コシノジュンコ MASACA

ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する30分。MASACA!な驚きを創造する人々…MASACA!な未来を想像する人々…そんな人々との出会い「MASACA!」がCREATIONを生み出す!

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コシノジュンコ MASACA
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出演者

コシノジュンコ
大阪府岸和田生まれ。78年パリコレデビュー。世界各地にてショウを開催。オペラやブロードウェイミュージカルの舞台衣装、スポーツユニフォーム、インテリアデザイン等幅広く活動。MASACAは初のラジオレギュラー番組。

出演者

出水 麻衣
TBSアナウンサー。
1984年2月11日生まれ。東京都出身。
上智大学外国語学部英語学科卒。
趣味:特スポーツ観戦・グルメツアー・観劇・ゴルフ・ランニングなど

2016年01月03日(日) 放送

コシノ家のお雑煮は・・・

JK:あけましておめでとうございます。コシンジュンコです。
出水:TBSアナウンサーの出水麻衣です。2016年申年がスタートしました。コシノ家のお雑煮って、どういう感じですか?
JK:これは家の親から教わったことで、それしか知らないんですよ。岸和田のおかあちゃんから教わった、白味噌なんです。基本的には。まずお出汁をとるでしょ。それで子芋を前日から煮ておかないと、ぐつぐつ煮て二日くらいたってからが一番おいしいっていう。
出水:とろとろにすると・・・?
JK:とろとろでもないんだけど、まぁちょっと、ちゃんと茹でておくのね。
出水:里いもですね。
JK:大根もイチョウのような形に切って、結構どっさり、それに焼き豆腐、鶏、三つ葉、柚子。簡単ですけどね、意外に大根も煮ておかないと、、、、。準備しておくっていうのが凄い・・・。
出水:いいですねー。
JK:毎年、暮れになるとやっていますね。
出水:先生の家はお孫さんたちもいらっしゃるし、お餅の消費量凄いでしょうね。
JK:そうですね。
出水:ひとり2〜3個ずつ食べますか?
JK:小さく切るの。あまり大きいのドカーンって入れるとね、お椀がいっぱいなのが嫌いで。余白を作るために。
出水:素適!
JK:最後三つ葉をぼわあっ!とカッコよく。
出水:へー。
JK:でね。お箸袋ね、、、買ってこないんですよ。和紙を畳んで、そこにひとりひとり名前を書くんです。
出水:お箸袋もひとつひとつ手作りして、先生が直筆でお名前をかくと。
JK:そのほうがいいですよ。
出水:ウチも箸袋は毎年祖父が達筆なので、それぞれの家族の名前を書いてくれる儀式があって。
JK:素適ですよね、そういうことってね。なんとなくね、名前があると緊張するの、子供でも。
出水:では今年も意義やかなお正月を過ごされたということで・・・・
JK:そうですね。

ゲスト:桂文枝さん part1
おかあちゃんMASACAのブレイクのきっかけ・・・


出水:ゲストは桂文枝さんです。おめでとうございます。
JK:おめでとうございます。よろしくどうぞ。
出水:桂文枝さんは1943年、大阪府堺市生まれ、関西大学在学中から落語研究会で活躍され、1966年に桂小文枝、後の五代目桂文枝に入門し、桂三枝としてご活躍されます。
2006年に上方落語協会会長に就任されまして、2012年に六代桂文枝を襲名。紫綬褒章、文化庁芸術祭大賞など、多くの章を受章されていらっしゃいます。ようこそおいでくださいました。お正月にピッタリのゲストですね。
JK:そうなんですよ!
文枝:ありがとうございます。
JK:今年で50周年?
文枝:ちょうどですね。50年なんです。師匠のところにはいりましてね。落語はその前から大学でやっていたんですけど、今おっしゃっていただいた、関西大学在学中から落語研究会っていうので、書いてあるんですけど、実は関西大学の場合は、落語研究会という名称ではないんですよ。「落語大学」っていう名前だったんです。クラブの名前が。だから関西大学には学長がふたりいるんですよ。僕も学長だったんです。
出水:そうなんですか!
JK:落語大学の学長ですね。
文枝:部長じゃなくて学長なの。
JK:なんか、だんだん偉そうに見えてきた。
文枝:いまの学長とも理事長とも仲良くさせて頂いていましてね。今年関西大学の客員教授というのもやらせていただいてます。
JK:やっぱり大阪の土壌ってね、伝統芸能がしっかりあって。落語って、普通大阪だと漫才だけど、すごいしっかりしていますよね、歴史的にも。
文枝:そうですね、漫才もすごい盛んだけど、もともとは落語が中心だったんですよね。そうですね、いまから220〜30年前に、落語の寄席っていうのが出来ましてね。坐摩神社っていう大阪のところにできて。それからずっと続いてきて、ま、大阪の始まりは、そのあと桂、、、初代の文枝っていうのが広めたんですね。で、それが続いて、まあ私が六代目と。


