パナソニックドラマシアター水戸黄門 40周年第40部記念 スペシャルコンテンツ
学部(がくぶ)
[1] 水戸エリア
- *常磐神社(ときわじんじゃ)
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徳川光圀公は73歳でこの世を去る。
梅の名所として知られる偕楽園の隣、
常盤神社では、
光圀公と9代藩主斉昭公が
学問の神様として信仰されている。
また、この常盤神社では、
毎年7月11日に光圀公の誕生祭が催され、
このお祭に招待されたお客様には、
黄門さまが大好物だったうどんやそばが
ふるまわれることになっている。
- *水戸黄門神社(みとこうもんじんじゃ)
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時は1628年。
徳川光圀公は、神君家康公の11番目の子である水戸藩初代藩徳川頼房公の三男として誕生した。
しかし、その誕生を父である頼房公は祝福せず、幼少時代を家臣である三木之次(ゆきつぐ)の屋敷で過ごす。
その屋敷跡は現在、水戸黄門神社脇に「義公生誕之地」の石碑として残っている。
- *水戸城跡(みとじょうあと)
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しかし、三男であるにもかかわらず、その英才を認められ父頼房の世子(後を継ぐべき子)に決定した。
そして、江戸の水戸藩邸に移り、江戸城内において9才で元服した際、三代将軍家光から「光」の字を与えられ、光国(後に光圀と改名)と名乗るようになる。由緒正しい武士の家に生まれたとはいえ、少年光国も人の子。
やがては反抗期に入り、その行状には教育係りもどうやらお手上げ状態だったらしい。
そして1661年。
34歳で水戸藩主となった光圀公の政策は、当時としては一風変わったものだった。
家臣や領民に心をくだいた政治を行い、この時、教科書でお馴染みの「大日本史」の編纂が始まった。
光圀公が行った政策はまだまだある。
当時の最新技術を使った水道の敷設や北海道を探検するために「快風丸」という大型船を建造したり、とにかくスケールの大きいことを次々と実行した。
[交通]
- 水戸:JR常磐線・水戸、偕楽園駅または常磐自動車道(水戸IC)
- 常陸太田:JR水郡線・常陸太田駅または常磐自動車道(那珂IC)
- ひたちなか:茨城交通湊線・那珂湊駅または東水戸道路