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寺田的コラム

新国立競技場初戦ゴールデングランプリ①

2020.08.24 / TEXT by 寺田辰朗

田中希実が新国立競技場日本新第1号に!
女子1500mで4分05秒27、“身近”な人の記録を超えて世界へ

 セイコーゴールデングランプリ陸上2020東京(GGP)が8月23日、新国立競技場の陸上競技最初の試合として行われた。女子1500mで田中希実(豊田自動織機TC)が4分05秒27で優勝。新国立競技場での日本記録誕生第1号になった。7月のホクレンDistance Challengeで1500mの日本歴代2位と、3000mの日本新をマークした田中。「その後も気を抜かないで、GGPで日本記録を出したいと思って練習してきました」とレース後に明かした。「その間に(日本記録保持者の)小林祐梨子さんとお話しして、改めて日本記録を出したい気持ちを強く持ちました。不安もあった中で出せたことを、祐梨子さんに伝えて感謝したいです」。田中の日本記録更新の価値を、通過タイムや小林さんのコメントなどをもとに紹介する。

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●3つの案を用意も「無我夢中」の日本新ペース

 女子1500mはスタート直後から田中が先頭に立ち、最後までトップを走り続けた。昨年の日本選手権優勝者の卜部蘭(積水化学)も健闘し、800m付近で4mほど離されたが、1000m付近では田中の背後に迫り、勝負の行方はまだわからなかった。ラストのスプリント勝負になったら卜部優位と言われていたからだが、田中には余力があった。残り1周で猛スパートを見せ一気に突き放した。

 田中の通過タイムと400m毎のスプリットタイムは、以下の通り。フィニッシュ以外は正式計時ではないが、ゴール脇に設置された速報タイマーの数値である。

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400m:1分06秒42(66秒42)
800m:2分11秒91(65秒49)
1100m:3分02秒37
1200m:3分17秒89(65秒98)
1500m:4分05秒27(62秒90)
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 田中健智コーチ(田中の父親)によれば、レース展開には3つのプランがあった。1つは8月12日にこのFacebookに掲載した記事で紹介したように、1周目を65秒と少し速く入り、2周目のタイムを落とす。そして残り700mで切り換える。

 2つめは68秒とゆっくりしたペースで800mまで行き、切り換えるのは残り700mで同じだが、さらに強烈なスパートをする。そして3つめが66秒でずっと押して行き、最後の1周でスパートする今大会で実行した展開だ。

 田中はレース後に「ラストで上げる展開も、前半から行く展開も、どんな展開になっても対応できる練習をしてきました」と、厳しかった今月の合宿を振り返った。

 だが走り始めた田中は、冷静に判断してイーブンペースで進める展開を選んだわけではなかった。
「レースをコントロールしていた意識はなくて、ただただ無我夢中でした。レースの記憶はあまりなくて、走り終わったら日本記録が出ていた感じです。練習はできていましたが、日本新を出せてうれしいですし、安心もしています」

 レース前の田中は、実はかなりナーバスになっていたし、直前には「トラブル」にも見舞われていたのだった。

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●直前のチェックでシューズ変更のトラブル

 田中コーチによれば、GGP前の田中はかなり神経質になっていたようだ。
「この1週間くらいレースのことは話さず、1人の時間を多くとりました。自分で先頭に立って最後まで押し切れるのか、未知の世界のタイムに本当に挑んでいけるのか、天候が良くなかったときに対応できるのかなど、不安の方が勝っていました」

 さらに直前の召集所でのシューズのチェックで、最近定められた規定よりも靴底部分が厚いと測定された。レース25分前というタイミングだった。幸い競技場から近いホテルに宿泊していたため、もう1足の候補だったスパイクシューズを田中コーチが走って取りに行き(田中コーチも元実業団ランナー)、なんとかレースには間に合った。

 田中はレース前の心境を次のように振り返った。
「レース前にトラブルもあって、頭が真っ白な状態で、(良く言えば)無心で走りました。(7月の5連戦の中で3000m日本新などを出したときとは違い)日本記録をこの1本に懸けて狙うことに、不安と緊張があったんです。どのレース展開を選択するか、ということより、逆にレース展開を考えずに行こうと、開き直りました」

