水戸黄門大学

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学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [3] 小田原
*城下町
小田原は相模の国、小田原藩の中心でした。
東海道はいくつもの藩(つまり国)にまたがっています。昔の旅人は今の人が外国へ行くのと同じ気持ちで国境を越えたのです。ただ、藩の区割りと今の県とは違います。東海道の宿場で言うと保土ケ谷までが武蔵の国、戸塚からが相模の国です。分水嶺が国境でした。江戸湾に流れる方が武蔵。相模湾に流れ落ちる方が相模の国と言う訳です。
小田原は相模の国の首都であったのです。東海道最初の城下町。今までの宿場の町並みは街道沿いの一筋町でしたがここは中心のお城から幾筋もの道が有り東海道と交わっていて大変なにぎわいだったはずです。それが証拠に江戸時代の宿場番付なる物が残っておりまして、東の一番が小田原でした。
西に箱根を控え、東海道を行く道中すべてがここの宿を利用したはずです。西に最大の難所の箱根を控え、東海道を上方から来た旅人は小田原で山祝いをしました。これは無事に山を越したお祝いでした。主人が家来に御祝儀を切ったそうです。
東には増水時は川止めになった酒匂川がありました。その上、隣の大磯宿まで16キロも離れいたのです。
東海道が500キロで53次ですから宿の間は平均9.3キロになります。その倍近くあります。その為に東海道のすべての旅人が泊まったと思われます。本陣や旅篭の数も多く、53次のうち本陣と脇本陣を合わせた数は8軒で一番多かったのです。それと本来次の宿へ荷物のリレーをすればいいのですが箱根宿が山の上の為十分な人馬を獲られず。山を越え三島まで運ばなくてはなりませんでした。ですから多くの人馬を必要としておりました。それで大変ににぎわった訳です。そしてここは港町、かまぼこが有名で相模湾の幸が豊富です。
昔は北条早雲の活躍、江戸は徳川譜代の大名が住み、そして二宮尊徳が出た地です。
しかしいい時ばかりではありません。廃藩置県時では小田原藩から小田原県となり、その後伊豆と一緒になり足柄県となり、ここまでは県の中心だったのですが、明治9年に伊豆は静岡、小田原は神奈川と一緒になり、県の中心を横浜になりました。また、明治20年には東海道線が出来ましたが小田原は外れました。今の御殿場線がそれです。
つまり国府津から御殿場を通り沼津に行くという難所の箱根を北に迂回するルートだったのです。その為、小田原、箱根、三島はあっという間においてきぼりを食って、活気がなくなりました。そこで小田原のリーダー達は湯本や熱海へいく鉄道を民間でつくったりして頑張ったお陰で、小田急線、丹那トンネル開通、新幹線の停車駅などで今では鉄道の要所となっています。
その他、この町では外郎という丸薬が昔から今でも変わらず売られています。その他も色々な名物があります。町の人も江戸時代から続いている家の御主人が大勢います。その人達が昨年東海道シンポジウム小田原大会を催し、私が五十三次一宿一席の報告を兼ねて講演いたしました。とても町造りに熱心な旦那衆の集まりで、城下町で宿場町で港町の小田原はこれからも益々人を引きつける町になっていくと思います。
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