8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第21回2017.08.10

ロンドン五輪出場から5年後の世界陸上ロンドン。
中距離解説者の横田真人さんの感じている“つながり”

ロンドンで最も“つながり”を感じさせる人物の1人が、中距離解説者の横田真人さん(NIKETOKYOTCヘッドコーチ)である。5年前のロンドン五輪に選手として出場。男子800mでは1968年メキシコ五輪以来、日本人として44年ぶりにオリンピックを走った。停滞していた男子800mの歴史をロンドンで動かした。
その後もリオ五輪の準決勝で戦うことを目指し、海外に練習拠点を求めたりしながら競技を続けた。残念ながら連続代表入りはできず、昨年いっぱいで現役を引退。しかし、横田さんの日本記録を更新した川元奨(スズキ浜松AC)が、リオ五輪に出場してこの種目の伝統を引き継いだ。
解説者としてロンドンに戻ってきた横田さんの目に、今の世界の800mはどう映り、日本の800mがどう感じられたのか。そして指導者となったタイミングでロンドンに来たことで、今後への“つながり”も明確になってきた。

中距離的な面白さ満載だったボスの優勝

ピエール・ボス(フランス)の男子800m(8月8日)優勝は、予想外ではあったが、中距離の醍醐味を我々に見せてくれた。
接触や細かい上げ下げを避けられる集団の後方(6番手)でレースを進め、残り250m付近で一気にギアをトップに入れた。残り200mで先頭に躍り出るとリードを1m、2m、3mと広げ、最後はアダム・クチョット(ポーランド)に2m差まで追い込まれたが、余裕で逃げ切った。
横田さんもボスに注目していたが、五輪&世界陸上では7位(13年モスクワ)、5位(15年北京)、4位(16年リオ五輪)とメダルを取っていなかった選手。「最後に拾ってメダルを狙うのでは」と予想していた。残り250mからのスパートは金メダルを狙いに行ったものだが、最後まで持たなかったらメダルを逃していた可能性もあった。
レース後のボスが、半分冗談なのかもしれないが、次のようにコメントした。
「自分はギャンブラーで、カジノに行くのも好き。今日はまさにギャンブルをした。手持ちのすべてを(ルーレットの)赤に置いたんだ」

それに対し横田さんが本命と見ていたクチョットは最後尾でレースを進め、バックストレートで7番手まで上がり、残り150mからスパート。ある意味自分のパターンで走ったが、その時点でボスとは10m近い差が開いていた。
横田さんは次のようにレースを分析した。
「もう少し早くボス選手の後ろについたら、違った結果になったかもしれません。位置取りの違いが勝敗を分けましたね。大舞台でチャレンジできたかどうか。言葉を換えれば、リスクをとれたかどうか。クチョット選手は、ボス選手をマークしていなかったんじゃないでしょうか。ベット選手(ケニア)やアモス選手(ボツワナ)を見ていた。それも含めて裏をかいたスパートが勝因です」
5年前のロンドン五輪はデビッド・ルディシャ(ケニア)がスタート直後から先頭に立ち、独走で世界記録(1分40秒91)を樹立。五輪&世界陸上で記録を狙って独走することは、リスクがあまりに大きい。それまでの常識では考えられない中距離を、五輪&世界陸上に持ち込んだのがルディシャだった。

そのルディシャも2013年以降は故障を繰り返した。
15年以降は復帰して北京世界陸上、リオ五輪と連続金メダル。先頭に立ってレースを支配する走りはしていたが、ロンドン五輪のような革命的な走りはできなくなっていた。ルディシャが故障で欠場した今回は、持ちタイムの良し悪しよりも、戦術的な走りが勝敗を左右する中距離らしいレースが展開された。
横田さんの各選手の評価、特にロンドン五輪2位だったアモスへのコメントに、それがよく表れている。
「元々各選手の力の差が小さく、混戦が予想されました。アモス選手は2回接触した後に良い位置を取るため、強引に前に出たりしていました。混戦状況でそれはやってはいけないこと。ロンドン五輪のようにルディシャ選手について行くだけなら、強さを発揮できるんです。ダイヤモンドリーグのようにペースメーカーが引っ張って、あとは粘るだけという展開でも。(五輪&世界陸上のようにペースメーカー不在で)ラウンドを勝ち上がる大会は不向きなのかもしれません」
どちらも中距離の醍醐味だが、ルディシャの全盛時だった5年前のロンドンと、戦術的な部分が強調された今回のロンドン。両者の違いを目の当たりにした横田さんだった。

4位の英国選手に見た日本中距離の進む道

今回、川元奨は僅かのところで標準記録を破れず代表入りできなかったが、横田さんの本音は「日本人の走るレースを解説」したかった。
「僕は海外の選手とも、川元君とも何度も一緒に走ってきて、彼らの強さも弱さもよくわかっています。川元君は、その力を出せるかどうかはまた別ですが、準決勝に進む力はある。ずっとトップを走り続ける難しさは僕もよくわかっていますが、世界陸上でロンドンに来て、東京オリンピックに向けて何かを得てほしかった」
日本の800mにとって参考になるのは、1分45秒25で4位に入ったカイル・ラングフォード(英国)だという。今大会前の自己記録は1分45秒45で、川元の日本記録1分45秒75とほとんど変わらなかった。
予選は油断もあったのか2組5位(1分46秒38)と危ない橋を渡ったが、準決勝では1分45秒81と自己記録に迫るタイムで2組2位通過した。今後タイムも大きく伸ばしていく選手なのかもしれないが、ラングフォードの走りに、日本の男子800mの活路を見ることができる。

