8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第29回2017.08.16

史上初の複数メダルを実現させた50km競歩
荒井&小林のレース翌日インタビュー

男子50km競歩は荒井広宙(自衛隊体育学校)が銀メダル(3時間41分17秒)、小林快(ビックカメラ)が銅メダル(3時間41分19秒)を獲得し、テレビ視聴者にも日本競歩の強さを見せることに成功した。
金メダルのヨハン・ディニ(フランス)に8分の大差を付けられたが、ディニは一か八かのレースをする選手なので、致し方ないところはある。それよりも五輪を含めても史上初めて、同一大会で複数メダルを獲得した日本競歩の躍進が見事だった。丸尾知司(愛知製鋼)も5位(3時間43分03秒)に入り、これも史上初の3人入賞を成し遂げた。
レース翌日(8月14日)に荒井と小林のメダリスト2人に、レースを振り返ってもらいながら日本競歩躍進の背景も語ってもらった。

連続メダルのプレッシャーにどう対処したか

Q.荒井選手はリオ五輪銅メダルに続くメダル獲得でしたが、チームの先輩でもある谷井孝行(自衛隊体育学校)選手から、連続メダルの難しさを学んだところはありますか。谷井選手は北京世界陸上で競歩初の銅メダルを取りましたが、リオ五は14位に終わってしまいましたが。

荒井:谷井さんは人一倍責任感が強い方なので、周囲の期待を正面から感じてしまわれたのだと思います。プレッシャーとどう向き合うかは、学ばせてもらいました。谷井さんは全部を受け止めてしまわれる方ですが、僕は無理なものは無理と、受け流すことができるタイプ。谷井さんの失敗から学ぶというよりも、リオ五輪でメダルへの道筋ができたので、その道筋でやることの精度を上げることを考えました(第1回コラム参照)。

Q.小林選手は過去の海外レースで、種目は20km競歩だったとはいえ、失敗が多かったことが不安材料にはなりませんでしたか。

小林:失敗は多かったかもしれませんが、怖さや苦手意識はありませんでした。失敗して、学んできたものが今回生かせたと思います。以前は飛行機移動で体調を崩したりして、動きがおかしくなっていましたが、それも何を直したというより、慣れてきた感じです。試合だからと無理に型にはめず、ある程度リラックスしてやれば良い。6月のラコルーニャの国際陸連競歩チャレンジ(8位・1時間21分17秒)では、前日に30kmをやって、2日間で50kmを歩きました。

レース中の位置取りと給水

荒井:あまり引っ張らない方が体力を温存できます。集団の中で極力、隠れているようなイメージで歩いていますね。でも今回に関しては、ペースが上がっていないと感じたときは前に出て引っ張りました。ずっと引っ張ると疲れてしまうので、また後ろに下がって温存して。集団のペースを上手く操作できました。それは過去にはなかったことです。リオ五輪でメダルを取ったことで周りが意識してくれて、僕の前に出てきた選手はあまりいませんでした。出てきても、どちらかというと無名選手たち。ダンフィー選手(カナダ。リオ五輪で荒井と競り合って4位)はずっと僕の後ろにいましたし。今年はちょっと、自分から攻めて行くレースができたのかな。

Q.小林選手は何度か、荒井選手から給水を手渡されていましたが?

小林:給水に失敗したというより、荒井さんが気遣ってくださったんです。声をかけながら、水を渡していただいてありがたかったです。

荒井:自分は毎回水をかぶるようにしていました。小林にも水を渡していましたが、要らなければ捨ててくれればいいから、と。自分の経験を押しつけていたわけではなくて。

小林:暑さをあまり感じていなくて、欲しいと思わなかったので、給水テーブルの方に寄らなかったんです。

荒井:レース中の感覚は人によって違います。僕は欲しいと思ってテーブルの方を歩きましたが、僕がいたせいで取れなかったら申し訳ないな、と思って。
※日本チームは体に水をかけて体を冷やす方法を推奨しているが、個人のデータをとり、適な方法を個々にアドバイスしている

「キレがなかった」37km過ぎの荒井のスパート

Q.小林選手は選考会の全日本競歩高畠よりも速いペースでしたが、不安なく歩けたのでしょうか。

小林:高畠から10カ月練習してきましたから、昨日のペースでも怖さはなかったですね。50kmのレースは1回だけで経験は全然ありませんが、成功体験しかありません。怖さよりイケイケで歩くことができました。最初から楽しかったですね。応援もすごくしていただいて。

