8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第1回2017.07.13

展望コラム(1) 荒井広宙
メダルへの“欲を抑える”ことが、競歩史上初の“連続メダル”への道

日本の男子50km競歩が、世界のトップレベルを歩き始めた。前回の2015年北京世界陸上で、谷井孝行(自衛隊体育学校)が銅メダルと日本競歩陣初メダルを獲得すると、リオ五輪でも荒井広宙(自衛隊体育学校)が銅メダルで続いた。
8月の世界陸上ロンドンには荒井をエースに、小林快(ビックカメラ)と丸尾知司(愛知製鋼)の初出場2人を加えたフレッシュなメンバーで臨む。

北京、リオと連続金メダルのM・トート(スロバキア)がドーピング違反の疑いで暫定資格停止となり、メダルのチャンスは広がった。
それでもメダル常連のJ・タレント(豪州)、世界記録保持者のY・ディニ(フランス)、モスクワ世界陸上金メダルのR・ヘファーナン(アイルランド)、そして4位となったリオ五輪で荒井と接触のあったE・ダンフィー(カナダ)ら、メダルを争うライバルは多い。
激戦のなか日本がメダルを取れば、五輪&世界陸上3大会連続メダルとなる。荒井個人は、競歩初の2個目のメダル獲得に挑戦する。

無欲の荒井と、連続メダルへ意欲的な荒井

世界陸上本番を1カ月後に控え、荒井の無欲さが強くなっている。7月7日の取材時には「元々、モチベーションは高い方じゃないと思います。他の選手と比べたら、メダルを取りたい欲はあまりない」という言葉も出て、少し驚かされた。リオでの取材では「東京五輪では今回(銅メダル)より上のメダルを取りたいし、日本の競歩界が世界一を取るスタートラインに立った」と話していたからだ。

その一方で「メダルが1回だけで終わったら寂しい」とも、七夕の日の取材では話している。
「尊敬するのはタレント選手です。金メダルはロンドン五輪の1個だけですが、メダルは必ず取っている(五輪&世界陸上で20km競歩も含め通算7個)。その方がある意味すごい。僕もメダルを取ってみて、取り続けることの大変さがわかりました。自分も長く力を出して、メダルを取り続けたい。それが東京オリンピックにもつながっていく」
どちらも、荒井の偽らざる気持ちである。トップアスリートは自身の目標に真っ直ぐに向かうことができるが、一見、矛盾するような心情を持ちながら、それをパフォーマンスに結びつける選手もいる。

荒井の場合は高校まで無名選手だったことも、メダルへ無欲なことに影響している。
「自分が代表に入ることなど考えられませんでした」と話していたこともあった。大学で大きく成長したが、23歳で出場した2011年テグ世界陸上(9位)のときはまだ、環境の整った実業団チームに入ることができていなかった。

その一方で小さな努力を積み重ねた結果として、世界のトップレベルに到達した自負はある。世界を相手に自身の力を出し切ったとき、どんな結果が出るのかを純粋に知りたい欲求は、選手なら持って当然だ。
「どうしたら速く歩けるのか、どうしたら速さと持久力がつくのか。そっちの気持ちの方が強くて、そのなかでメダルはついてきたらいい、と思っています。(五輪&世界陸上)本番では実力以上は出せません。そう考えたら気負うことなく、レース中も冷静になれる。雰囲気に飲まれてオーバーペースになることはなかったですね」
表が荒井の50km競歩全成績だが、国際大会4レースのうち最初の2レース(テグ世界陸上とモスクワ世界陸上)は自己新、北京世界陸上とリオ五輪は海外自己最高だった。五輪&世界陸上ではあり得ない事例だろう。
そのとき、そのときの力を出し切っているが、それでも荒井は「最初の頃は頑張ったら入賞、という位置でしたが、欲を出していたら失敗したかもしれません」と振り返る。
歩型など技術とフィジカルの安定が前提ではあるが、荒井はその考え方で、国際大会でも100%外さずに歩き続けてきた。

