水戸黄門大学

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学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [13] 鳴海
*渡しの宮
鳴海宿は名古屋市にある。昔で言う尾張。尾張にはもう一つ、宮(熱田)宿があるだけで名古屋の中心部は通らない。宮から船で桑名へ行く。その距離が約七里あった所から「七里の渡し」と名がついた。
もっともこの距離は通常の場合のコースで、干潮の折りは船が進める深みを選ぶため沖に迂回する。その距離は十里。時間は早くて二時間、長いと四時間以上かかったと言う。船の嫌いな人間は宮から佐屋街道を使い、佐屋まで陸路、そこから木曾川を船を使って桑名まで行く。それでも三里は船に乗らねばならなかった。昔は船は何時でも出たが、由井正雪の乱以降、七つ(午後四時)を過ぎると船を出さなくなった。そのお陰で渡しの宮、桑名の両宿は泊まり客で大変に栄えた。その手前の鳴海と四日市も渡し場の宿では泊まりきれない客でにぎわった。
今回のテーマは宿屋の苦労。素泊まりを「木賃」。食事付きを「旅篭」と言い、料金も木賃はかなり安かった。旧宿場の中に宿屋がなくなってしまった宿が多い中、鳴海には今でも老舗の宿屋が我々を迎えてくれた。番組の主人公になった女将に負けない位の宿屋の女将さんが実際にいるのだ。町には質屋の看板が目に付いた。「○○ひちや」となっている。江戸弁は「ひ」と「し」が逆になりがちだがここもその様だ。江戸っ子と同じだ。
昔は半ば公然と鳴海と四日市の間で旅人を渡していたと言う。このコースも距離は七里の渡しと大差がなかったそうだ。つまり鳴海宿はすぐ海を望む地だった。しかし、今は埋め立てられ住宅地に変わった。近くに桶狭間の古戦場跡があり、江戸時代の前まではお城があった。今川義元と織田信長の勢力の接する地点に今川の家臣が建てた鳴海城も信長との戦いに負けた後廃城になった。
徳川御三家、尾張公の庇護の元、木綿の絞がこの地の名産品として売られ、伝統産業として今でも続いている。隣の知立宿との間にある立場、有松では昔ながらの黒板塀の見事な町並みと共に絞工芸が江戸時代にタイムスリップさせてくれる。鳴海有松絞会館では絞の技法を教えてくれ、着物だけでなく日用品に絞を持ちこんでいる。
私はお土産で総絞の帽子を買った。鳴海商店街の半天が絞で出来ていて、「いいですね。」と私が言うと、帰りには「持って行きな」と総絞の半天を二枚くれた。海はなくなったが絞の伝統と人は昔の宿場まま旅人を迎えてくれた。
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