8月4日開幕

寺田的世陸別視点

第9回2017.08.03

展望コラム(9) 海老原有希
女子やり投史上初のフルエントリーと、主将・海老原の思い

女子やり投がフルエントリーになったことは、代表人数が少ない女子フィールド種目では明るい話題である。
日本選手権終了時点の代表はゼロだったが、南部記念(7月9日)で海老原有希(スズキ浜松AC)が61m95と、標準記録の61m40を突破。日本選手権優勝者でもあり、選考規定をクリアして5回連続代表に決定した。
12年以降は海老原1人が代表入りを続けて来た種目だが、今回は7月27日に斎藤真理菜(国士大)が、同28日に宮下梨沙(大体大TC)が代表に追加された。斎藤は5月の関東インカレで61m07を、宮下は5月のゴールデングランプリ川崎で60m03と、2人とも国際レベルの目安である60mを超えていた。世界的にも標準記録を破る選手が少なかったため、国際陸連のインビテーション(招待)により代表入りが認められたのだ。
日本の女子やり投は過去、3人のフルエントリーができたことは五輪も含めなかった。本番での戦いでも、プラスになる理由がある。

フルエントリーを熱望していた海老原

開幕2日前の8月2日午後、女子やり投代表の3人がロンドン・スタジアムに姿を現した。雨が降っていたこともあり室内練習場で走るメニューを中心に汗を流し、最後はフィールドを下見して引き揚げた。
「フルエントリーが夢」、と言っていたことがある海老原に話を向けると「先輩と後輩のおかげで、かないました」と笑顔を見せてくれた。

11年のテグ世界陸上は宮下と2人で出場したが、09年ベルリン世界陸上、12年ロンドン五輪、13年モスクワ世界陸上、15年北京世界陸上、そして16年リオ五輪と、1人で世界を相手に戦ってきた。男子やり投が村上幸史(スズキ浜松AC)、ディーン元気(ミズノ)、新井涼平(スズキ浜松AC)と、代表選手が3人出ていることを引き合いに、「女子も同じことができれば」という希望を持っていたのである。
「今だったらできると思うんです。宮下さんが頑張っていて、学生もそうですけど、その下(高校生)も強い選手が育ってきています」
夢だったフルエントリーを実現させたことで、本番の戦いにプラスとなる面もある。
「心強いですよ。こうして練習していても、つねに同じ種目の選手がいて、会話ができます。それが一番良いですね」
同じことを男子棒高跳の日本記録保持者、澤野大地が言い続けていた。以前は1人で五輪&世界陸上を戦ってきたが、13年モスクワ世界陸上、15年北京世界陸上、16年リオ五輪は山本聖途(トヨタ自動車)、荻田大樹(ミズノ)と3人のフル代表で挑んだ。
そのなかからモスクワで山本が世界陸上2度目の入賞(6位)を果たし、リオでは澤野が五輪64年ぶりの入賞(7位)を達成した。
女子やり投もチームで戦うメリットを生かすことができれば、女子投てき種目世界陸上初の入賞が実現できる。

試技を重ねる毎に精度が増す海老原の投てき技術

海老原の特徴は試技を重ねる毎に投げの精度を高めて、記録を伸ばしていくこと。標準記録を破った南部記念は4投目だった。1投目は53m80でスタートしたが、2投目に57m75、3投目60m35と着実に記録を伸ばし、4投目に61m95と標準記録を超えて見せた。
世界陸上を決める一投まで、海老原が投げ(動き)をどう修正したのか。南部記念の競技後に、じっくり振り返ってもらった。
「1投目は助走中に、ラインから遠い位置で投げてしまうとわかったので、もう少し(ライン近くに)踏み込もうと行ったら、突っ込んだ投げになってしまいました」
「2投目は、1投目より進む助走をしたら意外と近くなってしまって、(最後の一歩を)左側に回しながら投げる形になりました。やりの後方が下がった投げ出しになってしまったのですが、それでも57mだったので、今日はまっすぐに投げられたらやりは飛ぶ、と手応えも感じました」
「3投目は助走が間延びしている、詰まっているということがまったくなく、助走が合ってきた感じでした。迷いなくいつものタイミングで投げられたのですが、右足を接地して構えに入ったときに手首が外側にズレてしまいましたね」
「4投目は、3投目で助走に不安がなくなっていたので、スピードを上げ、クロス(最後の数歩)を掻くイメージで走って、投げ出した瞬間に綺麗に肩を上げられました。その分、高い位置で投げられたと思います」