Q.荒井選手は37km過ぎでスパートして、日本選手2人だけの争いに持ち込みました。あの地点でスパートした理由は何だったのでしょうか。

荒井:ここだ! という感じのスパートではなかったですね。35〜40kmで勝負に出るイメージをずっと持っていて、そろそろ行こうかな、と無意識に近い感じのペースアップでした。何秒スピードを上げようとかいう計算もなくて、体が動くままに行きました。そもそも、時計はほとんど見ていなかったんですよ。タイムを意識してしまって、今は何秒で歩いているから、というところを根拠とするより、自分の感覚で勝負に行く方が、見誤らずにすみます。

Q.日本選手は心拍数も見ながら歩いていますが、どう判断材料に使ったのですか。

荒井:心拍数は160(毎分)がベースですが、昨日は少し高かったですね。若干不安もありましたが、170までは上がりませんでしたし、心拍数はあくまで目安ですから。用心しながらも調子を見て、自分の感覚を優先しました。

Q.小林選手は37km過ぎのペースアップに対応したとき、どんな状態だったのでしょう?

小林:(ちょっと間を置いてから荒井に向かって)あの時、そんなに上がりました?

荒井:スーッという上げ方かな。

小林:僕もそんなに上がったと思わなくて、つかなければ、とか、上げなければ、という感じにはならなかったですね。たまたま集団の前の方を歩いていたから、レースの動きに合わせて自然と上がっただけ、という感じでした。

荒井:キレキレではなかったですね。

小林:集団の後ろにいたら、後ろで歩いていただろうし、前にいたから一緒に前に行った。ペースが上がったとか考えずに歩いていたら、他の人がいなくなっていました。

荒井:ペースアップしたことをわからせないような、ペースアップだったのかもしれない(笑)。単にキレがなかっただけですが。

リオ五輪のメダルとの違いとは?

Q.2人の争いになってからは声を掛け合いながら歩いたそうですが、どんな内容でしたか。

小林:警告が何個出ている? と聞かれて、まだ1個です、と答えたり、フォームをしっかりさせて落ち着いて行けば大丈夫だから、と言っていただいたりしました。警告が出て硬くなってしまったところもあったので、荒井さんが声をかけてくれたおかげで平静さを保つことができました。2人でメダル取れるから頑張ろう、ということも言っていただきました。

荒井:日本人同士で潰し合って、結果的にメダルが取れなかった、という事態は避けたかったんです。実際、10何秒後ろに4位の選手が歩いていたので、2人で力を合わせてレースを進め、2人でメダルを取りに行こう、と。最後に僕がやられてしまって3位になるかもしれなかったけど、それはそれで仕方ないかな、と。

小林:僕は警告も1回受けていましたし、いっぱい、いっぱいのところもあったので、荒井さんにすごく助けられました。最後に上げる余裕が荒井さんにあるのはわかったので、勝てないな、と感じました。2人でメダルを取るための荒井さんの優しさだったと思います。ゴールしたとき、数秒でしたが先にゴールされた荒井さんが笑顔で待ち構えていたのがすごくうれしかった。

Q.小林選手は2回目の50km競歩でメダルを取りました。谷井選手や荒井選手は、何度も挑戦してのメダル獲得でした。それができた理由は何だったと、ご自身では思いますか。

小林:日本の競歩は多くの先輩方がメダルを取ったり、入賞されたりしてきました。一昨年は谷井さんが北京世界陸上で銅メダルを取り、昨年は荒井さんがリオ五輪で銅メダルを取りました。ということは、その2人と遜色ないことをしていれば世界で勝負ができる。谷井さん、荒井さんを目標にして行けば良いと思っていたので、世界に対して臆することはありませんでした。

Q.荒井選手は銅メダルのリオ五輪と比べ、表彰台に上がったときの気持ちに違いがありましたか。

荒井:楽しむ余裕があったように思います。(表彰台に)また戻って来られたな、と。去年は爆発的な喜びで、現実感が伴っていませんでしたが、今回は安堵感のある喜びです。以前は夢見る対象だったメダルが、現実的になっている。日本の競歩の進歩を示した大会だったと思います。次はセンターポールに日の丸を揚げて、国家を斉唱したいです。両サイドに国旗が揚がった光景も、それはそれでうれしかったですけどね。日の丸が2つも揚がっている、って。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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