8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第4回2017.07.25

展望コラム(4) 井上大仁&安藤友香&清田真央
レベルの高い男女マラソン初出場トリオ。共通点は積極姿勢と独自フォーム

今年の世界陸上マラソンは男女同日開催(8月6日)。
男女代表6選手のうち井上大仁(MHPS)、安藤友香(スズキ浜松AC)、清田真央(同)の3人が初代表となるが、3人とも積極姿勢で代表を勝ち取った。
井上は2月の東京マラソンで、10km通過を29分13秒というハイペースに挑み、2時間08分22秒の好タイムで日本人トップを占めた。

3月の名古屋ウィメンズマラソンでは安藤と清田の同学年コンビが、リオ五輪銀メダルのユニス・キルワ(バーレーン)に勝負を挑んだ。キルワには勝てなかったが、安藤が2時間21分36秒の日本歴代4位、2006年以降では日本人最高タイムで2位に入った。清田も2時間23分47秒の好タイムで3位に続いた。
3人は独特のフォームがマラソンを走る武器となっている。そのフォームで走りきるための総合的な強化に成功すれば、ロンドンでも入賞が期待できそうだ。

強気の井上が「淡々と」行うマラソン練習

強気の姿勢が、井上大仁の成長の原動力だった。
高校では長崎県内で勝てず、全国大会にも出場できなかったが、「世界的レベルの選手になる」と部屋に貼り出した。練習日誌にも自らを鼓舞する激しい言葉を綴った。
山梨学院大では、強気の練習を行い成長した。
試合でも、エリート選手が大半を占める他校のエースたちに挑戦し続けた。特にロードで強さを発揮し、関東インカレ・ハーフマラソンに優勝。世界ハーフマラソンでは日の丸を付けた。
今も「自分はマラソンしか生きる道はありません」と言い切る意思の強い選手である。

そんな井上がマラソン練習では、「淡々と」走る。
世界選手権に向けてのトレーニングについても、次のように話している。
「プログラム通りに淡々とメニューをこなしています。むやみに追い込んだり、ひたすら走り込んだり、という練習はなくて、その日の目的や次のどの練習につなげていくのかなど、監督のガイダンスに従って練習を積み重ねています。学生時代はライバルたちがすごいタイムを出すと、焦って練習して、監督やコーチの考えからはみ出してしまったことがしょっちゅうありましたけど」

その点に、学生時代の後半にはすでに気がついていた。
長距離のトレーニングは、疲労や故障で中断することを避けなければならない。4年時にはキャプテンの自覚が強いあまり、練習で頑張りすぎたこともあったが、スタッフやチームメイトを信頼することで落ち着きを取り戻した。それがMHPS入社後に、スムーズにマラソンに取り組めた一因だろう。
もちろん、マラソン練習にも井上らしい積極的な姿勢は随所に見られる。黒木純監督によれば、井上の40km走のタイムは相当にレベルが高いという。16kmや20kmを走るときは後半を、マラソンよりかなり速いタイムに上げる。負荷の大きいポイント練習は必ず、試合に近い緊張感をもって走る。
「不安はありますよ。この練習を外したらどうしよう、という。それは弱気ということではありません。練習には必ず意味があって、練習をつなげて行くためには毎回外さないようにするのが一番良いわけで、常に緊張感を持ってやっています。自分をそういう状態に意図的に追い込んでいる」
強気の姿勢で成長した選手が淡々と、しかし緊張感をもってマラソン練習に取り組めている。井上に期待できる一番の理由は、そこにある。

【井上大仁のマラソン全成績】
回数、年月日|大会|順位(日本人)|記録
1、2016.3.06|びわ湖|9 (7)|2.12.56.
2、2017.2.26|東京|8(1)|2.08.22.

メダル候補ではなく、メダルへの挑戦者

スズキ浜松AC勢のロンドン世界陸上に向けての練習は、名古屋の前よりタイムが落ちていることが多かった。
冬の練習と夏の練習の違いがあるので当然なのだが、入社後は常に強気の姿勢で練習に取り組んできた。タイムが落ちたため、テンションが低くなっていた時期もあったという。
安藤友香が積極姿勢を取り戻したのは、5月の徳之島合宿だった。
「妥協してしまいそうな場面もありました。量を追う練習が多く、苦しいところが何度もあったんです。以前はそういうときに脚の痛みが出て、練習から逃げていました。今回の徳之島では、少し痛みが出ても逃げずにやりとげられました。昔の自分よりも成長できたかな」