 レース後のインタビュー中に、田中が涙を見せたのは初めてだった。その涙がレース前の緊張の大きさを表していた。

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●田中の気持ちを的確に思いやっていた小林さん

 前日本記録保持者となった小林祐梨子さんにも、電話で取材をした。
「気持ちいいなあ! 私の記録を本当にあっさり抜いてくれました。14年間止まっていた女子1500mを動かしてくれましたね」

 2人の関係は8月23日朝に掲載したこのFacebookの記事で紹介したが、今回のレース前にもかなりの頻度で連絡を取り合っていた。日本新のレース展開の裏にあった田中の気持ちを、小林さんが的確に思いやっていたことに驚かされた。
「ノンちゃん(田中希実)とレース前に連絡を取り合っているなかで、めちゃ緊張していることがわかりました。タイムを気にせず感覚で走りたいと言っていましたが、彼女の感覚は実際のタイムと一致しているからそれでも記録を狙えるんです。テレビでスタートした瞬間を見て、日本記録は絶対に行くと思いました」

 結果的にイーブンペースで1200mまで走ったが、小林さんは「ギアチェンジを何段階もしていた」という。今回のような速いスピードで走り続ければ、同じ力の入れ方で走ったら徐々にペースダウンするのが普通である。ペースが落ちるところで、感覚的にはペースを上げているのだ。卜部が離れかけた800m付近がそうだったかもしれない。
「ラスト1周の鐘が鳴ったとき、今日のノンちゃんなら余裕で切り換えられるだろうと思いました。先頭を走って4分5秒はどうかな、と本人は言っていましたが、私は力通り走った結果だと思います」

 そして田中の力は、自身と比較しても、まだまだ上がっていくと予想する。
「私とは次元が違いますよ。私は引っ張ってもらって出した4分7秒で、二度目の日本記録は0.01秒の更新が精一杯でした。それに対してノンちゃんは、自分で先頭を走り続けて2秒半も更新したんです。4分2〜3秒は確実に行きます。タフな選手ですし、20歳で、色々な経験を積んでいけます。2種目でオリンピックを狙っていけると思いますよ」

 前回の記事で田中とはプライベートでも親しい関係で、日本記録保持者として接していないことを明かしてくれたが、日本人初の快挙を達成する可能性を、前日本記録保持者としてコメントしてくれた。

●2種目でオリンピック出場の可能性も

 2種目での五輪出場は、田中コーチも強調していた部分だ。
「オリンピックの標準記録(4分04秒20)も見えてきました。本人とは前々から話し合ってきたことですが、やっとその段階まで来ました。(昨年の世界陸上で決勝に進出した)5000mで戦う姿もより明確に見えてきましたが、そのためにはさらに1500mも高めないといけない。世界を見たら5000mが強い選手は、1500mでも4分0秒台から3分台の記録を持っていますから」

 女子1500mは1972年のミュンヘン五輪から正式種目になったが、日本人選手の五輪出場は一度もない。そのくらい、日本選手が世界で戦うことが難しい種目なのである。

 そして1500mと5000mの2種目で世界と戦うとことは、小林さんも目標にしていた。1500mでは05年の世界ユース(現U18世界陸上)2位、06年の世界ジュニア(現U20世界陸上)3位と世代別の世界大会でメダルを続けたが、08年北京五輪と09年世界陸上ベルリンは5000mで出場。ベルリンでは11位と健闘した。

 だが5000m、さらには10000mや駅伝の10km区間と距離を伸ばしていくなかで、1500mのタイムは下降した。小林さん自身は「1500mもやらないから日本人はダメなんです」と話して両立を目指したが、残念ながら実現できなかった。

 だが田中は、小林さんの日本記録を塗り替えたことで、1500mでも世界に近づいた。
「何かが始まる予感がしますね」と小林さんのテンションは高い。
「新国立競技場で一番に出した日本記録ということも、意味があるんじゃないでしょうか」

 田中が女子1500mの日本人五輪代表第1号になったとき、新国立競技場最初の日本新の価値が倍増する。

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