土曜の夜と、たけしと僕

第35回 2014年1月7日

「全て殿。旅の思い出・その① 」

芸能人たるもの、お正月はハワイへ。
子供の頃から、年の瀬に見るワイドショーなどでたびたび目にしてきた
年末の芸能人出国ラッシュの映像をすりこまれてきた僕にとって、
それはしごく当たり前のことであり、ともすれば、ハワイでなくとも、
よくわかりませんが、グアムだとかオーストラリアだとか、
とにかく、常夏の地で正月休みを過ごすのが、一流芸能人としての務めであると思っているのです。
この際、オーストラリアが常夏なのかどうかはさておき。

特殊な芸能という世界で頑張り。特殊に稼いだのなら。休みは海外へ。が、
大変分りやすい図式で、芸能人やタレントといった人気商売を選んだ方には、
そういった‘目に見えて分りやすいライフスタイル‘を、世にお見せするのも、
先程も書きましたが、ある意味務めでないでしょうか。


なにが言いたいのかと申しますと、
僕だって、オフィス北野に所属する、一応は自称芸能人でありタレントです。
恥ずかしながら、確定申告の職業欄には「タレント」と、書いてしまっている
輩です。

お正月を常夏の地で過ごした思い出はまだありませんが、
海外へ渡航した思い出の一つや二つ、僕だってあるのです。

アフリカへ2回。フランスへ一回。イタリアへ2回。アメリカへ一回。
香港へ一回。
どうですかお客さん、僕だって行ってるんです。はい。

で、なにも1ドル360円時代の人間でもあるまいし、海外へ渡航した数を
自慢したいわけではありません。

ちなみに、余談ですが、もう30年以上も前、僕がまだ小学校低学年だった頃、
ぎりぎり東京都の清瀬という場所に住んでいたのですが、
二軒となりの若夫婦が、ハワイへ行って帰ってきて、
すでに二日もたっていたのに、首から花のレイを下げて、ニコニコと
近所を歩き回っていました。あれは一体なんだったのだろうか・・・
まー昔は「憧れのハワイ航路」なんて歌があったくらいですから、
少し前まで、少なくとも清瀬の住民には、ハワイは夢の国だったのでしょう。

話を海外の思い出へ戻す。

先にあげた、僕が行った海外への渡航は、そのどれも全てが、ビートたけしの弟子であったからこそ行けた異国の地であり、全て殿がらみでの思い出の海外旅行なのです。

僕という人間は、殿の弟子になるまで、海外旅行はおろか、飛行機にも乗ったこのない、かっぺな鎖国野郎であり、今だ自分の意志や力で海外へ渡航したことなど一度もないのです。
ですから、
海外の思い出は、=‘殿との思い出‘となるシステムとなっており、
今回は、そういった思い出を書いていくと決まっているのです。

まず、今から6程前、殿からいきなり
「お前らもゾマホンと一緒にベナンに行ってよ、ちょっとアフリカ見てこいよ」と、まるで‘千葉へ行って落花生でも取って来い‘、といった、実に気軽い思いつきの殿の発言により、急遽、
当時、殿の付き人をしていた、現・ベナン在日大使を務めるゾマホンの帰郷に同行する形で、アフリカはベナンへと、たけし軍団の余剰人員である若手総勢5名にて、パリ〜リビア経由の32時間コースを経て、ベナンへ入国したのです。

で、
その際、旅の途中で殿に連絡を一切いれることを忘れていたため、
ベナンに到着してから電話にて報告を入れると、受話器の向こうの殿は、
「心配しただろ!ちゃんと途中で連絡いれろ!」と、
弟子になって初めてといっていいほどの、力強い声で叱られたのです。

きっと、旅の提案者である殿は、あまりにも遠い異国へ向かった、ポンコツ集団の弟子のことが気になって仕方がなかったのでしょう。

しかし、トランジットを入れて片道32時間は、あまりにも遠い旅でありました。で、
クタクタになり、ベナンに深夜到着すると、空港には、
ゾマホンがベナンで運営している、誰もが無料で日本語を習える、
「たけし・日本語学校」の生徒達が「ようこそベナンへ」といった日本語の垂れ幕を持って、30数名の大所帯にて、歓迎のお出迎えをしてくれたのです。

