寺田的コラム
ゴールデングランプリ陸上&新国立競技場の主役たち⑧ 安部孝駿
2020.08.19 / TEXT by 寺田辰朗

写真提供:フォート・キシモト
GGPでやりたいのは「最後まで14歩で押し切る」レース
ドリームレーンに自身を重ねて高校生にエール
男子400mハードル世界陸上2大会連続準決勝進出の安部孝駿(ヤマダ電機)が、8月23日に新国立競技場で開催されるセイコーゴールデングランプリ陸上2020東京(GGP)で、「14歩で押し切る」レースに挑戦する。今シーズンはコロナ禍の影響で、11月中まではどんな成績を出しても五輪選考には関係しない。結果より技術などを試す場と位置づける選手もいるが、安部の場合は両方を求めてGGPに出場する。そして全国大会がなくなった高校生が招待されるドリームレーンが、GGPと安部の関わり方とも重なる部分があった。
●400mハードルのインターバル歩数
オンライン取材に応じた安部は、GGPの目標を確かな口調で話してくれた。
「自己記録(48秒68)の更新を目標にしていますが、練習では良い感じで仕上がってきています。冬期練習では中盤から後半の走りをテーマに取り組んできました。試合勘の部分がやってみないとわかりませんが、体格を生かして最後まで14歩で押し切る400mハードルを完成させたい」
400mハードルのインターバルの歩数は、3歩しか選択肢のない110mハードルと違い、選手の判断で変えることができる。それでもある程度のパターンは決まっていて、前半でいえば13歩で行く選手と14歩の選手に分類できる。
13歩はスピードを出せるが、上背のない選手が強引に行うと前半で力を使い果たしてしまう。14歩ならエネルギーを温存できるが、2台に一度、逆脚で踏み切ることになる。ハードリングが苦手な選手は高く跳び上がるなどして、タイムやエネルギーロスが生じやすい。400m全体を走りきることを考えて、どちらが自分に適しているかを判断する。最後まで13歩を維持する選手も世界では何人かはいるが、日本選手では難しい。
日本代表たちも国際大会の前半で後れない13歩を採用している選手が多い。その場合6台目、7台目を14歩に切り換え、8・9・10台目を15歩で行く。日本記録(47秒89)保持者の為末大もその歩数で世界と戦い、01年、05年と世界陸上で2個の銅メダルを獲得した。
安部は高校時代、110mハードルでも全国2位になったスピードを持つ。192cmの長身を生かし、6台目まで13歩で行くことができ、7台目で14歩に切り換えるが、その歩数で最後まで押し切ろうとしているのだ。
昨年のドーハ準決勝では前半で後れず、7・8台目は14歩と予定通りに行くことができたが、最後の2区間が15歩になってしまった。「練習はしていたのですが、準決勝の最後は余力が残っていませんでした」。15歩に歩数が増えてもピッチを上げてスピード低下を防げるが、それでは自身の体格を生かしたことにならない。
現在46秒台の記録を持つ選手が3人いるが、昨年の世界リストの4位は48秒10だ。決勝進出のハードルはそこまで高くない。最後まで14歩で押し切ることができれば、為末も達成できなかった五輪決勝進出が見えてくる。そして記録的には、19年間破られていない為末の日本記録が射程圏内に入ってくる。
●安部自身の考えでトレーニングを構成
安部はどんなトレーニングで、最後まで14歩で押し切る400mハードルを実現させようとしているのか。極論すれば全ての練習が最後まで走りきる(=良い記録で走る)ためだが、安部はいくつかのメニューを明かしてくれた。今回は3つのトレーニング(の考え方)を紹介したい。
1つめは400mハードルに生かせるスプリント能力を上げることだ。
「以前は前半から頑張ってスピードを出して、後半で大きく失速していました。ここ数年は努力度を抑えて楽にスピードを出す練習をやっています。いかに効率の良い動きをするか。(体の動かし方も)もともと下半身が強いので脚でガツガツ進んで行く走りでした。今は上半身や体幹を使って推進力に変える省エネの走りを目指しています」
2つめとして、ソリを使った「負荷走」を紹介してくれた。
「疲れが出る後半でリズムを上げようとするクセがあるのですが、そこを我慢してストライドをキープすることをテーマとしています。坂道ダッシュなども行いますが、ソリを使って地面を押し切るパワーをつける練習を行っています。そり自体が10kg、そこに5kgの重りを乗せて、今は70mくらいの距離をダッシュで引きます。しっかり地面をとらえないと進みませんし、リカバリーも短くして心肺機能も鍛えています」
3つめは体幹トレーニングの1つで、風船を使ったメニューだ。
