8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第8回2017.08.02

展望コラム(8) 山本聖途&衛藤昂
見せたい跳躍ニッポンの存在感。
リオ五輪後に新たなスタートを切った2人に入賞のチャンス

跳躍陣もやってくれそうな雰囲気がある。
男子棒高跳の山本聖途(トヨタ自動車)は2013年モスクワ世界陸上6位入賞者で、今季は5m70台を3試合で跳んでいる。シーズンベストの5m72は今季世界16位タイだが、5m75なら世界11位タイとなる(棒高跳、走高跳は同記録が何人もいる)。世界8位の5m80も十分に望める好調さだ。
男子走高跳の衛藤昂(AGF)は2m30を2試合でマーク。今季世界12位タイにつけている。その2試合以外も高いレベルを維持し、オールスターナイト陸上(7月22日)で惜しい跳躍だった2m32を跳べば、今季世界5位タイだ。
競歩や4×100mRがメダル候補として注目される世界陸上ロンドンだが、跳躍陣も入賞して存在感を示す。

2度目の入賞に意欲を見せる山本

山本聖途が世界陸上2度目の入賞に、4年前(モスクワ大会6位)とは違う形で近づいている。
世界陸上前最後の試合となった市原ナイター(7月15日)で、今季3度目の標準記録突破となる5m72に成功した。5m80(日本歴代2位相当)にバーを上げ、その3回目は脚がかすっただけ、という非常に惜しい跳躍だった。
山本も自信を深めている。
「トータルで良くなっています。第一に助走から踏み切りの流れを作り、そこからスイングに持っていく形をしっかりと作れている。(モスクワ世界陸上で入賞した)2013年と同じくらい、高いレベルで記録が安定してきました。いつでも5m70が狙えるようになっています」

記録は4年前と同じレベルになったが、内容は大きく違う。
一番の違いはポールの長さだ。
当時は16フィート5インチ(約5m00)を使って跳んでいたが、翌年に16フィート9インチ(約5m10)のポールに変更した。硬さも硬くなった。モスクワ世界陸上の頃は、山本の技術の上手さで跳んでいたが、さらに上を狙うためにはポールのグレードアップが必要だった。世界のトップ選手のスタンダードが、この長さのポールなのだ。
ポールの変更とは関係ないが、14年以降の山本は腰の状態が万全ではなかった。腰の状態が良い時に室内の試合で5m77(室内日本記録)を跳んだこともあったが、5m70以上を安定して跳ぶことができなかった。15年の北京世界陸上こそ5m65で予選通過にあと一歩と迫ったが、14年仁川アジア大会、昨年のリオ五輪は最初の高さが跳べず、記録なしという不本意な結果に終わった。

今季の好調は腰の状態が良くなったこともあるが、リオ五輪後に小林史明コーチの指導を本格的に受け始めたことも大きい。
「自分が当たり前と思っていたことが、当たり前ではなかったし、本当に一からやり直しています」
その1つが助走を開始する位置で、今季からピットの左側に立つようにした。山本は右の方に走っていくクセがあったのに、昨年までは中央から走り始めていた。
もう1つは助走中のポールの倒し方。これまでは右上から左下方向に斜めに倒していたが、今は前方向に真っ直ぐ倒すようにしている。その方がポールの重さを利用して、助走のスピードを楽に出すことができる。
もちろん、雌伏の3シーズンがまったく無駄だったわけではない。
「ポールの突っ込み動作など、腰を痛めたからわかった部分もあります。2年半が無駄ではなかったと、見方を逆転できる結果をロンドンで出したい」
5m70までノーミスで跳べば、決勝進出は間違いない。決勝で5m80を跳ぶことができれば、4年前の6位を上回ることもできそうだ。

