
JK:新しい生き方っていうか、基本的に伝統的な篳篥(ひちりき)、笙(しょう)もありますけど、それと今の現代的なものとのミックスというかコラボレーションていうか、新しいことをやっていますけど。昔はロックとかやっていらしたから、そういうフィーリングってあるんですか?
東儀:あの〜、雅楽を始める前から僕は音楽はとにかくイロイロ好きで。とにかく音楽を習ったことも作曲したことも何もないんだけど、実はアルバムのバックでピアノを弾いていたり、ベースやったりドラム叩いているのは、ほとんど自分で弾いていて、だけれどもピアノのお稽古をしたことはほとんどなくて、だけど、音楽がなんか、物心ついた時から、音感が見についていて、
JK:それはどういうことかしら?

東儀:この音とこの音を組み合わせたらアレになるっていう、五線紙上で教わったことじゃなくて、感覚で全部わかっていたので、その感覚だけが僕の音楽素養があったんですよ。それをもってすれば、ロックだろうと、クラシックだろうと、雅楽だろうと、音の長さと音の高さとか、こう、複数の分析とかっていうのができれば、どんなジャンルだって出来ると僕は信じることができた。
JK:東儀さんおっしゃっていたのは、雅楽を聴ききてください、じゃなくて、雅楽を感じてほしい、とおっしゃっていて、全身ですよね。

東儀:それはどの音楽だって、そうですよ。
JK:聴くっていうと、なんかすごくアレだけど、感覚的、感じるっていうのは、凄く。空気感とか。

東儀:音楽はね、クラシックもロックも雅楽も、皆感じるものだから、いいと思えばいい、嫌だと思えば嫌で、好き嫌いもあればいいんだけどね、だけど僕は雅楽を習得したときに、その前にいろいろやって楽しんでいたことは、古典の雅楽を見るにも、特になっていて、、たとえば篳篥を最初に吹いてみたときに、「あ、これだったらアレも出来る」って簡単に閃くことができたのは、他の音楽で遊んできたからですよね。
で、僕の音楽を分析すると、西洋楽器と日本の楽器、西と東が一緒になっていたり、新しいものと古いものが一緒になっていたりするんだけど、人がやっていないソレを狙ってやってみようと思ったことはひとつもなくて、「これもいいじゃない?」って、西洋楽器を十分遊んで来た人間が、雅楽を正当に収録して、自然に生まれちゃったって言う。
JK:そんなの、世の中に東儀さんしかいないわよ。(笑)
出水:本当に・・・(笑)
=オンエア楽曲=
M1. I’ll Be There / Jackson 5
M2. 浜辺の歌 / 東儀秀樹