「寝転んだ姿勢で風船をふくらませるのですが、お腹が凹んでしまったらダメなんです。腹圧を保ったままお腹から空気を出すのですが、腹筋にかなり来ます。走っている最中に手脚は動かしても、体幹を安定させるためです」
繰り返すが、全ての練習が後半の強さにつながるはずである。ここに挙げた3つのメニューよりも、実際にハードルを跳ぶメニューの方がタイムに直結するだろう。何メートルの距離でハードルをどんな間隔で置き、何秒で走るのかなど、何十通りも工夫できる。
だが取材中に挙げた上記のトレーニングを、安部が強く意識しているのは間違いない。
そして最近の安部は、自分の考えでトレーニング全体を構築している。2018年のシーズン後から米国人のバシャ・コーチの指導を受け、シーズンオフにはサンディエゴで練習を積む。昨年のダイヤモンドリーグ転戦では現地でアドバイスも受けた。
だが「今の練習は自分の判断で、良いな、と思うところをミックスして行っている」という。新型コロナの影響で4月以降は1人で練習することが多くなっている。
「自分と向き合う時間が増えました。以前は誰かに見てもらってアドバイスを受けていましたが、今は自分で動画を見て、自分の感覚とすり合わせて、分析できるようになっています」
セルフコーチングの能力は、29歳まで3カ月となった今が最高に上がっている。
●GGP第1回大会にも出場している安部
前身のスーパー陸上と国際グランプリ大阪の2大会が、ゴールデングランプリとしてスタートを切ったのが2011年だった。ベテランの部類に入ってきた安部は、その年からGGPに出場している。
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▼安部のGGP成績
11年:2位50秒17
12年:5位50秒70
13年:8位51秒11
14年:7位51秒14
15年:7位50秒88
17年:2位49秒20=自己新
18年:優勝48秒97
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2位と好走した11年大会は中京大2年のとき。前年の世界ジュニア(現U20世界陸上)で銀メダルを獲得し、ホープと期待されていた。
「まだジュニアみたいな気持ちがあって、シニア選手たちと一緒に走ることに慣れていませんでしたが、変な気負いがなく走れた大会です」
その年の世界陸上テグ大会代表にもなるなど、前年からの勢いで好調を続けていたシーズンだ。
だが翌年からGGPの成績が下がり始める。13年の世界陸上モスクワ大会こそ代表入りしたが、その他の年は代表になれなかった。16年は、前年の記録が悪く、出場の声すらかけられなかった。
12年以降は良い思い出がまったくないが、それを一転させたのが17年大会だ。49秒20は世界ジュニアで出した49秒46を、7年ぶりに更新する自己記録だった。
「当初はエントリーされていませんでしたが、直前の静岡国際で2位に入り、急きょ出場することになった大会です。そこで自己新を出せましたし、世界陸上ロンドンの標準記録も突破できました。ずっと続いていた不調から抜け出すことができて、すごく印象に残っています」
翌18年は初めて優勝し、記録も48秒台と最も良かったが、直前の静岡国際で48秒68の自己新を出していた。「GGPではもっと上の記録を狙っていましたし、最後は歩数を合わせられませんでした」と、タイムもレース内容も不満が残った。それだけ安部の見ているところが高くなっていた。
そして19年のGGPに出ていないのは、前日に海外で行われたダイヤモンドリーグに出場したためだ。
こう見てくるとGGPは、安部の力やその時点の課題を反映してきた大会だったことがわかる。
そして第1回大会では、レジェンド的な存在の為末に勝っているのだ。安部の2位に対して為末は5位。0.25秒だが明確な差があった。為末が引退する2012年の前年で、全盛期の力がないことは安部もわかっていた。
「勝てたことがすごくうれしかった、ということはありませんが、あの為末さんと一緒のレースを走れたこと自体がうれしかったことを覚えています」
そして今年は自身が日本の第一人者として、ドリームレーンを走る高校生と一緒にレースをする。
「為末さんと走ったときの自分のように、一緒にレースをした高校生には何かを感じてもらったり、こんな選手になりたいと思ってもらえたりしたらうれしいですね。同じレースを走る選手に限らず、見てくれる子どもや若手選手たちに、夢を与えられる走りを見せたい」
選手個人の歴史と、人と人とのつながりが日本の陸上界を支えてきた。10年目のGGPに出場する安部の走りにも、それが現れるはずだ。
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