ここまでは大変感動的な光景であり、僕達も、そのベナンの方の
人柄の良さに感心し、感激していたのですが、空港の駐車場で唐突に始まった、歌と踊りの歓迎の宴は、その後、ゆうに2時間と続いたのです。


大勢いた、現地の日本語学校の中には、ひと目見て、‘こいつがベナンで一番のひょうきん者か‘といった、ムードメーカー的な、褐色の柳沢慎吾的な、若い男性がたびたび踊りだし、言葉がわからないなりにも、なにかしら要所要所で面白いことを言ってそうであったのですが、いかんせん慣れない長旅の疲労がピークに達していたため、心の中は誰もが、
「もう勘弁してください・・」といった、
約束の金利を払っても永遠におわることのない闇金にはまってしまった、
か弱き庶民のごとく、なんともやりきれない、諦めた表情を浮かべ、ただただ、陽気過ぎる、アフリカンな踊りを眺めていたのでした。

このいきさつを、帰国して殿に報告すると「しかしくだらね〜な〜」と、大爆笑されていました。


初めてのアフリカは月並みですが、雄大であり、過酷な地であることを
たっぷりと痛感したのですが、なにより、ゾマホンが生まれ育った、電気も水道もない、土壁でできた生家と、その集落を訪れた時、
失礼ないい方かもしれませんが、まず思ったのは
「あいつはここから日本にたどり着き、さらには殿と巡り会ったのか!
なんて運の強い奴なんだ!」と、痛感したのです。

そして、ゾマホンの生家を見たときの、この勝手な気持を、やはり帰国後
殿にお話する機会があったのですが、殿
「なにかをやり遂げる奴ってのは、強い運を持っていて、要所要所でちゃんと助けてくれる奴に出会うように出来てるんだよ」と、さらりと言われたのです。

都合1週間ほど、ベナンに滞在して、その間ゾマホンが建てた小学校3校を
見て回り、予定どおり帰りの便に飛び乗ったですが、
ベナンを発って一回目のトランジットの先のリビアにて、
「お前はミャンマー人で、このパスポートは偽物だから帰れないぞ」と、
大変体臭のキツイ、腰にむき出しの銃をさしていた、髭の面積が顔の
7割は覆っていた大男の税関の職員にあらぬ疑いをかけられ、足止めを食うこと
2時間といったアクデントに襲われ、最後にはリビアの日本大使館の職員に電話で泣きつき、時間ぎりぎりで次のトランジット先のパリ行きの便にすべりこむといった、芸人の旅の土産話しては、なんとも物足りない弱い事件にも遭遇しながら、とりあえずなんとか無事日本へ帰国したのです。

恐ろしくどうでもいいことなのですが、日本の地を踏み、
まず食したのが、ラーメンと半チャーハンです。

そして、
帰国して、4ヶ月後には、なぜか「北郷もまたちょっと行ってこいよ」
といった、殿の発言により、僕は再度アフリカはベナン共和国へと旅立つことになるのです。

そのお話はまた。

写真

写真は、去年、ふらっと楽屋に遊びにきては
「あ〜いぼ、今夜時間ある?六本木に飲み行かない?いいママのいる店があんだって」と誘っていた、ビートきよしさん越しのビートたけしさんです。

2014.1.7   アル北郷

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〆さばアタル・プロフィール

生年月日:1968年11月4日
出身地:香川県
1989年にビートたけしに弟子入り漫才師として「ダウソタウソ」「ウッチャソナソチャソ」「ダッチョ倶楽部」など師匠につけられたパチモノのコンビ名で活動。現在は「情報7daysニュースキャスター」などで自称ブレーンを務める。

アル北郷・プロフィール

生年月日:1971年8月26日
出身地:東京都
96年、ビートたけしに弟子入り。
08年、映画「アキレスと亀」にて東京スポーツ映画大賞新人賞受賞。
現在TBS系「情報7daysニュースキャスター」ブレーン。「週刊アサヒ芸能」にて「決して、声に出して読めない たけし 金言集」好評連鎖中

 

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