海老原のもう1つの特徴は、助走スピードの速さだ。スピードを出すために助走距離を長くとるので、助走開始位置はトラックの外側になる。世界陸上の中継画面でも、外国勢との違いは一目瞭然のはずだ。
助走スピードの速さは、体格面で劣る日本選手が戦う上で武器となるが、その分、投げの動作を正確に行うのに高度な技術が必要になってくる。1投目から目指す動きをすることは難しく、試技を重ねるにつれて徐々に、やりたい動きに近づけていく。海老原は日本記録を4回更新しているが、そのほとんどを5~6投目で出している。
 修正能力が高いからできることだが、3投しか投げられない国際大会の予選では不利に働いてしまう部分でもある。それが12年以降、五輪&世界陸上で1m前後の差で決勝を逃し続けてきた一因にもなっている。11年のテグ世界陸上は予選を通過したが、「やりの、手からの離れ際だけ合って飛んだ投てきでした。その後の方が、力をしっかりと伝える投げはできています」と言う。
 スピードの速い海老原の技術が、上がっていなかったわけでは決してない。

女子やり投もチームJAPANで

海老原はロンドン五輪で決勝に86cm届かず予選落ちに終わった。「あと1m、何が足りなかったのかを探してきた4年間だった気がします」とリオ五輪に臨んだが、またしても決勝の壁に跳ね返された。
だが、リオ五輪の翌年に世界陸上ロンドンが行われるのは、海老原にとっては好運だった。「あと1m」を取り返すチャンスが同じロンドンである。
今季は初めて、標準記録突破が日本選手権後にずれ込んだ。そこだけを見ると調子が悪いシーズンになってしまうが、60mを超えた試合は4月の織田記念、5月のゴールデングランプリ川崎、6月の日本選手権と3試合あった。
4投目の「肩を上げる」というところまで持って行ければ、技術的には合格点に近い。織田記念の60m65はそこが「たまたまできた」という投てきだったが、南部記念では「やろうとして」そこができた。その結果の標準記録突破に、海老原自身も納得できた。
「アベレージを高くできていれば、(南部記念の4投目のように)やりたいことができたとき、記録が伸びます」
つまり今年の海老原のやりは、大きく伸びる可能性を持つ。
「ロンドンでまずは3投までに62〜63mを投げて、決勝に進む。そして日本記録(63m80)を更新するくらいでないと勝負にならないので、そこはつねに目指しています」

海老原は連続出場を続ける間、日本選手団女子主将を何度か任されてきた。
長距離&競歩の持久系以外の種目で女子代表が少なくなっていることを、選手の立場ながら気にかけてきた。
400mHで代表を続けていた久保倉里美が昨年いっぱいで引退し、100m&200m日本記録保持者の福島千里(札幌陸協)が今年は調子が上がらず、2008年以降では初めて代表入りできなかった。
海老原もリオ五輪後に31歳になったが、「自然とグラウンドに足が向いた」と、現役続行にことさら気持ちを入れ直す必要はなかった。「あと1m」を縮めたい思いもあったし、自身のテクニックの精度を高めることに、やり甲斐を感じている。
そして久保倉がそうだったように、自身が頑張っている間に後輩が国際レベルに成長し、チームJAPANとして世界と戦いたい気持ちもあった。リオ五輪の前に、次のようなビジョンを話してくれた。
「2020年東京で戦うためには、17年のロンドン、18年のアジア大会、19年のドーハ世界陸上と続けて戦っていくことが大事。特に若手は、ロンドンで代表の戦いを経験しておくことが重要だと思います。せっかく競技を続けるなら、女子やり投が世界に挑む流れを途切らせたくありません」
思わぬ形ではあったかもしれないが、チームJAPANで戦う態勢が整った世界陸上ロンドン。史上初の入賞を目指す海老原には、プラスの力が働く状況がそろってきた。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

バックナンバー

このページのトップへ