで走る方が圧倒的にスピードは落ちてしまいます。横向きで走るクロスの歩数を減らして、スピードアップができるのではないかなと思ったからです」

 しかし北口を見続けてきた人たちからすれば、不安も抱くのではないか。トップ選手の中ではスローで、ぎこちない助走だった選手にそれが可能なのかと。実際、取材時点(8月12日)では「やっぱり難しいです」と北口本人も本音を口にした。
「すぐにそういう変更に対応できる方ではないと、わかっています。1年あるから踏み切れたこと。助走練習の本数を増やしたり、必ず保持走からクロスの切り換えを練習してから投げたりしています」

 GGPの記録的な目標を立てていないのは、試合で記録に結びつけるところまでまとめられる手応えを、まだ感じられていないからだろう。北口はもともと、練習の距離と試合の記録が大きく違うタイプである。66m00の日本記録のときも、練習では52〜53mしか距離が出ていなかったという。
「希望として60mは投げたいのですが、今は試合でどのくらい変わるのか読めないので、(60mも)絶対に出しますとは言えません」

 だから記録を目標とするのでなく、新しい助走を試してどのくらいの記録になり、練習との違いを検証する。

 GGPでは助走スピードの昨年からの変化と、記録が出たときに北口がどんな表情をするかが注目点だろうか。

●自分から行動する強さ

 GGPだけでなく、今シーズンは「大きな記録を出す目標は立てていない」と北口は話す。
「60mを安定して出すことが1つの課題です。記録の平均値を少しでも上げていきたい。でも来年は、東京五輪で自己新を投げられたらすごくうれしいですね。記録的な次の目標は68mです」

 今季は新しい助走を安定させることが最優先事項で、それができれば来年、一気に記録を伸ばせると考えている。19年の世界リスト1位は呂會會(中国)で記録は67m98だった。68mの力をつければメダル争いどころか、金メダルも夢ではなくなる。

 北口はもともと上半身、特に肩甲骨周辺の柔軟性が人並み以上に優れ、パワーもある。下半身の動きを速くしなくても、15年の世界ユース(現U18世界陸上)に優勝した。器用に全身を操れるタイプではなく、下半身の動きを上半身レベルにするには時間がかかる。だがそれに成功したとき、北口はシニアでも世界トップを狙える素材なのだろう。

 助走のレベルアップは難題だが、今の北口ならそれをやり遂げられるのではないか。その根拠として、北口が主体的に行動していることを挙げたいと思う。

 チェコ人コーチとの出会いも、偶然の要素があったとしても、北口が積極的に行動していたから運を逃がさなかった。昨年チェコで助走を改良できたのも、それ以前から北口が問題意識を持っていたから実行に移すことができた。今季の助走変更も、北口からコーチに提案したことだ。

 チェコにいるコーチとのコミュニケーションについての紹介は機会を改めるが、そこまで突き詰めているのか、と感心させられた。弱気な部分が表れてしまった大学2〜3年時とは違って、強い意思を持ってやり投を極めようとしている。

 昨年5月に日本新を出すまで、北口の自己記録は大学1年時のGGPで投げた61m38だった。大学2〜3年時に苦しんだ経験を糧に、そしてチェコ人コーチとの出会いをきっかけに、大学4年時に大きく飛躍をした。

 社会人1年目の今回のGGPは、超えるべき基準となる記録ではなく、超えるべき基準となる新たな技術をしっかり残す大会になる。その基準から明確にレベルアップしたとき、北口はシニアでも世界の頂点に近づいていく。

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