踏み切りが格段に強くなった衛藤

安定した強さを見せる衛藤昂に、走高跳初入賞の期待を持てるようになった。
4月に2m30と早い段階で標準記録をクリアすると、5月のゴールデングランプリ川崎でも2m30に成功。中部実業団とオールスターナイト陸上(実業団・学生対抗)でも2m27を跳ぶなど、練習や調整として出場した試合でも高いレベルを維持している。オールスターナイトでは2m32の日本歴代2位も、体は完全に浮いていた。
安定した成績の理由を「踏み切りが強くできるようになったからです」、と話した後に「ちょっとでなく、かなり強くなっています」と衛藤は付け加えた。「1cmしか自己記録を更新できていないのは、かなりのもやもやです」という言葉からも、さらに記録を出す手応えがあることがわかる。

一昨年は標準記録の2m28を静岡国際、ゴールデングランプリ川崎の2試合で跳んで北京世界陸上に出場。昨年も土壇場の日本選手権で標準記録の2m29を跳び、リオ五輪に出場したが、ともに予選落ちに終わっている。
「ロンドンに間に合わせるために、昨年は秋シーズンも冬期トレーニングに充てました。技術だけでは世界に追いつけないとリオで感じたので、これまで以上にウエイトトレーニングに取り組んだのです。股関節周りのベーシックな筋肉を半年間、ひたすら鍛えました」
昨年まで踏み切り技術を徹底して行ってきたことが、筋力との融合をスムーズにしたのだろう。
衛藤の2m30は今季世界12位の記録。オールスターナイト陸上でバーを上げた2m32を跳んでいれば、世界5位に浮上していた。ダイヤモンドリーグ・パリ大会では、世界のトップ選手が集まるなか8位に入った。予選落ちを繰り返していた昨年までの衛藤とは、明らかに違う。
「ダイヤモンドリーグでは緊張もしなかったですし、ビビったり臆したりしないで試技ができました」
バーの上げ方がまだ発表されていないが、2m27〜28をノーミスで跳べば予選通過は濃厚だ。今季の衛藤なら、難しいことではない。

衛藤のライバルへのコンプレックス。山本が感じてしまった学生と社会人の違い

衛藤は今季の成長を踏まえた上でなお、年下のライバルである戸邊直人(つくばTP)への「コンプレックスは拭えない」と明かした。同じチーム(筑波大)だったこともあるし、ヨーロッパ遠征で行動を共にしたこともある。
だが2人を見ると、本人にそのつもりはなくても、戸邊の存在の方が世間の目を引く。高校記録を持ち、2m近い長身選手で、「誰もがその将来性を期待するのは当たり前」(衛藤)という選手だ。ダイヤモンドリーグで2m30台を連発したシーズンもあった。
戸邊の自己記録は2m31で衛藤とは1cm差だが、衛藤にとっては色々な意味がある1cm差のようだ。
記録でも、ダイヤモンドリーグの実績でも勝てないが、ロンドンで入賞すれば、戸邊よりも先に世界陸上初入賞の快挙を達成することになる。コンプレックスと聞くと負の感情のように思ってしまうが、衛藤にとっては前向きな感情なのだ。

山本は5年前のロンドン五輪で記録なしに終わったが、翌年のモスクワ世界陸上で6位入賞を果たした。ロンドン五輪は初代表で初の海外試合でもあったが、そのときの山本の悔しがり方は、すさまじいものがあった。屈辱を上昇のエネルギーに転換し、世界陸上跳躍種目最高順位にまで昇華させたのである。
だがそれは、「学生の勢いでできたこと」と山本自身が振り返ったように、その2年は“学生競技者・山本聖途”の時代として、セットだったと解釈することもできる。
その後の停滞は腰の痛みが要因だが、社会人としてのプレッシャーもあったという。自分の思いだけに素直に競技ができた学生時代と違い、社会人となって色々なものを背負ってしまった。ただ、それは誰もが経験することで、自身の社会的な状況を追い風とできないようでは、スポーツ選手として大成できない。
リオ五輪直後は引退も考えたが、小林コーチとの再出発を決意した。山本の5年ぶりのロンドンは、より成熟した競技者に成長したことを見せる場となる。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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