出水:亜門さんは沖縄にもご自宅があって、行ったり来たりの生活をされていると・・・
宮本:沖縄ほとんど帰っていないんですよ。残念ながら。もちろん家はあって。沖縄大好きだし。
JK:玉城でしたっけ。
宮本:はい。本当の南で、海の真ん前なんですけど、自然の中に家をちょっと建てさせてもらったみたいなところです。
出水:なぜその場所を選んだんですか?
宮本:その話すると何時間もかかっちゃうんだけど。この番組・・・
JK:沖縄って、亜細亜の玄関って言うじゃないですか。亜門って、アジアの門じゃないですか?なんかそういうのを感じて、良いと思った?
宮本:偶然なんですけどね。でもあるかもしれない。沖縄って痛々しい歴史と、亜細亜の中のヘソのような、交流をやってきたところとか、いろんなものが凝縮された場所なんですよね。言い方悪いんだけど、その両面を僕は感じられるというか。
今の露骨なものが、沖縄にいると、炙りでてくるんですよね。僕はそれを全部見たいし、自然もすばらしいし、単なるリゾートじゃないんですね。そういうものを知った中での自分の存在を確認したいというか、沖縄本当に好きですね。
宮本:あそこはアミニズムというか、自然崇拝なんですよね。僕が家を建てたときに、ある沖縄の方が、「亜門さん、ここさぁ、家、お金払ったよね。だけどさぁ、これ、亜門さんのものじゃないからね。」って急に言われたんです。来た!ヤバイ!差別・・・。って思ったんですよ正直言うと。そうしたら「ここは地球のものだからね。」っていうわけ。
JK:もっと大きかったわね。
宮本:「亜門さんの肉体も無くなり、いつかこのコンクリートも無くなり、だから、今をお借りしているんだよ。」っていう話を・・・。我々は生かされているということを、本当に思わないと、一歩間違えると、人間ってすぐ傲慢になるから。
JK:東京にいると思わないわよね。沖縄ってやっぱり、そういうところかもしれない。
宮本:そういう意味では、ほんとうに刺激を受けるし。たとえば、沖縄で樹を観て、「うわぁ、キレイな花だな、梯梧(でいご)綺麗ですね」って言ったら、「根っこ見える?」って言うんですよ。「この樹はどういう風に根っこが生えているか、樹を観てわかる?」「亜門さん、花ばかり見ていちゃだめだよ。根っこの、土の下にあるものを観て、人を見なくちゃダメだよ」って、こういうこと。
枝を見るとわかるんですよ。だから人には歴史があり、過去があり、その時の瞬間の顔だけじゃないよ、っていうことだったり、僕はそういうことに耳を傾けながら、じーっと考えるのが好きなんです。
JK:それは、はまっちゃうわね。そういう根本的なことは。。。素敵。
宮本:痛みがあったからだと思います。この前の震災のあとも、「私ら、種いっこ植えて生きてきたから、人間大丈夫よ。」って、それは本当に戦争を越えてきたおばあが言える言葉であって、「その代わり戦争の靴音みたいなのが聴こえてきたから、ダメだよ。ダメだよ。」って、優しい声で言うんですよ。
JK:自然ですね。自然の中で生かされているのね。都会と違う。
=オンエア楽曲=
M1. When Will I See You Again / The Three Degrees
M2. 島人ぬ宝 / BEGIN