8月4日開幕

ヒストリー

アテネ大会ATHENSギリシャ

女子マラソン 鈴木博美 金メダル獲得

このメダル以降、日本女子マラソンは4大会連続となるメダルを獲得。
鈴木のメダルは「最強日本伝説」のきっかけとなった。

男子100mモーリス・グリーン、世界デビュー戦でアメリカに覇権奪回

1991年世界陸上以降、
世界大会4連続で男子100mの金メダルを逃していた「スプリント王国アメリカ」。
この窮地を救ったのが、当時はまだ無名だったモーリス・グリーンだった。
9秒90で並み居る強豪を退け優勝。このあと世界陸上3連覇、シドニー五輪金メダル、
世界新記録樹立とスプリント界に「グリーン時代」を築くことになる。

セビリア大会SEVILLEスペイン

日本マラソン陣、男女揃ってメダル獲得

女子では市橋有里が銀メダル、そして低迷が続いていた男子でも佐藤信之が銅メダルを獲得。
マラソン日本を世界に知らしめた。

男子400mのマイケル・ジョンソン、驚異の世界新記録を樹立

当時31歳、3年間自己ベストを更新できず、マイケル・ジョンソンには限界説さえ囁かれていた。
しかし、乾坤一擲の走りを見せた決勝。
200mを過ぎたあたりからライバル達を一気に引き離し、後は時計との勝負になった。
ランニングタイマーに刻まれた記録は43秒18。
「向こう20年は破られないだろう」と言われる、驚異の世界新記録が誕生した。

エドモント大会EDMONTONカナダ

室伏が! 為末が! 土佐が! 日本、怒涛のメダルラッシュ!

大会3日目、後にハンマー投界の顔になる室伏広治が世界大会初のメダルを獲得(銀メダル)。
8日目には身長170センチの“小さな大ハードラー”為末大が、
日本スプリント系種目初のメダル獲得という快挙を成し遂げた(銅メダル)。
そして大会最終日には土佐礼子が粘りの走りで銀メダル。
日本人アスリートが大きな飛躍を遂げた大会となった。

パリ大会PARISフランス

男子200m 末續慎吾 日本スプリント界悲願の銅メダル獲得

この大会で日本を、そして世界をあっといわせたのは末續慎吾だった。
筋骨隆々の黒人スプリンター達を、日本人の特性を最大限に生かしたテクニックで圧倒した。
そして決勝。一度は4位に落ちかけたが、そこから神がかり的な伸びを見せ3位でフィニッシュ。
「日本人が世界に最も遠い種目」と呼ばれたスプリント種目で、歴史に名を刻んだ。

ヘルシンキ大会HELSINKIフィンランド

400mH 為末大 亡き父に捧げる涙のメダル

2003年世界陸上パリ大会の直前に父・敏行さんを亡くした為末大。
父にメダルを渡したいという願いはその2年後叶えられた。
豪雨と強風、嵐の中で行われた決勝。若い選手達が動揺する中、為末は冷静沈着に作戦を練り、前半から飛ばしに飛ばした。
「骨が折れてもいいから。」トラックにダイビングしながらフィニッシュした為末は、
4位の選手を100分の8秒押さえ、見事銅メダルを獲得した。

女子棒高跳 エレーナ・イシンバエワ 前人未到の空を舞う

この大会の主役となったのは、ロシアの舞姫・エレーナ・イシンバエワ。
2004年、世界新記録でオリンピックを制し、この大会でも大本命に目されていた。
その期待にたがわず早々と優勝を決めたイシンバエワは、女性史上初となる5m越えに挑戦。
大会運営側もそのほかの種目を中断し、超満員の観客の視線はイシンバエワ1点に集まった。
5m01、その2回目。174センチ、64キロの体がふわりと宙に浮き、バーを跳び越えた。強く、高く、美しく。
陸上界に新たなるヒロインが誕生した瞬間だった。