「今年は800mの今季世界最高が1分43秒台です。ルディシャのような選手がいなければ、そういうシーズンも巡ってきます。今大会のラングフォードみたいな走りを、川元君がもう少し力をつければすることもできる。今まですごく遠いと思っていた決勝も、チャンスがあると思えました。クチョット選手も今年のシーズンベストは1分45秒21でロンドンに来ましたから(今大会の決勝で1分44秒95)。僕自身も外国人コーチから指摘されて、1分45秒台で何本も走るスタミナをつけようとしました。それが本番でできれば決勝に行く可能性もゼロではない、と思ったからです」
後輩の川元には1分44秒台に記録を伸ばす力があると、横田さんは以前から言い続けている。

本番で自己記録に近い走りをする。
言葉にすると簡単に聞こえるが、走力はもちろん、経験に裏打ちされた強い精神力がなければできないことだ。ラングフォードは2013年の世界ユース選手権で3位、15年のヨーロッパ・ジュニア選手権優勝の実績があり、数は少ないがダイヤモンドリーグやワールドチャレンジミーティングなどレベルの高い試合にも出場していた。コネがあったのかもしれないが、それをも最大限に活用して経験を積んだ。
解説者として、海外トップ選手の競技歴などを勉強すると、自身の経験と照らし合わせて理解が深まることも多かった。

指導者としてロンドンに戻ってきたことで一本の線に

現役を引退して1年に満たないが、横田さんはもう、完全に指導者としてのマインドになっている。解説者として見ているロンドンの光景は、指導者としての視点で彩られているようだ。自分があの場にいたら、とか、自分ならこうしたい、という気持ちはまったくないという。
「ここに選手を連れてきたい、という気持ちが一番ですね。目の前を走っている世界のトップ選手たちと、自分の指導する選手をこう戦わせたい、とか。これから、こういう道筋で行けば戦えるんじゃないか、とか。選手のために何ができるかを、世界陸上を見て考えています」

横田さんは2007年大阪世界陸上が、初の五輪&世界陸上だった。標準記録を破っていなかったが地元枠で運良く出場し、本番では自己新をマークした。そこから世界と戦うことのやり甲斐を感じるようになり、09年に日本記録を更新し、11年テグ世界陸上、12年ロンドン五輪と出場。ロンドン五輪はあと少しで準決勝に進出できた。
日本の中距離を一歩も二歩も推し進めた功労者だが、学生時代から陸上競技とは別の将来も考えていた。ロンドン五輪は実業団3年目での出場だったが、そこで引退するプランも秘めていたという。
「あのとき、日本人でもまだ戦える、もう1回選手としてオリンピックの場に立ちたいと感じて、4年間競技を続けました。自分だけのことで終わらせるのでなく、この経験を次の世代にも伝えたい、という気持ちもありました。世界で戦うためには海外を拠点にすることが1つの方法だと判断して、五輪後に米国を拠点にしました。それは結局失敗して、結果には結びつきませんでしたが、リスクを選択したことは僕の誇りにもなっています」

今回、解説者としてロンドンに来て、解説陣の指導者や、メダリストたちと話す機会を多く持てた。
記事やテレビで聞いたことがあった内容でも、実際の会話として直接やりとりをすると「生きた言葉になって、受け取り方が違ってくる」と感じられた。
そのなかで横田さんが一番感じたのが「何かリスクを取らないと、世界一やメダルには届かない」ということだった。選手の頃もそこは意識していたが、指導者になってその点を改めて認識することで、選手たちに示す道が明確にできたと感じられた。
横田さんは今、ロンドンに自身がいることについて改めて思う。
「ロンドン五輪のルディシャ選手の世界記録は、本当に歴史的なレースでした。同じ大会を日本選手として44年ぶりに走って、ロンドンは僕にとって特別な場所になりました。日本の800mの世界への挑戦も、そこで終わらせてはいけない。そう思って4年間競技を続けました。もしもリオ五輪に出場できたら、ボルト選手やファラー選手のように、世界陸上ロンドンを引退競技会にしたいと思ったかもしれません。そこにたまたま、初めての解説としてロンドンに戻ってきて、街も大会も、あのときと変わらずに迎えてもらっています。嬉しいとかではなくて、不思議な気持ちですね。ロンドン五輪があって、その後の5年間で現在の自分が形づくられて、指導者の立場で次の選手たちに何かを伝えていこうという気持ちが、再びロンドンに来たことで明確になりました。人生って面白いですね。1つのきっかけで自分の役割が変わり、見える景色も変わってくる。このタイミングでロンドンに来たことは、運命的だったのかもしれません」
初解説を行っている“5年ぶりのロンドン”は、指導者としてスタートした横田さんの歩みに、大きな弾みをつけている。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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