名古屋の前も、徳之島合宿が重要な役割を果たした。
質の高い練習ができたのは1月の30km変化走や、2月の40km走だったが、12月の徳之島で「やったことのないメニューでしたが、やるしかない、と覚悟を決めた」と、安藤は振り返る。
名古屋前と今回の徳之島合宿の違いを、里内正幸コーチが次のように話す。
「12月の徳之島は後半だけの参加でした。半分の期間でも集中して、充実した練習をしてその後のマラソン練習につなげましたが、5月の徳之島は2週間、フルにスケジュールをこなして土台ができた。“マラソン選手になってきた”と言えると思います」

初マラソンで日本歴代4位のタイムを出したことで、スパーウーマン的に見られることが多い。
確かに、名古屋のように“忍者走り”(詳細は後述)の動きが完璧にできたときの安藤は強い。メダル候補と言って良いが、その走りができるようになるまでに何度も涙を流してきた。
練習を途中でやめてしまうこともあったし、昨年の日本選手権のように、レースの「1歩目」(里内コーチ)で後ろ向きの気持ちが表れてしまったこともあった。次も、名古屋と同じ走りができる保証はない。
だからこそ、地道な練習の積み重ねが必要で、その練習に向き合う積極的な気持ちも必要となる。
安藤から「私は天才と言われるような人間ではない」という言葉も聞かれた。
「私には気持ちの弱さがあります。それを克服できなければ、“一発屋”になってしまいます」
2度目のマラソンが名古屋と同じ国内レースでなく、世界陸上になるのは幸運だった。
「2度目という意識より、世界陸上に挑む気持ちの方が大きい。新たな気持ちで挑戦できます」
ロンドン世界陸上の安藤はメダル候補ではなく、“メダルへの挑戦者”と思ってテレビを見るべきだろう。

【安藤友香のマラソン全成績】
回数、年月日|大会|順位(日本人)|記録
1、2017.3.12|名古屋ウィメンズ|2(1)|2.21.36. *
*日本歴代4位、初マラソン日本最高

清田が克服した弱気

清田真央が変わったのも、5月の徳之島合宿だった。
メイン練習終了後に、雨にもかかわらず自主練習を追加して行った日があった。
「あの日から、1kmでも多く走ろう、という気持ちが芽生えました。それまでは疲れていたら極力、短いコースでホテルまで帰ったり、アップダウンの少ないコースを選んだりしていました。その後は少しでも距離を踏もう、アップダウンを取り入れよう、それを強みにしていこう、と思ってやってきました」

高校時代は同じ愛知県の安藤に、力の差を見せられ続けた。
スズキ浜松ACに入社後も、同期の牧川恵莉にはなかなか勝てなかった。それが初マラソンの2016年名古屋ウィメンズで2時間24分32秒(4位)となり、マラソンではチームのエースになることができた。ところが1年で、途中入社してきた安藤にその座を奪われてしまった。
練習でも安藤に先着されることが多くなり、里内コーチには「安藤には勝てない、という弱気が大きくなっていた」ように見えた。里内コーチからの指摘もあり、清田は自身の“弱気”に気づき、練習姿勢を改めることができた。
アップダウンを多く走ったのは効率的に負荷をかけられるからだが、ロンドンのコースを考えてのことでもあり、上りに強い安藤との差を縮めたい思いもあった。

名古屋の清田はキルワ、安藤から離された後、単独走になっても粘り抜いた。
前半を抑えて後半にペースアップした選手たちより、清田の方が後半も速かった。そのことが高く評価されたが、キルワのペースアップにつくことができなかったことを本人は悔やむ。そこを課題として意識してきた。
「どの練習でも世界陸上本番をイメージしています。アフリカ勢のペースの上げ下げに対応したり、ペースアップについて流れに乗ったりすることを考えて取り組みました。完璧とは言えませんが、名古屋前よりはその感覚がつかめてきました」
世界陸上本番でも、清田が気持ちで引くことはない。ロンドンの狭いコースで集団の人数が多ければ、体の小さい清田は弾き出されてしまう可能性もある。
「カーブや石畳は走りにくいのですが、そこで下がってしまったら知らないうちに差が大きくなってしまいます。そこから追いつこうとしたら、余分な力を使ってしまう。今までは接触などがあったら後ろに下がっていましたが、ロンドンではぶつかっても、絶対に下がりません」
清田の強気は国内のトレーニングと同様に、ロンドンでも見ることができそうだ。

【清田真央のマラソン全成績】
回数、年月日|大会|順位(日本人)|記録
1、2016.3.13|名古屋ウィメンズ|4(3)|2.24.32.
2、2017.3.12|名古屋ウィメンズ|3(2)|2.23.47.