安定した成績には谷井の存在がプラスに

谷井の存在も、荒井の力を上手く引き出していた。
テグ世界陸上では谷井8位、荒井9位、モスクワ世界陸上では谷井9位、荒井11位、そして北京世界陸上では谷井3位(銅メダル)、荒井4位と、つねに近い順位でフィニッシュした。レース中も同じ集団で歩くことがほとんどだった。

荒井は北京のレース後に、次のように話している。
「谷井さんが一緒にいることで、安心して歩くことができました。練習を一緒にやることもありますから、谷井さんが行けるなら自分も行ける。そう思って歩くことができた。自分1人だったらペースダウンしていたかもしれません」
先輩の歩きが荒井の安定した成績につながったのは確かだが、国際大会すべてで1~2着の差で負けていた。北京では残り5kmで49秒差をつけられ、メダルと入賞の違いになった。
「谷井さんが前に行ったところで勝ち目はないとわかったので、4位を守ることに目標を切り換えました。4位はちょっと残念という気持ちもありますが、チームJAPANでメダルを取ることが最大目標だったので、谷井さんがメダルを取ったことは自分のことのように嬉しい」
荒井の無欲さは4位を確保する上では有効に働いたが、メダルを狙う上では自身の能力を抑えてしまった面があった可能性も否定できない。
その点リオ五輪では、準備段階で失敗してしまった谷井が早い段階で集団から後れ、トップ集団の日本人は荒井1人になってしまった。谷井がいない初めての先頭集団での歩きに不安はなかったのか? 意地悪な質問もさせてもらった。
荒井からは「不安でしたよー」と、冗談ともとれる言葉が返ってきたが、今から思えば本心だったと推測できる。

リオ五輪の荒井が覚醒した理由は?

荒井の北京世界陸上とリオ五輪の5km毎のスプリットタイムを見ると、30km以降の5km毎がほぼ同じなのだが、最後の5kmはリオが約1分速い。それがメダル獲得を実現させた。
   〜35km  〜40km  〜45km  〜50km
北京:21分54秒 22分02秒 22分14秒 23分10秒
リオ:21分51秒 22分05秒 22分15秒 22分11秒

では、不安を持ちながらのレースにもかかわらず、どうして最後の5kmを北京よりも速く歩くことができたのか。
それは日本人のトップが自分だと自覚したとき、外国勢と戦うスイッチが入ったのではないか。地道につけてきた自分の力が、世界に対してどこまで通用するのか、という気持ちはレース前から持ち続けていた。その状況でダンフィーと接戦になり、荒井の闘争心が呼び覚まされた。2人とも引かず、腕が接触するアクシデントも起こった。

そのときの荒井はメダルよりも、「世界に対して全力をぶつけたい」思いの方が強かった。

レース後にダンフィーの方から謝罪の意思表示をしてきたとき、荒井は「謝ってくれるなら、メダルはもらえなくてもいいかな」とさえ思ったという。全力を出し切った満足感が言わせた台詞だった。
もう1つの理由は、北京では4位を確保する“守り”に働いた「チームJAPAN」の意識が、リオではメダルを目指した“攻め”に働いた。
前述の「チームJAPAN」という言葉には、谷井さんが日本のエースとして世界で戦ってくれる、という気持ちが潜在的にあった(荒井本人は否定するかもしれないが)。リオでも谷井にメダルの期待がかけられていたが、自分がやらなければならない立場にいきなり立たされた。

レース後のインタビューで、「今村(文男・五輪強化コーチ)さんが中心になって強化している日本競歩界のなかで自分も強くさせてもらっています。今回たまたま、自分にメダルを取る役目が回ってきたのだと思う」と話した。
“たまたま”ではあっても、役目が回ってきたときにはレース中という極限状態で、日本のエースとして“やってやる”というスイッチが入った。そこにダンフィーとの競り合いが加わり、最後の5kmが北京より1分アップすることにつながった。チームJAPANの力でリオのメダルを取ったのは、男子4×100 mRだけではなかったのである。

2年連続ダンフィーとのデッドヒートが実現すれば……

メダルに対しては無欲だった荒井だが、ロンドン五輪を逃した悔しさで、リオまでの4年間を頑張ってきた部分もあった。荒井なりに自分を追い込んだため、前述のように気持ちを次に向ける大変さも感じている。
では、どうすれば荒井自身も望む“連続メダル”を取ることができるのか。

