寺田的世陸別視点
4×100mRはベテラン藤光が銅メダルのフィニッシュ
リオ五輪表彰式を複雑な心境で見つめた男がつなぐ日本スプリントの伝統
世界陸上ロンドンの4×100mR銅メダルは、昨年のリオ五輪に続くメダル獲得で、日本がメダル常連国へのステップを1つ上がったことを示していた。
だが、メダルを取るまでのプロセスは大きく違っていた。リオ五輪が予選で37秒68と全体で2番目のタイムを出し、メダル圏内で決勝に臨んだのに対し、今回は予選が38秒21で全体6番目のタイムだった。決勝のシードレーン(真ん中の4つのレーン)を取ることができず、一番外側の9レーンで走らなければならなかった。
そして決勝ではメンバーを変更し、アンカーにベテランの藤光謙司(ゼンリン)を投入。その藤光がジャマイカと3位争いを演じ、ウサイン・ボルトのケガというアクシデントもあって銅メダルのフィニッシュを実現させた。
藤光のここまでの足跡に、日本のリレーの充実ぶりも現れている。
岐路に立っていたリオの夜
昨年のリオ五輪。200m代表だった藤光謙司(ゼンリン)は、4×100mRのメンバーからは外れていた。故障の影響で最高の状態を作れなかったことに加え、銀メダルを取った山縣亮太(セイコー)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(現ナイキ)と、藤光より若い4人が本当に強くなっていた。
トラック種目過去最高の銀メダルの表彰を受けるメンバーたちを、スタンドから見ていた藤光が複雑な胸中を明かしてくれた。
「こういう舞台で自分たちのパフォーマンスを発揮することが、どれだけ難しいことか、自分も経験してきました。スゴいことをやったと実感できた瞬間でしたね。そこに加われなかったことは無力感といいますか、何とも言えない感情があります。でも、こうしてチームに関われたことは誇りでもある。この場にいられたことは、今まで自分が頑張ってきたことの証でもあるからです。今後のことはまだ、気持ちの整理がついていません。心も体も1回休めて、気持ちが戻れば走ると思いますし、やる気が起きなければ、そこまでの選手なのだと思います。やれることは残っていると思いますが、やれることをやって必ず結果が出るとは限らない。リオ五輪も、自分が長年やって来た結果です。こういう舞台で結果を残せないことも、自分の競技人生だと思います」
普段は前向きな藤光だが、日本短距離界の歴史的なシーンを目の当たりにして、自身が岐路に立っていることを自覚していた。
企業秘密の新しい取り組み
2017年、藤光は昨年までと同じようにトラックを駆けていた。違っていたのはトレーニング内容で、3年後の東京オリンピックまでの長期計画で、新たな取り組みを始めていた。
具体的な方法は企業秘密として明かさないが、「200mの前半を速く楽に入る」ためのトレーニングで、かなり身体に負担のかかるメニューらしい。特別な設備を使わないとできないため、中部地区まで足を運んでいる。
「今シーズン中に成果として現れないかもしれない」と、先が見えない部分もあるが、世界と戦うためには大きな変更が必要と考えた。
その流れでも、6月の布勢スプリントでは100mの自己記録を10秒23(追い風1.9m)と更新し、200mの標準記録は結局惜しいところで破れなかったが、日本選手権でサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)に続き2位に入った。世界陸上にはリレー種目で代表入り。「結果を急いでいませんが、新しいトレーニングが少しずつ形になっている」と手応えも得ていた。
今回ロンドンで銅メダルを取った後に、現役続行の理由を次のように話した。
「まだまだやり残したこと、できることもあるし、伸びシロはあると感じました。(リオ五輪まで)完全燃焼ではなかったんです。もう一回奮起して、一から作り直そうと思いました。自分が納得するまでチャレンジして、それでダメならダメだったということ。何より周りで応援してくれる方々がいて、その応援に支えられて、新しいスタートラインに立つことができました。今年は色んなトレーニングに挑戦し、走りが完成しきっていない段階です。こういう形で抜擢されて結果もついてきて、いいスタートが切ることができました。また来年以降、今年の結果とトレーニング内容を、どうつなげて行けるかが今後の課題です」
31歳のベテランが新たな取り組みをするなかで、最高の舞台で良い形ができた。それを可能としたのは、必ずしも順風満帆ではなかった競技生活でも、藤光があきらめずに努力を続けて来たからだろう。
リレーのピンチを救ってきた男
世間的には派手な活躍がない藤光だが、200mでは日本歴代3位(20秒13)のタイムを持ち、リレーの伝統を守ってきた選手の1人。