完璧な忍者走りをロンドンでも

初出場3人はフォームにも注目したい。
ひと目で特徴がわかるのは、スズキ浜松AC2人の“忍者走り”だ。ヒジをほとんど曲げず手を腰よりも低い位置で振る。
体幹でしっかりと軸を作ることを重視し、「腕も脚も、それに合わせるだけの振り子」(安藤)ととらえている。「骨盤からしっかりと乗せていく」ことを意識し、脚力はできるだけ使わない。

里内コーチが女子選手を指導するようになったとき、「向かい風や上り坂を、男子のように筋力を使うのでなく、効率の良さで克服するにはどう走ったら良いか」に着目し、マラソンで有効になると判断して推し進めてきた走法だ。
“忍者走り”という呼び名が定着してしまったが、究極の省エネ走法、車に例えるなら低燃費走法といえるだろう。
シドニー五輪金メダリストの高橋尚子は、腕の振る位置こそ高かったが、ストライドが小さいピッチ走法で、全体的な動きは忍者走りに近い省エネ走法だった。
対照的だったのがアテネ五輪金メダリストの野口みずきで、小柄だが大きなストライドで42.195kmを走りきった。ダイナミックな動きを維持するため、筋力トレーニングを鬼気迫る真剣さで行っていた。

同じ忍者走りでも「清田の方が筋力はあるので、同じように指導をしても力強さがある」(里内コーチ)という。筋力を使わない忍者走りの特性が、より大きく現れているのは安藤の方だ。どちらが良い悪いではなく、野口のように42.195kmを最後まで、自身に合った動きで走り通すことができれば良いのである。
「名古屋の安藤は年に2回ぐらいしかない完璧な動きで、キルワ選手に離された34kmの上りだけ力んでしまいました。今はその精度をさらに上げるよりも、定着させることを目指しています」(里内コーチ)
上述したように、忍者走りをレースで行うには、膨大な練習を行って準備をする必要がある。精神面も大きく左右する。里内コーチの言った「年に2回」は、ロンドン世界陸上で2回目を実現させるぞ、という意味だ。

井上特有のバネの利いた走りとは?

井上は俗にいうフォアフット(前足部)接地で、アフリカ選手のようなバネのある走りが特徴だ。地面をキックした脚が素早く、リズミカルに前方に返ってくる。日本ではトラック向きとされる走りで、その動きで42.195kmを走り通すのは難しいとされてきた。
しかし井上は、自分の走りを貫いた。東京マラソン前に次のように話していたことがあった。
「マラソン用に無難な動きに変えるのでなく、このフォームをマラソンに持ち込んで成功したい。実際、ケニア選手やエチオピア選手は、それでマラソンを走りきっています」
現実にはトラックの方がスピードは速く、ストライドは大きい。踏み込む力が大きくなるからだが、そのときの動きがトラックとマラソンで違う選手はマラソン転向に苦労をする。マラソンで成功している多くの選手は、マラソンの動きでトラックも走るが、井上はトラックの動きでマラソンも走る。

井上は意識してその動きに変えたのではなく、元からその動きができていた。
マラソンで世界を相手に戦いたい井上の希望を受け、山梨学院大の上田誠仁監督は入学時から、その走りをどうしたらマラソンに持ち込めるかを考えた。
「あの走りを変えてしまったら、彼の持ち味をなくしてしまいます。体幹や軸をしっかりさせて、4年間をかけてマラソンができる基礎を作ろうと思いました。そのためにも、夏場も冬場も、クロスカントリーができる場所で合宿を行っています。マラソンの心構えは入社後に黒木監督(山梨学院大OB)がコツコツと教えましたが、動きの基礎は大学4年間をかけて培ってきました」

山梨学院大では専門のトレーナーと契約し、動きのバランスを整えるメニューも実施している。大きく見れば体幹トレーニングだが、身体の各部位が関連・協調し合って身体を支えることに主眼を置いている。ストレッチも、その場で行う静的ストレッチに加え、動きながら行う動的ストレッチも多いという。
ロンドン世界陸上に向け、井上は5月頭に50km走を行っている。
マラソンの距離よりも長い超長距離走。そうした練習を行うと、ゆっくりしたスピードに対応する動きになってしまうこともある。ところが井上は、その2週間後には1万mで28分08秒04の自己新で走った。
それができた理由を、黒木監督は次のように説明した。
「走力自体が上がっているからですが、トラックとマラソンが同じ動きのことも要因の1つとして挙げられると思います」
見た目は忍者走りほど特徴的ではないが、井上の蹴り返しが速い、リズミカルな走法はロンドンでも注目する必要がある。仮にアフリカ勢に中盤で離されてしまったとしても、最後まで井上の走りのリズムが維持されれば、入賞圏内に入ってくる展開は十分にありそうだ。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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