リオで“連続メダル”に挑戦して失敗した谷井が、何が後輩に必要となるのかを話してくれた。
「頭の中の状態を1回クリアにすることだと思います。さらに上を目指す欲は、あっても良いと思いますが、練習で1つ上手くいかないと負の連鎖に陥ってしまうこともある。そうなるとプレッシャーも感じてしまいます。自分は去年、計画からそれてしまったときに立て直せませんでした。取り戻すのに時間がかかったことに焦って、プレッシャーを自分でかけてしまったんです。荒井の今のメンタルがどうなのか、外からはわかりませんが、彼の世界大会の安定性を見たら、気持ちの強さがあるのは間違いありません。世界陸上もメダルを目標にやってくれると思う」

荒井が昨年の谷井の失敗をどこまで見て、どう分析しているのか。
さすがにそこまでは聞けなかったが、欲を持たないようにしているのは既述の通りだ。
練習内容も、昨年までと大きく変わらない。
「やるべきことを継続しています。その中で質が少しでも上がれば良いかな、という考えです」
荒井が挙げた例えでは、1kmを5分00秒で歩いていたところを4分59秒にしたり、睡眠時間を15分多くとったり、体に良い鯖の缶詰を食べたりするなど、「小さなことの積み重ね」だという。
「メダルを取る道筋は一度経験したので、そこからさらに精度を上げていくことが重要だと思います」

連続メダルを取ることのイメージを問われた荒井は、「お盆や正月みたいなものですね。今年もまたその季節がやってきたな」という例えをした。特別なこととは考えず「生活の一部みたいにしたい」という。
そして世界陸上本番になったら、谷井は「去年のメダルを取る前のメンタルの状態を思い出してほしい」と期待する。
これはレース中のメンタル面も含めてのことだろう。
またダンフィーとの競り合いになったらどうするか。荒井の答えは明快だった。
「当然、負けるつもりはありません。自分の中の力を引き出して、しっかりと勝負をしていきます。それが誠意だと思うんです」
ロンドンの競歩コースはセントジェームズ公園のザ・マル。バッキンガム宮殿の前を円を描いて折り返す。そこで昨年同様ダンフィーと火の出るようなデッドヒートを展開したら、あるいは尊敬するタレントに対して荒井が思い切った勝負を仕掛けていたら、“連続メダル”の可能性は大きいと見ていい。

荒井広宙の50km競歩全成績   

年月日|記録(備考)|順位|大会|場所
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2009年4月12日 4時間19分08秒 10位 日本選手権50km競歩 輪島
2009年11月1日 4時間04分01秒(自己新) 3位 全日本競歩高畠 高畠
2010年4月18日 3時間55分56秒(自己新) 4位 日本選手権50km競歩 輪島
2010年10月31日 3時間56分22秒 1位 全日本競歩高畠 高畠
2011年4月17日 3時間48分46秒(自己新) 3位 日本選手権50km競歩 輪島
2011年9月3日 3時間48分40秒(自己新) 9位 世界陸上 テグ
2012年4月15日 3時間57分22秒 6位 日本選手権50km競歩 輪島
2012年10月28日 3時間47分08秒(自己新) 1位 全日本競歩高畠 高畠
2013年8月14日 3時間45分56秒(自己新) 11位 世界陸上 モスクワ

2014年4月20日 3時間49分18秒 3位 日本選手権50km競歩 輪島
2014年10月26日 3時間40分34秒(自己新) 1位 全日本競歩高畠 高畠
2015年4月19日 3時間40分20秒(自己新) 1位 日本選手権50km競歩 輪島
2015年8月29日 3時間43分44秒(海外自己最高) 4位 世界陸上 北京
2016年4月17日 3時間44分47秒 2位 日本選手権50km競歩 輪島
2016年8月19日 3時間41分24秒(海外自己最高) 3位 オリンピック リオ
2017年4月16日 3時間47分18秒 1位 日本選手権50km競歩 輪島
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寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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