大阪大会OSAKA日本

日本を救ったリレー・女子マラソン

16年ぶりに日本開催となった世界陸上。
開催国のプレッシャーからか、有力視された日本人選手たちが力を発揮できないまま残り3日となった。
日本チームに漂う暗雲…それを振り払ったのが、男子4×100mリレーだ。
強豪ぞろいの予選、日本は38秒21の日本新記録・アジア新記録をマークし全体の3位で予選を通過した。
そして9月1日、決勝、満員御礼。8レーンに入った日本の紹介は、大歓声にかき消された。スタート。
1走の塚原は9人中トップの反応時間でロケットスタートを決めた。バトンは2走末續へ。
まさかの2次予選落ちに終わった200mの鬱憤を晴らすような快走。
3走、高平。世界の強豪と互角に渡り合いながら、不動のアンカー、朝原へ。
前を行くのはアメリカ、ジャマイカ、イギリス、ブラジル。
朝原はブラジルを追い詰めるが、わずか100分の4秒及ばず5位でフィニッシュ。しかし日本のタイムは38秒03。
予選でマークした日本記録をさらに更新した。力を出し切れず敗れていった日本選手たち……
その想いをのせて全力を出しきった4人の戦士たちに大きな拍手が送られた。
そしてこの走りが、翌年の北京五輪での悲願の銅メダル獲得に繋がっていった。
そして大会最終日。4×100mリレーの大健闘はありながら、ここまでメダルの獲得がなかった日本。
お家芸・女子マラソンに最後の望みは託された。朝7時のスタートの時点ですでに気温は27度。
大阪特有の粘つくような暑さの中、土佐礼子が驚異の粘りを見せた。勝負どころの39キロ過ぎ、土佐は先頭集団から離され、4位に後退する。
高温多湿、究極のサバイバルレース。「土佐もここまでか…」誰もがそう思った。
しかし、土佐はあきらめなかった。「ここで頑張らなかったら、マラソンにならない」驚異の追い上げを見せた土佐は、スタジアムに入る直前再び3位に浮上する。
奇跡の銅メダル。開催国・日本にとってもようやく手にすることができた待望のメダルだった。

ベルリン大会BERLINドイツ

ウサイン・ボルト 超人的世界新連発!

ベルリンのヒーローはウサイン・ボルトを置いて他にいない。
前年の北京五輪で100m9秒69、200m19秒30と世界新を連発。しかし、オレに“壁”など存在しないとばかりに、両種目の世界記録をベルリンでも破ってみせた。
大会2日目の100mの記録は驚異の9秒58。北京五輪のタイムを0.11秒も更新した。大会6日目の200mもスタートからリードを奪うと、直前に出たときはすでに“独走”。
フィニッシュ後に指さしたタイマーは19秒20だったが、正式計時は19秒19に。
「ベルリンでの目標は“伝説になること”だった。自分にとって不可能なことなんてないんだ」

尾崎が師に並ぶ銀メダル、村上は歴史的な銅メダル

日本勢では女子マラソンの尾崎好美と、男子やり投の村上幸史がメダルを獲得した。
最終日に行われた女子マラソンは35キロ過ぎに尾崎がスパート。中国選手とエチオピア選手との三つ巴の争いに持ち込むと、40キロで再度スパートして中国選手とのマッチレースに。41キロで 中国選手に引き離されたが、見事に銀メダルを獲得した。
尾崎の指導者である山下佐知子第一生命監督も、1991年の世界陸上東京大会で銀メダルを取っている。
尾崎のメダルは師に並ぶ銀メダルだった。
最終日の男子やり投では、村上が82m97を2回目にマークすると、その記録で3番目につけた。
その後、村上の記録を上回る選手は現れず、銅メダルが確定した。
男子やり投では五輪を通じても史上初めてのメダル獲得。
投てき全体でも、ハンマー投の室伏広治に次いで2人目の快挙だった。
しかし、自分の力を出し切ることに集中した村上は、試合が終了しても自身が銅メダルだとは気づいていなかった。

