上田晋也のニッポンの過去問

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【第33回】1974年「第十雄洋丸事件」(12月23日放送)

11月9日午後1時30分ごろ
サウジアラビアから川崎港へと向かっていた日本船籍のLPG石油混載タンカーの第十雄洋丸と
木更津港からロサンゼルスへ向かっていたリベリア船籍の貨物船パシフィック・アレスが
東京湾で衝突、炎上を起こしたのです。
東京湾は古くから日本の海の玄関口とされ、
小型船から大型船がひっきりなしに往来する世界でも有数の過密航路なのです。
衝突から15時間後、パシフィック・アレスは鎮火しましたが、
5万7000トンもの可燃物を積んでいた第十雄洋丸は激しく炎上、消火活動も困難を極めました。
船は強風にあおられ岸へ向かって漂流を始めました。このままでは岸に衝突し2次災害を起こす可能性がある・・・
海上保安庁は安全な場所に座礁させることにしました。
しかし、ここで問題が・・・
当時の海上保安庁には第十雄洋丸のような大型船を引っ張って移動させる技術がなかったのです。
そこで民間の深田サルベージ建設という会社に曳航を依頼したのです。
いつ大爆発を起こすか分からない第十雄洋丸を5隻の船で曳航を開始し、
無事千葉県富津沖の浅瀬に移動させ座礁させたのです。
ですが、ここでまた問題が・・・
当初はこの場所で可燃物を全て燃やし尽くす予定だったのですが、
沿岸の海苔養殖業者からの抗議があったのです。
第十雄洋丸東京湾から太平洋へと引き出すことになりました。
しかし、動かしたことにより積んでいた可燃物が再度爆発、炎上したのです。
曳航していた船にも危険がおよぶかもしれない・・・
そこで曳いていたロープを外し、第十雄洋丸を漂流させることにしたのです。
第十雄洋丸は炎上を続けながら黒潮にのり、太平洋沖へと漂流していったのです。
衝突から13日後、このままでは他の船舶に危険がおよんでしまう・・・
海上保安庁は政府にある要請をします。「武力行使」による撃沈です。
それは自衛隊始まって依頼の武器を用いた災害派遣になったのです。
政府は護衛艦4隻、潜水艦2隻を出動させ撃沈の準備を始めました。
衝突から18日後の11月27日砲撃を開始。2時間で計72発の砲撃を行いましたが
第十雄洋丸は炎上するだけでまったく沈む様子がありません。
翌28日、哨戒機も導入し、空と海から砲撃を行いましたが沈む様子は依然ありません。
そこで最後の手段と「魚雷」を発射するのです。しかしそれでも沈みません・・・
砲撃を続けること数時間・・・ようやく第十雄洋丸は沈没したのです。
こうして日本初のタンカー事件は幕を下ろしたのでした。

“沈没していく第十雄洋丸”
(千葉県犬吠埼東南東約520キロにて)

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