水戸黄門大学

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学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [9] 浜松
*面白い地名
浜松宿の巻に私は出演してる。恥ずかしい失敗をしてしまった。浜松に「中の町」と言う場所があるのを知らず、遊郭で名高い江戸の吉原に仲之町(なかのちょう)と口慣れていて台本の「町」の字を音読みにして「なかのちょう」と言ってしまった。正しくは「なかのまち」である。ここが東海道のど真ん中、これは江戸からも京からもちょうど中間でその名が付いた。浜松の東、天竜川近くの地名だ。宿場の数では二つ東隣の袋井宿が真ん中だが約500キロの東海道、距離では浜松が真ん中である。しかし土地の人も粋な名前の付け方をしたものだ。
浜松にはそういう面白い地名がある。それを知るきっかけは、三方原古戦場犀ヶ崖資料館に寄ったお陰だ。東海道からは外れ、姫街道沿いに建っている。「浜松の歴史を聞きたい」と土地の知り合いにお願いしたら案内してくれた。
浜松は太平洋戦争で大空襲にあい、史跡や昔の町並みはほとんどない。東海道の宿場関係も知る事が出来なかった。
ただ、宿場の話を聞けないのは空襲で失った所為だけではない。この町は徳川家康公の町なのだ。浜松城は神君の出世の城、今川義元を桶狭間で破ってから17年もの間いた城だ。唯一、負けた戦いもこの浜松城にいた頃の三方ヶ原の戦い。これは武田信玄との戦いで小勢で勇敢に戦い負けはしたが三河に家康ありと天下の武将にその存在を強く知らせる結果となる。家康ばかりの出世の城ではない、それ以降も、代々の藩主が出世をしていると言う大変に縁起のいい町で私もあやかりたい。
その三方ヶ原(みかたがはら)を地元の人は(みかたっぱら)と言う。土地の人の言い方に従うのなら「みかたっぱらの戦い」と言わなければいけない。
その戦いの局地戦があったのがこの資料館の地、負け戦の中でも武田勢をやっつけた場所である。犀ヶ崖(さいががけ)に布で橋を作り、攻めてきた武田勢が橋に乗ったのを見て切り落とし谷に突き落としたと言われている。そこで「布橋」と言う地名がついた。
その他、家康が三方原から浜松城に逃げ戻る際、寄った茶屋で小豆餅を食べたので「小豆餅」(あずきもち)、餅代を払わずに飛び出た家康を茶屋のおばあちゃんが追っかてきて銭を取ったので「銭取」(ぜにとり)とにわかには信じられない伝説に由来する地名が今でも「小豆餅」と「銭取」等に残っている。「本当ですか?」とこちらから水を向けると館長さんが「多分作り話でしょう」とあっさり認めた。自分の町の自慢をする方が多い歴史資料家の中、伝説と史実を冷静に分析して判断する。この館長さんにはおおいに好感を持てた。
静岡市よりも人口が多いながら町が広くて高い建物が密集していない分だけゆったり感じられる。浜名湖の鰻の町、遠州の中心都市、戦争で宿場全部が焼けてしまった町でも伝説はわれわれにその頃の時代へ引き戻してくれる楽しい町である。
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