水戸黄門大学

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パナソニックドラマシアター水戸黄門 40周年第40部記念 スペシャルコンテンツ



うずまさ通信

/『水戸黄門』の殺陣(たて)シーンを支える東映剣会の俳優陣をご紹介します
vol.17 田井 克幸(たいかつゆき)さん


◎生年月日、出身◎
1955年10月2日、京都府。
◎ニックネーク◎
「タイちゃん」。腐ってもタイちゃん!覚えやすいでしょ?
◎好物◎
ハムエッグ。朝でも夜でもハムエッグ大好きです。
◎苦手なもの◎
チキンだけはダメ。「鶏肉は食べたらあかん」お婆ちゃんの遺言です。
◎趣味◎
アウトドア(毎年夏のキャンプは火起こし担当)、映画鑑賞(お気に入りは『砂の器』『七人の侍』『サウンドオブミュージック』『カプリコン』」)、ゴルフ(一応)、そして何より最新の家電めぐり!!
◎得意技◎
これと言ってないなぁ。苦手もないしね。与えられた仕事はなんでもやらなあかんからね。
◎俳優になったきっかけ◎
中学と高校時代にずっとバンドやってたんです。友達と「絶対有名になろうな」言うて、千円札を半分に破ってそれを持ち合って「お互い有名になったら『スター千一夜』に出て、この千円札を合わそうね」って約束して。でも、ある時気づいちゃったの。自分には音感がないらしいって(笑)。友達との実力の差もどんどん開いちゃってね。それで音楽はあきらめて、役者になろうって思った。役者っていろいろな人間になれるのが面白そうやからね。東映の俳優養成所に1年近くいて、その後、知り合いがいる制作プロダクションに入ったんです。そこで大川橋蔵さんの弟子になったのが大きなきっかけ。僕は橋蔵さんの最後の内弟子で、亡くなるまで身の回りのお世話をしながら、芸を教えてもらいました。橋蔵さんはすごく努力家で勉強熱心な方でしたよ。最初に『銭形平次』の舞台に出してもらったのが22か23歳の頃で、丁稚(でっち)役。その数年後には、遠藤太津朗さん演じる万七親分の子分役でレギュラーをやらせてもらいました。だから、役者志望だった僕にとってはすごく恵まれていましたね。
◎撮影の思い出◎
昔は川や海に入る撮影がなぜか夜9時とか10時とかの遅い時間やったんです。『銭形平次』でも真冬の夜に橋を爆破するシーンの撮影があって、僕は水に浸かりながら爆弾を仕掛ける役。もちろんウエットスーツなんて着てません。もう体中が震えて、セリフを言おうとしても「ブブブブブ」って口がまったく回らない。結局セリフはナシになりましたけど、あの時のことは忘れられませんね。
それから、若い頃は立ち回りもがむしゃらにやってしまうでしょう?里見さんが主演した『田原坂』の立ち回りの時、斬られて思い切って倒れたら、そばにあった枝がカツラを破ってこめかみ近くに刺さってしまったんです。幸い大したケガではなかったけど、一つ間違えば目。本当にゾッとしたな。その時に、立ち回りの危なさと、事前に現場をよく見て、どこに何があるかを把握してやらないといけないと身を持って学びました。
それからマツケンサンバでは腰元ダンサーズにまじって侍ダンサーズで参加。殺陣だけやなしにサンバもイケます(笑)。
◎殺陣への思い◎
僕の場合は舞台が多いから、テレビよりもさらに殺陣の様式美みたいなものを気にしますね。主役がかっこいいのに斬られる側が弱そうだったり、ぶざまだったら主役のかっこ良さが半減してしまうでしょう。だから、常に斬られる側なりのかっこ良さは追及したい。それと、距離感や間合いもすごく大事。近過ぎると主役の刀裁きが小さくなってダイナミックさに欠けてしまう。逆に10mくらい離れた位置からでも、決めたところに刀がピタッと合うようにしないといけないし、それにはやっぱり技術が必要ですね。僕は仁義を切るとかヤクザものの立ち回りとか、そういう“見せる”芝居がけっこう好きでね。外連(けれん/演出とかごまかし)は外連なんやけど、いかに見応えある芝居ができるかって。まぁそれも、自分のないものねだりからきてるのかな。ガタイが大きくて顔が怖い人が斬られたらサマになるけど、僕みたいに華奢(きゃしゃ)な人間は弱いもんいじめみたいに見えたらいかんからね。そう思われんようにって、いつも気をつけてます。



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