出水:おふたりの出会いはテレビ番組の「三枝の爆笑夫婦」とお伺いしているのですが、そのときのエピソードを・・・。
JK:最初私が結婚したばかりに、1975年に・・・
文枝:それは最初のご主人でした?
JK:いやだ!
出水:(笑)最初のご主人(^^)
文枝:覚えていないんですよ(笑)
JK::いっぱいやってるから!1975年に結婚して、それで即ね。また少ししてね、また出てくださいになっちゃったの。それで私もう出会いも言っちゃったし言う事ないわって、「いやあ、三枝さん大丈夫です」って、それで私、子供が1歳半か2歳のときに、お母ちゃん呼んで、スタジオに連れて行って、せっかく大阪に行くから見てもらおうと、そしたら始まったらウチの子供が泣いちゃったんですよ。絶対泣く子じゃないの。それなのに三枝さん、、、あのとき三枝さんね、、、「ええやないの、おかあちゃん出てもろたら」って。そっからおかあちゃんと子供が出たら、そっからおかあちゃんと始まっちゃったの。
文枝:それから綾子さんと付き合いがはじまったの。
出水:覚えていらっしゃいますか?そのときのこと。
文枝:あんま覚えてないんですよ。
出水:(笑)
JK:そのあと、おわったらすぐにね、三枝と枝雀の番組あるので、おかあちゃん出てくださいって、その場ですぐ。で、おかあちゃん生まれて初めてなんだかわからなくて「はい」って、すーっとでちゃったの。それを聴いている人が、この人面白いから、ファッション好きやねんっていう本を3年間連載したんです。
文枝:おかあちゃんブレイクしたんですよ。
JK:きっかけはアレですよ。
文枝:私なんですよ。おかあちゃんが幾つでしたかね。
JK:70、、え、わかんない。
文枝:遅いデビューだったんですよね。それで人気者になって。
JK:ほんとにありがとうございます。あれからです、全ての人生の始まりが。
文枝:それでファッション好きやねんっていうのがドラマ化されて。おかあちゃんが不倫していたんですよ。
JK:そうです。
出水:?どういうことですか!?
JK:不倫って言っても、家のお父さんは戦争で亡くなっているから、別に不倫ではないんですよ。相手が・・
文枝:相手が奥さんがいたから、不倫じゃないですか。
JK:あっちは不倫で、こっちはそうじゃないじゃない。
出水:あら
文枝:そんなことないでしょ。
JK:そうなの?
出水:そんなところまで文枝さんご存じなんですか?恋模様まで。
JK:詳しいのよ、だって、その役やったから、ドラマで。
文枝:僕が呉服屋のおっちゃんの役をやったんですよ。
JK:よう似てるの、また。
文枝:お母さんがよう似てる、よう似てる言うて。でもね全然違うって三姉妹は言うんですよ。特にお姉ちゃんの方がね。この三姉妹がまたややこしいんですよ。
JK:ややこしいんですわ(笑)
文枝:ヒロコ、ジュンコ、ミチコがね。
出水:どういう風にややこしいんですか?
文枝:いやあ、ちょっと言えないですね。
出水:(笑)
文枝:気を遣うんですよ、僕、間に入って。
JK:そんなんどうでもいいわ(笑)

=オンエア楽曲=
M1. Money See, Monkey Do (See The Monkey) / Mary Martin
M2. The Monkey's Uncle / Annette Funicello

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