出水:谷村さんの80年代の活動を振り返ってみたいのですが、海外に出て、たとえばアジアで活動されたことが多くて。谷村さんがアジアに出ていかれたのは、どういうきっかけだったんですか?
谷村:ちょうど80年、81年あたりで、初めて北京でアリスとして、大きいコンサートをやって。
JK:早いですよね。
谷村:まだみんな人民服。
JK:そうそうそう。まったく。
谷村:それで壁新聞に出たんですよ。
JK:貼ってあるのよね、道に。
谷村:みんなそこに読みに来るんです。そういう時代だったんだけど。「中国大陸に、ポップスが初めて流れた瞬間」っていう書き出しだったんです。
JK:初めて。
谷村:やっぱり、遮断されていたんで。
JK:切り開いた人よね。私も85年にショーをやったじゃない。その前に既に足を踏み入れているわけだから、凄いわよね。
谷村:突破口みたいになれるとばいいなと思って。

JK:あれからずーっと続けて・・・
谷村:そのあとはずっと20年間、アジアの国々を回っていたんだけど、そのきっかけが、北京のコンサートのときに大学生が通訳をしてくれたんですね。すごくきれいな日本語をしゃべる。彼が、打ち上げのパーティーのときに、「先生、どうして日本は中国に背中を向けているんですしょうか?」と言われたんです。意味が最初よくわからなかったんだけど、「先生たちは太平洋側を表日本と呼んで、日本海側を裏日本と呼んでいらっしゃる。でも昔はこっち側が玄関だったんじゃないですか?」と。本当にその通りだと僕は思ったんですね。それで、このまま行くと、アジアの中に日本はあるんだけど、日本はアジアではないと、みたいな感覚を、僕らは漠然と思ってしまうのは、すごく危険だと思って。
JK:この言葉いいね。現実に体験しているっていうこと。
谷村:アジアの国のひとつであるという認識をもっていないと。日本が勘違いして走ってしまいそうな気がして。だからアジアに絶対道を作るんだ、橋をかけるんだという、それをやろうと。でも、当時、だれもアジア向いていなかったんで・・・
JK:アジアって、まず中国が遠かった。誰も知り合いいなくて、全然遠くて、アジアっていうより、まず中国って、日本に文化的な影響をしているわけで。だから私もパリコレやるときに中国って無視できない、っていうのがあったのね。
谷村:日本と中国って、本当に重なっている部分がすごく多いくになんだけど、お互いにネガティブなことばかりを報道する。この報道のやりかたも中国もダメなし、日本も本当にダメ。実際に行っている人は、まったくそういう状態じゃないって、僕らは知っているから。あまり報道に流されない方がいいですよと。
=オンエア楽曲=
M1. Please Mr. Postman / The Marvelettes
M2. 昴 / 谷村新司
(2015年11月15日OA)