テグ大会DAEGU韓国

室伏、大会史上最年長V達成! 36歳と325日

男子ハンマー投げ“世界の鉄人”室伏広治が81m24で金メダル。
36歳と325日は99年セビリア大会男子マラソンのA・アントンの最年長優勝記録を17日更新。
世界から賞賛を受けた。「ハンマー投が好きで、自分の可能性がどこまであるのかを追求したからこそ続けてこられた。本当にスポーツは良いものです。」
ロードでも日本勢が健闘。男子マラソンでは堀端宏行が7位に、女子では5位に“最強のママさんランナー”赤羽有紀子が入賞。
競歩でも男子20kmの鈴木雄介(8位)と男子50kmの森岡紘一郎(6位)が、同一大会で競歩2種目の初の入賞という快挙だった。
そして、日本女子短距離界のパイオニア福島千里は、100mと200mで世界陸上初の準決勝に進出という歴史を作った。

ボルト劇場、100mフライング失格から400mリレー世界新へ

ウサイン・ボルトが100m決勝でまさかのフライング。
その瞬間、スタジアムが悲鳴とため息で包まれた。
世界陸上で初の適用となった“フライング=一発失格のルール”に人類最速の男は壁に拳を叩きつけて悔しがった。
しかし、ただでは終わらないのがボルト。200mでは圧倒的な強さで連覇。
翌日の400mリレーではアンカーを任され37秒04の世界新記録で有終の美を飾った。
また、女子100m障害はサリー・ピアソン(オーストラリア)が世界記録に0.07秒に迫る12秒28の大会新で圧勝。
その功績が認められ、ボルトと共に2011年の国際陸連アスリート・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

モスクワ大会MOSCOWロシア

ボルト&フレーザー=プライスが短距離2冠

100m&200mは男女共にジャマイカ勢が2冠を達成した。ウサイン・ボルトは北京五輪から4回目の2種目制覇だ。
「100mと200mを支配し続けて、出来る限りの金メダルを獲りたい」。
それが「自分自身をレジェンドにすること」だという。女子ではS・A・フレーザー=プライスが持ち味のスタートダッシュを生かして、ピンクに染めた髪の毛をなびかせながら疾走。
1983年以降の五輪&世界陸上では、史上4人目の女子100m&200mの2冠を達成した。
男子跳躍2種目では21世紀最高記録が誕生。
走高跳ではB・ボンダレンコ(ウクライナ)が2m41、三段跳ではT・タムゴ(フランス)が18m04と、共に世界歴代3位の記録をマークした。
また、女子棒高跳世界記録保持者Y・イシンバエワ(ロシア)が3大会ぶりとなる地元ロシアでの金メダル。歓喜の涙が印象的だった。

福士が女子マラソンで銅、日本は最多入賞種目数「7」を達成

女子マラソンで、福士加代子が日本勢唯一のメダルとなる銅メダルを獲得。
フィニッシュの瞬間、彼女の笑顔がスタジアムに弾けた。「マラソンで初めて人を抜きました!」30km手前で先頭から後れたが、35kmから40kmまでのタイムを上げる粘りを見せ、36km手前でエチオピア選手を抜き、銅メダルを確定させた。
日本勢はメダル「1」、入賞「7」と健闘。合計入賞者数「8」は世界陸上では最多タイ。また、これまでは同一種目で複数選手の入賞というケースが多かったが、入賞者種目数が最多となる「7」だった。
男子20km競歩6位の西塔拓己は20歳4カ月で日本人入賞者の最年少記録。男子棒高跳6位の山本聖途も21歳5カ月でフィールド種目では最年少入賞だった。
そして、17歳8ヶ月の桐生祥秀は男子400mリレーの1走として6位入賞に貢献した。一方で、男子ハンマー投の室伏広治が38歳10カ月で入賞(6位)。
若手からベテランと年齢層が広く、中距離を除くすべてのブロックで入賞者を出す好結果となった。

