水戸黄門大学

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学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [6] 島田
*難所
田宿は大井川の東側の宿。
大井川は「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と謡われた東海道きっての難所。雨で水かさが増した場合は川止めで、水かさが下がるまで待たされた。
自分で勝手に渡るのはご法度。肩車なら一人分、蓮台を使うと四人分ある派それ以上に払わなくてはならない。とにかく川越えは旅人にとって大変な負担だった。十日も二十日も待たされる事もあったそうで、これに懲りたある大名は遠回りの中山道に切り替えたという話もある。
もちろん、徒渡し(かちわたし)は大井川だけでなく、大きな川だけでも酒匂川(小田原宿)、興津川(興津宿)、安倍川(府中宿)などがあった。橋を架ければと思うが、幕府の軍事上の理由で江戸時代には橋は架けられなかった。そのかわり、川越え人足が潤い宿場も繁盛した。明治になり橋が架けられると、川越えで生計を立てていたものが残らず困窮する。今も昔も世の中が便利になるとその陰で人手がいらなくなり、失業すると言う事態は起った。対岸の金谷宿の人足も含めて千人を越す失業者がでた様だ。その受け皿が牧の原台地の茶畑の開墾だ。大勢の人の手により日本一の茶畑が出来上がった。少しでもお茶を早く町に送ろうと出来たのが今でも残る蓬莱橋だ。全長895メートルもある木製の橋、幅がたったの3メートル。そこを今でもバイクで走ってる農家の人がいる。私も渡ったことがあるが、バイクとすれ違うときは怖い。手すりが膝ぐらいまでしかなく。バランスを崩すとすぐに川へ落ちそうになる。川会所や博物館とならんで今では島田の一つの観光名所になっている。
しかし、橋の出来たせいで失業した川越え人足が、今度は、自分たちの力で橋を架けたのだから、世の中不思議なものだ。


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