8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第3回2017.07.19

展望コラム(3) 鈴木亜由子
“3度目の正直”で入賞に挑戦する女子長距離のエース。
普段はクールでも、大舞台で力を発揮する“お祭り女”

鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)にとってロンドンは、「3度目の正直」の舞台になる。
2年前の北京世界陸上は5000mで9位。8位選手とは僅か0.29秒差で入賞に届かなかった。だが日本選手権は3位での代表入りで、大会前は入賞までは考えていなかった。
それに対して昨年のリオ五輪は、出身地の愛知県開催の日本選手権1万mで良い勝ち方をして、入賞を明確に意識していた。ところが7月に足底に痛みが出て練習が十分にできず、本番は5000mに出場を絞ったが予選落ちという結果に終わった(帰国後に疲労骨折と判明)。
「北京もリオも、悔しさの残る大会でした。その2度の経験を踏まえて今回がある。3度目の正直で入賞を実現させたい」
鈴木のロンドンに懸ける思いを紹介する。

日本選手のメダルに「興奮を肌で感じた」リオ五輪

昨シーズンが始まる前の取材でのこと。鈴木に「“お祭り女”では?」と質問したことがあった。
一昨年の北京世界陸上の鈴木は、自己記録を更新しただけでなく、期待をはるかに上回る走りを見せた。ユニバーシアードでも金メダルを獲得するなど、国際レースでは外さない勝負強さがあった。旧帝大(名古屋大)出身のイメージとは異なるが、国際大会で力を出しきるメンタルは、大舞台を楽しむ“お祭り女”的なところがあるのではないか、と推測したのである。
自称“優柔不断”の鈴木はいつものように「うーん」と即答しなかったが、自身でも心当たりはあったのだろう。

今年の世界陸上を決めてからの取材では、“お祭り女”という言葉こそ使わなかったが、そうなりたいと鈴木が考えていることは明らかだった。
「大きい大会ではいつも思うことですが、緊張もしますし、気持ちが高まって興奮もしています。そのときに良い緊張感を出し、自分を良い興奮状態にできたらと思います。それが雰囲気に飲まれず、落ち着いて走ることになる。リオではオリンピックという最高峰の舞台に自分がいたにもかかわらず、その場にいる現実味がまったく感じられませんでした。やはり、ベストパフォーマンスを出してこそ、自分がその場にいることが実感できるのだと思います。それでも銅メダルを取られた50km競歩の荒井(広宙・自衛隊体育学校)さんをコースで応援して、オリンピックで戦う姿から勇気をもらいました。4×100mRが銀メダルを取ったときもスタンドにいて、興奮を肌で感じられました。自分も、という気持ちになりましたね」
舞台に心躍る選手であることを、リオの夜空の下で明確に自覚していた。

普段はクールなランナー

これも昨年のシーズンイン前の取材で、座右の銘は「得意淡然、失意泰然」だと明かしてくれた。良い状態の時は浮かれずに淡々と過ごし、悪い状態の時でもいつもと同じ気持ちで過ごす。つまり、どんなときでも平静さを失わないようにしたい、ということだ。
自身の学歴が注目されることは、選手としては本意ではない。優等生的なイメージもある言葉だけに、「(これを言うのは)どうかな」と躊躇いがちに話したが、鈴木にとって自身の考え方を一番的確に表す言葉だった。

その考え方に至ったのは、故障が多かった自身の高校時代が強く関わっている。
中学では2年時に全日中の800mと1500mの2冠を達成。3年時には1500mで2連勝を果たした。スタート直後から1人で飛ばすことができるタイプだった。
それが高校では一転、故障が多くなり全国大会では活躍できなかった。右足甲を二度、手術もしている。
名古屋大では日本インカレの5000mに3位・1位・1位・2位の成績を残し、前述のようにユニバーシアードでも優勝した。誰もが将来の代表候補と期待していたが、実業団で走り続ける決断をしたのは4年時の春と、かなり慎重だった。

慎重なのはトレーニングも同様で、スパイクシューズを履いた練習は、手術以降はほとんど行わないようになった。脚の状態に細心の注意を払い、違和感が生じれば躊躇わずに練習をセーブした。
練習も最初から鈴木が先頭を走ることは少ない。同僚の関根花観(リオ五輪1万m代表)が積極的に先頭に立つタイプということや、日本郵政の練習タイムが速いことも影響していたかもしれない。
だが、(負荷の大きい)ポイント練習のほぼ全てで、鈴木が先着する。余力という点では明らかに鈴木が勝っていた。また、「朝の距離走では鈴木が圧倒的に強い」と高橋昌彦監督が話してくれたことがあった。昨年のペイトンジョーダン招待(31分18秒16の自己新)がそうだったが、レースでも自分でペースメイクができる選手だ。

手術後は自身の状態をしっかりと見極め、練習でどんな走りをすれば故障を回避しつつ、力をつけて行くことができるかを判断できる選手だった。だからこそ、入社1年目の秋に北京世界陸上標準記録を破ると、2年目の北京世界陸上、3年目のリオ五輪、そして4年目のロンドン世界陸上と、3シーズン連続で代表入りする選手に成長できた。

スパイクを履いた練習を行うようになった経緯は?

