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寺田的コラム

【全日本実業団陸上@熊谷最終日①】

2020.09.22 / TEXT by 寺田辰朗

32歳・新谷と19歳・廣中が女子5000mで史上初の14分台対決
ペース分析と2人のコメントからわかった歴史的なレース

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 全日本実業団陸上最終日(第3日)は9月20日、埼玉県の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で行われた。歴史的なレースとなったのが女子5000mだ。日本人の14分台は過去、日本記録(14分53秒22)保持者の福士加代子(ワコール)1人しかいなかったが、新谷仁美が14分55秒83の日本歴代2位をマークした。優勝(14分55秒32)こそR・N・ムワンギ(ダイソー)に譲ったが、ラスト1周も66秒8という速さで廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)との2位争いを制した。3位の廣中も14分59秒37の日本歴代3位で3位に続いた。32歳の新谷と19歳の廣中。史上初めて2人が14分台でフィニッシュするレースを、ベテランと若手の共闘が実現させた。
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▼女子5000mの通過タイムとペース変化
通過(※) 400m毎 1000m毎 
400m 1分12秒8 72秒8
800m 2分26秒6 73秒8       700m付近で廣中が先頭に
1000m 3分02秒5     3分02秒5
1200m 3分38秒2 71秒6
1600m 4分49秒6 71秒4
2000m 6分01秒3 71秒7 2分58秒8
2400m 7分13秒8 72秒5  2400m過ぎに新谷がトップに
2800m 8分24秒8 71秒0
3000m 9分00秒9     2分59秒6
3200m 9分37秒0 72秒2
3600m 10分49秒0 72秒0
4000m 12分01秒3 72秒3 3分00秒4
4400m 13分13秒3 72秒0
4600m 13分49秒0   4700mでムワンギがスパート
4800m 14分22秒9 69秒6
5000m 14分55秒83 66秒8 2分54秒5
※日本人の先頭選手を筆者が計測
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●14分台への流れを作った前半の廣中

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 新谷仁美のレース後の第一声は喜びではなく、廣中璃梨佳への感謝の言葉だった。
「廣中さんが72秒ペースできっちり入ってくれたことが大きなポイントでした。彼女の積極性がなかったら14分台は出ませんでした」

 上の表を参照してほしい。スタート直後は外国人選手たちが先頭に立ち、72秒8で1周目を入った。15分00秒を完全なイーブンペースで走ると、1周72秒0平均になる。2周目以降で徐々に上げていけば問題ないペースだったが、2周目が73秒8に落ちた。

 そこですかさず、廣中が先頭に立った。71秒6にペースアップしたが、廣中自身は14分台を出すためではなかったという。
「記録や順位は意識しないで、自分らしく楽しんで、のびのび走ろうと思っていました」

 駅伝などで見せてきたように、自分のペースで先頭を突っ走る。それが廣中らしさであり、今回はそれが1周72秒の走りだった。
 ただ実業団2年目の廣中は、新谷とは初めての対戦であり、「少し意識していた」という。意識しすぎると自分らしさを封じてしまう可能性があったが、廣中は19歳らしく、自分らしさを出すレースをした。

 結果的に2000mまでの3周を71秒台のラップを続け、14分台への可能性が1周毎に高まっていった。
 だが2400mまでの1周が72秒5に落ちてしまった。その後持ち直せば問題はないが、72秒は日本の女子選手にとってはギリギリのところである。レース中盤で若干の不安も生じていた。

●新谷のペースアップで14分台へ大きく前進

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 そこで動いたのが新谷だった。2400m過ぎで先頭に立ち、2800mまでを71秒0にペースを上げた。その後も72秒0〜72秒3を維持し、4000mは12分01秒3で通過。ラストで少しでもペースアップができれば14分台は出る。2400m過ぎの新谷のペースアップが、14分台への流れを決定的にした。
 レース後にそこを振り返ってもらった。
「2000mを過ぎて72秒3〜72秒4になり始めていました。廣中さんも14分台を目標にしていると聞いていたので、彼女が前半行ってくれたなら後半は私が引っ張る、と2人で行きました」

 新谷が0.1秒単位でペースを判断していたことにも驚かされた。スタッフがラップを伝えていた可能性もあるが、新谷自身がペースの変化を体感できていたのではないか。
 だが新谷も、14分台だけを考えてペースを上げたわけではない。練習では「72秒ペースを意識したメニューと、クロスカントリーで脚力をつくる」ことをやってきたが、「ドーハ(19年世界陸上10000m11位)もモスクワ(13年世界陸上10000m5位)もそうでしたが、結果を意識しすぎると逆に力が出ない。ラストで切り換えられなくなる」という反省があった。

 記録を狙うことは大前提で、練習ではそのためのペース設定で繰り返し走る。だが試合では自分の力を最大限発揮するために無心で走る。前半を引っ張った廣中とも共通する思いで、新谷が後半を引っ張り続けた。
 それでも14分台は、女子長距離選手にとっては勲章で、頑張った証となる数字だ。福士1人しかいなかった聖域に、同時に2人が踏み込んだ。選手に感動がないわけがない。

 フィニッシュした新谷と廣中は、タイムが表示されると歩み寄り、抱き合った。年齢や立場の違いはあっても、2人だけがわかりあえる時間と空間を共有した後の、自然な感情だった。

●2人の抱擁が示す女子長距離界の未来

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もちろん今回のレースで課題も見つかった。
 新谷は「10000mで世界と戦うための今回の5000m」と位置づけて臨んだ。「最低限の目標だった自己記録更新ができ、10000mへつなげられる」と自身を評価もしたが、「ラスト1周が67秒では(世界では)勝負にならない」と、いつもの辛口自己評価は変わらなかった。

 廣中は「後半、新谷さんの大きな背中を見て、ついていくんだ、という気持ちで走れたことは1つの収穫」と、自身の頑張りを認めた。日本郵政の高橋昌彦監督も「7月には貧血でまったく走れない時期が続いたところから、1カ月強の北海道合宿で立て直した」ことを高く評価した。

 だが12月の日本選手権5000mで対決が予想される田中希実(豊田自動織機TC)について、高橋監督が「田中さんはもっと速いよ」と話すと、廣中もそれを認めていたという。
 しかし日本女子長距離界全体が充実し始めているのは確かで、その中で選手個々が謙虚に自身を見つめ、さらなる向上に意欲的になっている。そこに大きな期待を持てる。

 新谷は廣中だけでなく、「マラソン代表の一山(麻緒・ワコール)さんと、10000m優勝で復活した鍋島(莉奈・JP日本郵政グループ)さんたちもいて、15分の壁を破ることができた」と指摘した上で、福士超えについても言及した。
「福士さんが14分台を出したから、私たちがこうして走れています。福士さんのためにも日本記録を塗り替えたい」
 そして10000mでも渋井陽子の持つ日本記録(30分48秒89)を目指すことを明言した。「10000mの日本記録更新が最低ラインです。そのラインを超えることで世界との差を縮められる」

 世界を意識してきた時間の長さでは新谷が勝るが、廣中も世界と戦うことを強く意識している。新谷と15分弱の時間と空間を共有した濃密な経験をしたことで、世界への過程をイメージしやすくなったのではないか。
「今日の結果は新谷さんの力を借りて出すことができました。本当にありがとうございます、の思いを込めて抱き合っていました」
 日本女子長距離界が躍進していくことを予感させる、ベテランと若手の抱擁だった。

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