8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第13回2017.08.05

ファラー1万m3連勝に感じられた地元ファンとの絆。
日本の実業団在籍選手とのライバル関係は、舞台をマラソンに移しても継続

初日唯一の決勝種目である男子1万mはモハメド・ファラー(英国)が26分49秒51で3連勝。
2012年以降、五輪&世界陸上では負け無しの5連勝を飾った。ファラーは4人の子どもたちをトラックに招き入れてウィニングラン。地元の英雄の感動的な勝利だった。
打倒ファラーに燃えていた日本の実業団所属の2人は、九電工のポール・タヌイ(ケニア)が1秒09差の銅メダル、ビダン・カロキ(同)は26分52秒12の自己新を出したが4位と敗れた。
だが、マラソン進出を表明しているファラーに対し、カロキがマラソンでの“打倒・ファラー”を宣言。ファラーと日本の実業団在籍選手との戦いは、今後も続いていく。

最後の1万mを地元Vで締めくくったファラー

これほど感動的な優勝シーンは、そうそうお目にかかれない。
レース中から、ファラーが集団の中のポジションを変えるだけで、ロンドンスタジアム全体が地響きを立てるような歓声に包まれた。残り2周で先頭に並び、スパートするタイミングを見計らい始めると、伝家の宝刀を期待する場内のボルテージは最高潮に。そして期待に違わず最後の直線でスパート。地元観衆は至福の13秒間を過ごした。
ファラーは戦火を逃れ、ソマリアから英国に移住したきた選手。今大会と同じロンドンスタジアムで開催された2012年ロンドン五輪で2冠になり、「人生を変えてくれた場所」と、特別な思い入れがある。
フィニッシュしてスタンドの家族に駆け寄ったファラーは、カメラマンの大群に埋もれてしまうほど。子ども4人をトラックに招じ入れてウィニングランをする姿には、地元観衆への感謝の気持ちがにじみ出ていた。
「本当に特別な瞬間でした。家族と一緒にトラックで過ごすことは、スペシャルとしか言いようがありません。あの時間が終わってしまうことが、たまらなく寂しく感じられました」
ファラーと地元観衆が心の絆でつながっている。極東から取材に来た人間にも、それが十分に伝わってきたロンドンスタジアムの光景だった。

ファラーに挑戦し続けたタヌイが、4大会連続メダル獲得

対ファラー包囲網は今回も打ち破られたが、ライバルたちも精一杯の戦いを挑んだ。第11回コラムで紹介したように、唯一ファラーを破る方法が、残り2000m以上からの超ロングスパートだった。
タヌイは「チーム戦術があったわけではない」と言うが、残り3000mからタヌイ、ジョシュア・キプルイ・チェプテゲイ (ウガンダ)、アバディ・ハディス(エチオピア)が交互に先頭に立ち、ファラーを振り切ろうとした。ファラーに勝つにはこの方法しかない、と暗黙の了解が選手間にあったのだろう。
それでもファラーを止めることができなかった。リオ五輪銀メダリストのタヌイは、世界陸上はこれで3大会連続銅メダル。残り1周で先頭を走るファラーに並びかけたシーンに、タヌイの勝利への気持ちが表れていた。
「最後の1周は本当に、本当にハードでした。力は何も残っていませんでした」
タヌイの攻めの走りもファラーには通用せず、最後の1周で1秒09離されてしまった。
“打倒ファラー”へ最短距離にいる選手だったが、そのチャンスは永久に失われたことになる。しかし、昨年のリオ五輪もそうだったが、タヌイはまずファラーへの尊敬を口にする。
「ファラーは紛れもなく世界ナンバーワンの選手。私もリオで銀メダルを取っていますが、銅メダルを取ることができて光栄に思っています」
もう1人のカロキは4位。ファラーが金メダルを取った5大会すべてで入賞と、高いレベルで安定した成績を残した。
「ファラーに勝つには26分45秒で走る必要があった。瀬古さんが言われたように、残り2000mを5分00秒で走ることです」
勝利への意欲を持ち続けて、今大会にも挑んでいたことが伝わってきた。

「マラソンでは負けない」と、カロキが打倒ファラーに意欲

カロキが強調したのは、「ロードではファラーに負けない」という点。
5000mがまだ残っているが、ファラーは今大会を最後にトラック種目から離れ、マラソンに本格的に進出する。試合数の少ないマラソンなら家族と過ごす時間が多くなることも、マラソンを走る理由の1つだという。
だが、長い距離やロードでの走りに適性があるかどうかは、やってみなければわからない。ファラーもすでに一度だけ、マラソンを走っている。2014年4月のロンドン・マラソンで2時間08分21秒の8位だった。
それに対してカロキは、今年4月のロンドン・マラソンで2時間07分41秒の3位。そして、ハーフマラソンの直接対決では、カロキが勝っているのだ。昨年の世界ハーフマラソン選手権で、カロキが59分36秒の2位、ファラーが59分59秒の3位だった。
「一緒に走って勝つことができましたし、タイムもファラーに勝っています」
カロキの言った“タイム”は、ハーフマラソンを自身が59分台で6回走っているのに対し、ファラーは3回しか59分台で走っていないことを指す。
今シーズンの戦績を見ると、マラソンに取り組んだことでカロキがベースアップしたことがわかる。4月下旬のロンドン・マラソン後に休養を入れる選択肢もあったが、2カ月後の1万mのケニア国内選考会に出場して2位。そして世界陸上ロンドンでの自己新(4位)の快走。本人も「ここまで来られるとは思っていなかった」という活躍を続けている。
2〜3月にはマラソン用に、距離走も多く行ったカロキ。今季の流れで1万mの自己新が出せるなら、マラソンでも世界トップレベルへの成長が期待できる。

ファラーと日本の実業団在籍選手との“つながり”は、運命的なものがある。
ファラーが勝負強さを身につけたきっかけが、2011年のテグ世界陸上1万mでイブラヒム・ジェイラン(エチオピア)に敗北したことだった。ジェイランは当時、日本のHondaに所属していた実業団ランナー。13年以降は九電工のタヌイが4大会連続でファラーに挑み、そして今後はマラソンで、DeNAのカロキが“打倒ファラー”に意欲を燃やしていく。
ファラーを指導するのはナイキオレゴンプロジェクトのアルベルト・サラザール氏で、カロキの所属するDeNAの総監督は瀬古利彦氏。2人は現役時代、マラソンでライバル関係だった。ラストスパートでは、瀬古氏の方が間違いなく強かった。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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