そこまで慎重な鈴木でも、故障は避けられない。入社1年目の前半は学生時代の故障の影響で、レースに出られなかった(そこで慎重に復帰の過程を踏んだことが良かった)。2年目のシーズン前も故障があり、北京世界陸上は日本選手権3位での代表入り。3年目の昨年は春先こそ順調だったが、日本選手権(1万m優勝、5000m2位)後に足底の痛みが出てしまった。
休養期間は設けたが、7月のボルダー合宿(ボルダーは高地練習場所として有名な米国コロラド州の都市)で早めに関根のメニューに合わせようとした。それが失敗だったかもしれない。8月に入って決定的な痛みが生じた。
疲労性のケガの原因は特定が難しいが、高橋監督は「スパイクを履いた練習をしないこと」も一因だったと考えた。
「普段履いていないシューズで試合を走るわけですから、負担が大きくなります。日本は実業団も中高生も、スパイクを履いた練習を避ける傾向がありますが、慣れていかないといけないところもあるでしょう」
今年の日本選手権前は、スパイクを履く回数を例年よりも増やしたという。
直前のボルダー合宿では、ポイント練習とポイント練習の間を、前年は自転車を漕いでつないでいたが、今年はジョッグでつなぐことが多くなった。どちらも、実際のレースに近い方法に変更したのである。

高橋監督も慎重な指導者だ。
慎重にやってきた鈴木のやり方を、強引に変更させたりはしなかった。だが、3シーズンじっくりと鈴木を観察した結果、この2点に関しては負荷を大きくした方が、結果的にケガを避けられると判断できた。
その一方で高橋監督は、前年ほど標高の高い場所で練習しないようにした。
「やりたい練習を封印しました。去年は標高2700mの場所でスピード練習も行いましたが、今年はずっと1650mの場所で行いました。選手には『次の合宿にとっておくから』と説明して」
高橋監督の特徴として、しっかりと選手の特徴や状態を把握することが挙げられる。師弟関係4年目で、トレーニングの精度がますます上がっている。

3度目の正直は、4年目の集大成

練習パターンはこの3年間、毎シーズン変えている。「鈴木は毎年、新しい練習に取り組んでいる感覚になっているはずです」と高橋監督。
北京世界陸上前は入賞よりも、5000m2本を走りきることをテーマにスタミナ寄りの練習を行った。冬期に故障があり、日本選手権までの練習をスタミナもスピードもと、短期間に両方を追い求め過ぎた。その結果3位だったことから、世界陸上前は狙いを絞った。

リオ五輪前は入賞を意識して質の高い練習も行った。冬期が順調で、シーズン初戦のペイトンジョーダン招待でレベルの高い記録を出し、日本選手権までそれを維持しようと質の高い練習を、間隔はしっかり置きながら行った。リオ五輪前のボルダー合宿ではさらに質を上げようとして、日本選手権後に生じていた違和感を、故障にしてしまった。
代表3シーズン目の今季は、前述のように負荷をしっかりと加えている部分もあれば、高地トレーニングの場所を変更して、抑えめにしている部分もある。7月のボルダー合宿は、過去の成功と失敗、現在の課題を総合的に判断してのトレーニングになる。

鈴木が話した「3年目の正直」は、3シーズンのトレーニングの集大成でもある。高橋監督は集大成であると同時に、競技人生の岐路にもなると明言した。
「今年は世界陸上の入賞を目指しますが、日本記録にもチャレンジしようと話しています。そしてもう1つ、トラックを頑張り続けるか、マラソンに移行していくか、世界陸上が1つの見極めになる。ここまで4年間の、1つの集大成としたい」
ロンドンは周回種目の好記録が誕生してきた。
ロンドン五輪では男子800mと女子4×100mRで世界記録が生まれた。
世界陸上本番は牽制し合ってスローペースになってしまう可能性もあるが、リオ五輪はアヤナ(エチオピア)が世界記録を更新した。8位は30分26秒66。日本記録の30分48秒89よりも高かったが、さすがにリオと同じペースにはならないだろう。入賞ラインが日本記録と考えて、それに合った集団でレースを進め、頃合いを見計らって勝負を仕掛ける。
「“速い!”ではなく、“どこまで近づけるか!?”というワクワク感を持って臨みたいと思っています。スピードの高い選手と走るワクワク感は、世界陸上と五輪でしか感じられませんから」
人生最大の勝負となるが、そこをあまりに意識しすぎると硬くなってしまう。
だが2回の世界陸上と五輪を経験して、大舞台のメンタル面のコントロールも学んできた。

日本選手権では男子短距離2冠のサニブラウン(東京陸協)の勝ちっぷりを見て、その背景を感じ取っていた。
「サニブラウン選手はレベルの高い戦いを楽しんで、良い緊張感で3日間を戦ったんだろうな、と思いました。本当に堂々としていましたから」
そう言う鈴木の戦いぶりも、入賞に肉薄した北京世界陸上や、地元優勝を果たした昨年の日本選手権は、はた目にはレベルの高い戦いを楽しみ、良い緊張感で走っていたように見えた。北京や名古屋でレース後に見せた“お祭り女”の表情を、ロンドンでも見せてほしい。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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