「殿とタップと僕」その7
殿とたけし軍団3軍な僕たち若手が、夜な夜な、ドカドカとタップダンスの
稽古をしていた頃、殿の自宅兼稽古場には、ある時期、たけし軍団だけでなく、
さまざまな方が顔を出すようになっていました。
役者の方々や、歌舞伎界のプリンスの方々などが殿にタップを習いに来ていたのは、以前にも書きましたが、
一時期、海外から北野映画の熱心なファンの、“青い目のキタニスト”たちが、次々に来日しては稽古場を訪れ、殿と僕たち若手と一緒に飯を食うといったことが、やたら続いたことがありました。
これは、もう10年以上も前から、ヨーロッパの映画祭の常連である北野武監督が、行く先々の映画祭にて、北野映画の熱心な外国のファンに対し、
「いつでも日本に遊びきて下さい。泊まるところと飯ぐらいは心配いりませんから」と、声かけてきたことが原因であり、
北野武監督のこの言葉をまるっきり鵜呑みにし、実際に帰りの飛行機チケットと、わずかな所持金だけを握りしめた、パックパッカー同然のイタリア人やフランス人の若者が、次々にやってきてはファンである北野武監督になにかとお世話になるといった、よくわからない現象が起きていたのです。
一時期、僕は殿の指示により、まったく日本語の喋れないフランス人と
都合一年にわたり、一緒に暮らしていたことがありました。
このフランス人、名をリリアンという映画オタクであり、映画監督志望の20代後半の若者で、3ヶ月の観光ビザで日本に来ると、期限一杯まで日本に滞在し、一旦帰国してはまたすぐに日本やってくるといったことを繰り返していました。
このリリアン君、無職であり、要するにただのフリーターだったのですが、
あまりにも短期間のうちに日本にやってくるため、3度目の来日の時には、
税関で完全にドラッグディーラーの疑いをかけられ、半日ほど拘束されていました。
ちなみにリリアン君、身長が165cm程の小男で、頭は20代だというのにすでにハゲかかっており、いつもくたくたよれよれのTシャツを着ていて、
まったくフランスの風を感じることのない青い目のオタク青年でありました。
さらに、なかなか世間知らずな外人さんでもありました。
彼、日本にいた間、毎晩僕の携帯電話から夜中の2時過ぎに、
フランスのトゥールーズにいるお母さんに電話をかけていたのですが、
その電話は毎回30分を越す長電話で、リリアン君が一ヶ月にかけた電話代が、僕の半年分の電話代をはるかに超えるという苦しい事態になり、
さすがに困り果て、
「リリアン君、頼むからもう少し電話を控えてくれませんか」と、
丁寧にお願いすると「OK」と、笑顔で返事をするものの、また夜中になると
「ケイタイ カシテクダサ~イ」と
片言の日本語でお願いされ、やはり長電話を繰り返すのです。
フランスの方は、なぜか、外国への通話は、お金がからないものと思っているようです。
リリアン君の他にも来日してくる“青い目のキタニスト”たちはフランス人がほとんどであり、みなほぼ日本語が喋れず、
当時、殿の付き人をしていたゾマホンが通訳として機能していました。
ただ、ゾマホン自体が普段から話しが長く、さらにやっかいなことに、
自分の気持を勝手に足して通訳するため、聞いていて、
「絶対そんなこと言ってねーだろ!」
といった気持ちを常にいだかせる通訳ぶりであり、
一度など、通訳の最後に
「自分もアフリカのことを大変心配しています」と、
明らかに言っていないであろう言葉を足したため、
殿から
「おい、アフリカを植民地にしてフランス人がそんな事言うわけねーだろ!勝手に自分の言葉を足すな!」
と、きついつっこみを入れられていました。
で、
稽古場に遊びにきていた、外国人の中に、やはりフランス人で、
フリーのジャーナリストの方がいたのですが、彼、3ヶ月ほど
まめに稽古場に通い、毎晩殿にインタビューを試み、
その2年後には、「KITANO PAR KITANO」というインタビュー形式の殿の自伝を、フランスと日本でそれぞれ出版していました。
ちなみに、殿がインタビューの時に
「この北郷は、名前のとおり、北の郷からやってきた、北からの脱北者で、オレの弟子になるまで、血の滲むような苦労をしてきたやつなんだ」
と、冗談で発言すると、彼はそれを完全に信じ込み、出版された自伝にはしっかりと、
「弟子の北郷は元脱北者」と書いてあり、
一時期、それを読んだ方々に
「北郷さんは大変苦労されて今日まで頑張ってきたんですよね」的な、
慈悲深い言葉を行く先々で何度もかけられ、僕もいちいち修正するのも
めんどくさくなり
「はい。まだ5歳の頃、凍った冷たい川を母と命からがら渡り、まずは韓国へ渡ったんです。それからも苦労の連続でした・・・。」
と、遠くを見ながら熱く語らせてもらいました。
とにかく、一時期、タップの稽古場には常に誰かしら外人さんが顔を出していて、ゾマホンも含め、たけし軍団外人部隊の結成も時間の問題では?と思われた程であったのです。
そんな中に、一人イタリア人で、日本語もペラペラな、かなりイケメンの、
名をグレッグといった若者がいたのですが、彼、とても陽気な性格と
そのイケメンぶりを存分に発揮し、毎晩渋谷のクラブへ繰り出しては
日本人女性撃ちんしていたため、殿から「この不良外人!」とからかわれていました。
そんな彼がイタリアへ帰国する際、殿から「日本での思い出に」と、
お土産として殿より超高級時計をプレゼントされイタリアへ帰っていった事がありました、その様子を見ていた僕は、
「殿、わたくしも実は父がイタリア系でして、このたび父の故郷のシシリアへ帰ろうかと思います。つきましては、高級腕時計限定のお土産を頂きたいのですが・・・」
と、ふざけていると、
「バカ野郎! なにいっていやがんだ。お前の故郷は北だろ!」
と、キツイ一発を殿から放り込まれたのです。
ちなみに、このイケメンのグレッグ、その後再度日本に来日し、
今現在、殿が世田谷に建てた、「等々力ベース」に住んでいたりするから不思議です。
写真は、なぜか、とにかく自転車のサドルが好きな、
最近携帯のショートメールを使いこなす、足立区出身の北野武さんです。
2013.10.8 アル北郷
生年月日:1968年11月4日
出身地:香川県
1989年にビートたけしに弟子入り漫才師として「ダウソタウソ」「ウッチャソナソチャソ」「ダッチョ倶楽部」など師匠につけられたパチモノのコンビ名で活動。現在は「情報7daysニュースキャスター」などで自称ブレーンを務める。
生年月日:1971年8月26日
出身地:東京都
96年、ビートたけしに弟子入り。
08年、映画「アキレスと亀」にて東京スポーツ映画大賞新人賞受賞。
現在TBS系「情報7daysニュースキャスター」ブレーン。「週刊アサヒ芸能」にて「決して、声に出して読めない たけし 金言集」好評連鎖中