水戸黄門大学

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パナソニックドラマシアター水戸黄門 40周年第40部記念 スペシャルコンテンツ



学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [18] 京都
*終点
大津から歩いてくると京阪京津線、追分駅近くに山科追い分けがある。右に行くとそのまま京都市街から終点の三条大橋へと行く。左に曲がると伏見、淀、枚方、守口の四宿を通って大坂高麗橋までの大坂道、これも東海道と言う説もある。そうすると東海道は四十七宿と数える。
伝統と歴史の町、京都。しかし、東海道沿いには昔の面影を見つける物は少ない。しかし、一歩踏み込むと数限りない歴史の重みを感じる神社仏閣が並んでいる。三条大橋には手前に高山彦九郎、渡り終わった所に弥次喜多の像が現在の旅人を迎えてくれる。
老舗と伝統の町、歴史の感覚がこの町の人は違う。東京の人間が「この間の戦争」と言うと太平洋戦争を言うが、京都の人は鳥羽伏見の戦い、それより大昔の大化の改心を指す人もいるそうだ。
宿場寄席の終点はその老舗の力で大きく盛り上げて頂いた。三条大橋では京都の方、五十三次各宿の方が大勢で幟をたてて迎え、落語発祥の寺誓願寺へ詣で、八坂神社へ行き、神殿で無事到着の報告後、能舞台で宿場寄席最後の一席。井六園さんがお茶のサービスをする中、テントで落語の始まるのを待つお客様も明るく嬉しそうで輝いていた。
落語家がここの能舞台に上がるのも初めてなら、奴さんを踊ったのも初めてだっただろう。打ち上げは八坂神社内の中村楼で行い。63日間の旅を終えた。
水戸黄門の撮影も京都は太秦の東映撮影所。落語家が着る着物や小道具としてつかう扇子なども中心は京都である。
東京は首都になって約400年。京都は1995年に遷都1200年のお祝いをした町。重みが違う。五十三宿のこの数の意味は五十三の聖人にあって悟りを開く善財童子の話から来ている。私にとっても日本橋から京都の旅は毎宿、色々な事を教えてもらった修行の旅だった。修行の旅の終点にふさわしい懐の深い、我が日本人の故郷を思わせる町である。

黄門ご一行はこの後山陽道を行き、今回の終点までまだまだ旅を続けます。わたしの方は本編を見て頂いておわかりの通り、東海道の修行の旅を終え、江戸へ戻ります。
桂歌助の宿場レポートはこれにておしまいと致します。長い間、ありがとうございました。
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