8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第17回2017.08.08

男女マラソンは22年ぶりの入賞ゼロ。
歴史的な敗北を次につなげるために

男女マラソンが大会史上初めて同日開催(8月6日)されたが、残念ながら男女とも入賞できなかった。
先に行われた男子は、川内優輝(埼玉県庁)が後半で追い上げて9位(2時間12分19秒)に入ったのが最高成績。中本健太郎(安川電機)は10位(2時間12分41秒)、前半集団の前方で積極的に走った井上大仁(MHPS)は26位(2時間16分54秒)で、男子は前回の北京大会に続く入賞なしに終わった。

女子は清田真央(スズキ浜松AC)の16位(2時間30分36秒)が最高成績。36kmまで先頭集団で走ったが、そこからのペースアップに置いて行かれた。終盤で清田との差を詰めた安藤友香(スズキ浜松AC)が17位(2時間31分31秒)、重友梨佐(天満屋)は27位(2時間36分03秒)で、女子は1997年アテネ大会から続いていた入賞が途切れてしまった。
個々に見れば健闘と評価できる選手もいたが、全体として見れば大敗と言わざるを得ない。ロンドンの経験を、いかに今後につなげるか。

中本スタイルを継承した川内

世界との戦い方として、1つの形を示したのが川内だった。それは“中本スタイル”の継承である。
川内は世界陸上テグ大会とモスクワ大会では、序盤を先頭集団の前の方で走ったが、そうすると細かいペース変化にも体が反応してしまう。それに対して両大会とも中本は集団の後方で走り、消耗した川内を後半で抜き去った。
今回の川内は、前半は中本と一緒に走ったものの、20km以降は中本から差を広げられてしまった。だが35kmを過ぎて中本との差を縮め始め、40kmを過ぎて逆転。ラスト2.195kmは6分41秒と、優勝したキルイ(ケニア)より10秒速いタイムで走り、8位の選手に3秒差と迫った。

今大会で日本代表から退く川内は、日本人がメダルを取るために必要なことは何かを問われ、中本スタイルだと答えた。
「中本さんのような走りをした上で行く、という方法しかないと思います。集団の上げ下げがあっても脚を使わず(余分な反応をして力を使わない、と言う意味)、本当の勝負どころとしてペースが上がったときに、初めて対応する。今日の私は力不足で勝負するところまで生き残れませんでしたが、日本人がやるならこの方法だと思います。それができれば金メダルは無理でも、銅メダルは行ける」
川内自身は、最低限の目標と話した8位に入ることができず「悔しさもある」が、過去2回の世界陸上と比べ「ようやくやり切ったな」という気持ちも大きい。
「途中で落ちてしまって実力不足は露呈してしまいましたが、そこからはこれまでの経験を生かして粘ることができました。(初代表以降の)6年間は無駄ではなかった。代表として、やることはやったかな、と自分の中では思っています」
今後は世界中のマラソン大会に出場して、チャンスがあれば記録を狙い、代表を狙う選手の壁にもなって、日本マラソン界のレベルアップに貢献していくつもりだ。

スピードと強気で戦う覚悟の井上

井上は中本・川内スタイルとは別のやり方で、世界を目指して行く。
今大会の井上は、以前の川内のように集団の前の方で走り、先頭付近のペース変化にその都度対応していた。いつレースが動いても対応し、勝負のタイミングを絶対に逃さない、という走り方だ。
「その走りをするために来たのですから、あの走りをやるのは当然です。世界のトップと同じレースをして、自分がどこまで戦えるか。後ろで下位入賞を狙っていては、今後メダルは狙えません。30kmまでは先頭で行って、そこからは粘り抜くレースをしたかったのですが、1周早く離れてしまいました」
20kmまでは5km毎が15分20秒前後のペースだったが、25kmまでが14分28秒に跳ね上がったところで崩れてしまった。後半の落ち込み方を見るとリスクもあるが、「世界のトップに成長する」という強い気持ちで、ここまで頑張ってきた。考え方のスタイルを崩したら、自身の土台を崩してしまうことになりかねない。
中学・高校では長崎県内でも勝つことができず、山梨学院大でチームのエースに成長したが、学生トップの選手に比べ注目度は低かった。MHPS入社後にマラソンに進出し、世界と戦うところまで這い上がってきた。
「これまでもそうでしたが、今回の山はまた一段と大きな山だなって感じました。でも、ずっとそうやって(強気で挑戦して)乗り越えてきたので、今回も絶対にできると自分を信じて挑戦していきたい」

井上の特徴は、ロードでのスピードだ。
そこは中本、川内よりも一段も二段も上のものを持っている。第4回コラムで紹介したように、50km走をやっている時期にトラックの1万mに出て、自己新で走ることができる選手である。先頭集団のペースの変化に対応するスピードは、今回の代表の中では一番あった。
力を出し切れなかった世界陸上ロンドンの結果を受けて、どんなトレーニングを行うか。日本に帰った後の井上の動向に注目したい。

夏場練習の失敗を次に生かしたいスズキ浜松AC

川内は集団の後ろで走った方がメダルに届くと判断し、井上は前の方で走らないとメダルには届かないと感じている。経験や能力の違いから判断が違ってくるのは当然だろう。やり方はそれぞれでも、自身のスタイルやトレーニングを貫き、技術の精度を上げられるかどうか。そこがメダルに到達するか否かを左右する。

女子のスズキ浜松ACコンビは、忍者走りと言われる動きの精度を、どうやって本番で上げられるかが重要だった(第4回コラム)。そこが勝敗を左右したが、結果的に、不安を完全に解消できずに走ったことが敗因となった。
成功した名古屋ウィメンズマラソンに向けての練習が冬場で、攻めの姿勢で速いタイム設定で行うことができた。夏場のマラソンは勝手が違うと頭では理解していても、名古屋の前との違いに「選手も私も初めてで、その部分で苦労をした」(里内正幸コーチ)という。
「スローの集団が一気にペースが上がったりすることに、免疫がありませんでした。自信を持ってスタートしていたら、今回ほど弱さは出なかったと思いますが、不安要素を持っていたことで走りにも影響が出てしまった」
里内コーチは練習の途中で、「こうしていけば」という別の方法もあると気づいたが、「途中で変えていくほど時間がなかったので、今できることを積み上げて行くしかなかった」という。
「練習で悪戦苦闘した中、選手は頑張ってくれました。結果を出せなかったのはコーチの力不足。今回の経験で代表に選ばれてからが本当の戦いだな、ということも実感しました。選手というより、私に世界と戦う力がなかった。本当の意味で世界と戦うということを学ばせてもらったので、これからはそこを生かして行きます」
レース展開とは違う部分だが、川内は市民ランナースタイル(第5回コラム)を突き詰めて、ここまで強くなった。井上は前述の、自分より上のレベルの選手に強気に挑む姿勢だろう。

スズキ浜松ACは、トラックや駅伝よりもマラソンで戦うことを前提に、チームをスタートさせた経緯がある。つねに強気の練習や、強気のレースを行って、他チームとは違う強化でマラソンの結果を出し始めた。同じような姿勢で世界に挑んだが、その気持ちが強すぎたために夏の練習の仕方を見誤ったのかもしれない。
ロンドンの失敗をどう生かすか。最も具体的にイメージできているのがスズキ浜松ACかもしれない。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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