初の五輪&世界陸上代表入りは8年前、2009年のベルリン世界陸上だった。4×100mRでアンカーの4走を任された。前年の北京五輪で銅メダルを取った種目で、レジェンドともいえる朝原宣治さんが務めたポジションである。
「ベルリンは頭が真っ白で、よく覚えていないんです。当時の記録は100mが10秒40で、自分なんかが走って良いのか、という思いもありました。世界の決勝を走るということがどういうことなのか、周りをしっかりと感じながら、もう一度出場して確かめたかった」
翌2010年には日本選手権で初優勝し、200mでは20秒38まで記録を伸ばしたが、11年から慢性的な腰痛を抱え、「ふわふわした走り」になってしまい、12年の日本選手権200mは5位。ロンドン五輪代表を逃した。
13年モスクワ世界陸上は今大会と同じように、リレー要員として代表入り。その年の日本選手権で優勝した山縣(当時慶大)が100mでケガをしたため急きょ2走に入り、6位入賞に貢献した。
14年の仁川アジア大会はまたしても、個人種目の200mでの代表入りを逃した。4×100mRではなく4×400mRへ起用されたが、2走で44秒台のラップで回ってトップに立ち、優勝に大きく貢献。モスクワ、仁川とリレーのピンチを救った男として評価された。
15年には20秒13の日本歴代2位(当時。現歴代3位)で走り、北京世界陸上では準決勝に進出した。予選の20秒28は世界陸上で日本人が走ったタイムとしては、03年パリ大会で銅メダルの金字塔を打ち立てた末續慎吾に次いで2番目。故障者が相次いで予選落ちしてしまったが、4×100mRでも2走としてチームを支えた。
ところが最大の目標としていた昨年のリオ五輪は、故障の影響で200mは予選落ち。
4×100mRは当初から“6番目”の選手と位置づけられ、チームのサポートに徹していた。リオ五輪の銀メダルメンバー4人は、最年長の飯塚でも藤光より5学年下の若さだった。
しかし藤光は、2020年を目指して走り続けることを決意した。
ロンドン世界陸上には、13年モスクワ大会と同じようにリレー要員という形で代表入りした。今季は結果に執着していなかったが、伝統のリレー日本代表の重みをよく知る男は、メンバー入りの可能性は低くても、最後までモチベーションを維持していた。
「ロンドンに来てから日に日に、状態が上がってきていると感じたので、今日が一番いい状態でした。いつ出番が来ても大丈夫。1走から4走まで何があるかわかりませんから、どこでも行ける準備をしていましたね。去年からのメンバーが多く、新しいメンバーも入る中でどういう戦いができるか、すごく注目されていました。みんな力がありますし、力を発揮すれば結果は出る。予選は誰が走っても大丈夫と安心して見ていました。ものすごくいいチームだったと思います」
ロンドンを走り終えた藤光の言葉は、成熟しつつある日本のリレーを象徴していた気がする。
ボルトとの不思議なつながり
世界陸上ロンドンの藤光は、2つの点が象徴的だった。1つは世界陸上デビューの09年ベルリン大会と同じ、アンカーだったこと。そしてもう1つは、今大会で引退するウサイン・ボルト(ジャマイカ)と並走するシーンを演じたこと。
ボルトは藤光と同じ1986年生まれで、同じ2003年の世界ユース(現U18世界陸上)を走り、09年ベルリン世界陸上では2種目の世界新を出した男だ。
「ボルト選手があんな形(脚を痛めて途中棄権)になったのは残念です。それでも同じ舞台を共有できたことは、すごく光栄でした。最初の同じ試合が世界ユースで、その時は天と地ほどの差がありました。今日の状況は当時では考えられないこと。自分が成長したと再確認できました。感慨深いですね。そしてボルト選手から、何かをもらった気がしています」
ボルトの活躍した期間は、金メダルを取り続けた短距離選手としては、異例中の異例ともいえる長さだった。藤光はレベルの違いこそあれ、さらに競技生活を続ける。
「(リレーは日本の伝統になっているが)リレーだからメダルを取れた、と言われたくない気持ちも僕らにはあります。今回、サニブラウン選手が200mで決勝に行ってくれて、他の選手もできる気持ちになったはずです。日本の短距離界が変わっていくきっかけになった大会かな、と思います。若い力を借りて僕らも奮起して頑張れるし、僕らも世界を狙う姿勢を下に見せないといけない。僕が先輩方から得てきたものを、後輩たちに伝えていかないといけない」
藤光がアンカーを走ったことで、リオ五輪とはまた違った印象の光景が、日本のリレーを象徴するシーンに加わった。日本の伝統種目はこうして、強さの厚みを増していく。
寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。
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