上田晋也のニッポンの過去問

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過去の放送内容

【第49回】「通勤ラッシュ“地獄”」1965年〜(5月11日放送)

「上田晋也のニッポンの過去問」第49回は通勤ラッシュのお話でした。
東京の通勤ラッシュ、じつは大正時代あたりから始まっていました。
電車あるところに通勤あり。しかも、日本の場合、その鉄道を世界でもまれに見るほど高度に使ってきました。
ここで放送内容のおさらいをしましょう。世界の上位30駅の乗降客数を紹介しましたが、そのランキングを見てみると、
1位新宿駅(東京)、2位渋谷(東京)、3位池袋(東京)、4位梅田(大阪)、5位横浜(神奈川)……
と、日本の駅が23位まで続き、24位でようやくフランスの「北パリ駅」が出てくるのです。
鉄道をそこまで利用している日本人。エコという意味でも、都市の有効活用という意味でも、決して悪いことじゃありません。
しかし、当然ながら、その「正」の逆、「負」の側面も出てきました。そのひとつが通勤ラッシュでしょう。
60年代のピーク時には、混雑率が300%を超える路線もあらわれ、窓ガラスが割れる、乗り換えできない、など、
もはや我慢のレベルを超え、海外のメディアなどが「通勤地獄」と表現するようになり、
あるサイトでは、あまりの混みようにドアから降りられないOLさんが、開いていた窓から降りる姿や、
駅員が乗客を力いっぱい押し込んでいる写真などが紹介されていたといいます。
時代はめぐりめぐって、複々線化、高架化、オフピークなど、様々な措置がとられ、次第に混雑はマシになっていきていますが、
まだまだ通勤ラッシュ解消には至っていません。
スタジオでは、(株)ライトレール代表取締役社長の阿部等さんにズバッっと通勤ラッシュを解消する方法を解説頂きました。

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