上田晋也のニッポンの過去問

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過去の放送内容

【第37回】「マイカー時代の副作用・交通戦争」1960年(2月3日放送)(2月3日放送)

上田晋也のニッポンの過去問第37回は戦後復興により華々しい経済発展を遂げた裏で大きな社会問題となった「交通戦争」を紐解きました。
荒廃した国土を復旧するためあちこちでトラックが縦横無尽に駆け抜けました。
その結果、統計を取り始めた1948年には年間およそ3800人だった交通事故死者数は1959年には1万人に達し、翌60年には当初のおよそ3倍となる1万2000人に到達してしまうのです。
この2年間での交通事故死者数が日清戦争での戦死者数を上回わり、一種の戦争状態であることから「交通戦争」と呼ばれるようになったのです。
そんな現状に当時放送されていたドキュメンタリー番組「暴走街道」を紹介。
“死の道”と呼ばれた国道4号線沿いでは交通事故が頻発し、街道沿いの住民も「イチイチ事故を起こすたびに怒っていては体が持たない。
そんなことよりお金で解決してほしい」など今では考えられないような光景がしばしば見られました。
その後も死者は増え続け1970年には1万6000人を突破してしまうのです。
最も危険にさらされたのが歩行者で、特に子どもが犠牲となる事故が続発し、豊かな生活の代償は大きな問題として横たわることとなったのです。
行政も「交通安全教育」や「死亡事故を起こした際の厳罰化」「交通安全のための社会インフラの整備」を進めていった結果
1970年のピークを境に死者数は次第に減少していきました。
しかし、80年に入ると死者数は微増を始め88年には再び1万人を超え「第2次交通戦争」と言われる状況に陥ってしまったのです。
第2次では第1次で歩行者の犠牲が多かったのに対し、運転する人自身の事故が頻発したのです。
これはバブル期に向かっていた80年代、スポーツ車などが手に入りやすくスピードの出しすぎが原因でした。
その後、シートベルト着用義務化や飲酒運転に対する罰則強化により96年から死亡者は減少し、近年は4000人台にまで減ってきました。
ただ、最近ニュースで目立つようになったのが高齢者による逆走事故です。
中には自分が逆走していることに気がづいていない方も・・・
そういった近年の問題点にも触れながら「交通事故」について考えました。

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