「道徳」的ではないが人が生きていくための礎
4月から小学校で「道徳」が正規の教科となるらしい。
テレビ報道によると、「道徳」の教科書検定で或る教科書出版会社の「道徳」の教科書に、パン屋さんを題材にしたエピソードを載せていたところ、日本の伝統を大切にする心を育むべき「道徳」の教科書には相応しくとの理由で、和菓子屋のエピソードに変更することで検定が通ったと言う。
こういう「道徳」教育の目線から見た場合は、カルテットというドラマは「不道徳」というレッテルを張られてしまうことであろう。
「きちんと」すること、社会が「こうあるべき」と枠を嵌めた「常識」に無批判に従い、自分の心で物事を見て、判断すること、多様な考え方や価値観を持つことを自ら放棄し、社会の大勢が右へ進めと言えば、その未知の先に弱者を排除するような世界が待っていようとも、言われたとおりに進むことが正しいとしか考えられない人間が溢れている。
自らの経済的な利益の安定、保身のために、目の前に繰り広げられているおかしなことも、しばらく目を塞いでやり過ごすことが「常識」だと考える大人たち。
そんな社会の一つの縮図として、子供の世界で、いじめが蔓延している。
日本の教育がそのように、与えられた「常識」に無批判に追従する人間を作り出すことを目指すのであれば、この国の未来は暗い。
このドラマが示したものに共感した人々の存在はは、今の世の中がこのままもっとおかしい方向に向かっていくことへの、ささやかかもしれないが、明確なオブジェクションであると私は受け止めたい。