北京大会BEIJING中国

連続2冠を続けたボルトとファラー

スーパースターが数多く輝いた大会だが、そのなかでも一番はやはり、男子100m200m2冠のウサイン・ボルトだった。
100m準決勝ではライバルのジャスティン・ガトリンの9秒77に対し、ボルトは9秒96。
スタート直後につまずいてバランスを崩すシーンもあった。
ボルト危うし、の声も聞かれたが本人は落ち着いていた。決勝はスタートを得意とするガトリンに先行を許したが、シナリオ通りに逆転勝ち。
ボルトは「自分を疑ったらその時点で負け。自分を信じて走った結果だよ」と、この種目3回目の優勝を振り返った。
ボルト9秒79、ガトリン9秒80。0.01秒の最小タイム差だったが、厳然とした差があった。
4日後の200 mは2012年7月のジャマイカ選手権を最後に、ボルトが誰にも負けていない種目。
2位のガトリンに0.19秒差をつけて快勝した。
長距離のスーパースターはモ-・ファラー。大会初日の1万mに得意のラスト勝負で2連勝すると、8日目の5000mでも3連勝を達成した。
1万mはケニア勢が交替で先頭に立ち、速いペースのなかで揺さぶりを仕掛けてきた。
それに対して5000mは、大会史上最も遅い優勝タイム。どんな展開でも勝つことができるファラーの強さが際立った。
記録的には十種競技のアシュトン・イートンが9045点の世界新、男子三段跳クリスチャン・テイラーが18m21の世界歴代2位をマークした。
イートンは自身が持っていた世界記録をきわどく6点更新、テイラーは世界記録に8cmと迫る21世紀最長ジャンプだった。
男子400mでは新鋭のウェイド・ファン・ニーケルクが43秒48の世界歴代4位(当時)、
女子ハンマー投ではアニタ・ヴォダルチクが80m85と自身の世界記録に次ぐパフォーマンスを見せた。
2人とも翌年のリオ五輪での世界記録更新に布石を打った。

リオ五輪の快挙につなげた4 × 100mリレーと50kmW

日本勢では男子50km競歩で谷井孝行が銅メダルと、五輪&世界陸上を通じて競歩種目初メダルの快挙を実現させた。
谷井はメダル獲得の要因の1つに「荒井(広宙・4位)と終盤まで一緒に歩けたこと」を挙げた。
このペースで押していけると、お互いに自信を持って歩くことができたのだ。
北京世界陸上の成功をリオ五輪のメダル(荒井が銅メダル)
につなげたのが50km競歩なら、予選落ちの失敗をリオの銀メダルにつなげたのが男子4×100mリレーだった。
北京では故障者が出て直前の走順変更を余儀なくされ、実際のレースでは3→4走のバトンパスでも失敗した。
選手のパフォーマンスが、練習とレースでどう変わってくるかにも、細心の注意を払うようになった。
女子マラソンでは伊藤舞が7位に入賞。30kmを過ぎた勝負どころでも踏みとどまり、アフリカ出身選手以外の最高順位を占めた。
男子やり投げの新井涼平、女子5000mの鈴木亜由子の同学年2選手が、ともに9位。入賞にあと一歩と迫る大健闘を見せた。
日本記録を更新したのが女子4×400mリレー。
1走から青山聖佳、市川華菜、千葉麻美、青木沙弥佳のメンバーで、初の3分30秒突破となる3分28秒91をマークした。
08年北京五輪に初出場したが歯が立たず、その雪辱を期した4年後のロンドン五輪には出場することができなかった。
北京五輪メンバーだった千葉と青木の両ベテランには、同じ会場(“鳥の巣”競技場)で日本記録更新ができ、思い出に残るレースとなった。
また、男子200mには高校生のサニブラウン・アブデル・ハキームが出場。
7月のU18世界陸上で100mと200mの2冠を達成したホープが、シニアの世界陸上では200mで準決勝に進出した。
昨年は故障でリオ五輪代表入りを逃したが、17年ロンドン世界陸上、20年東京五輪に向けて貴重な経験を積んだ。

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