水戸黄門大学

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パナソニックドラマシアター水戸黄門 40周年第40部記念 スペシャルコンテンツ



学部(がくぶ)

東海道五十三次

第28部 / [4] 箱根
*山越え
箱根の山には昨年は二度行った。
最初は東海道の宿場寄席箱根宿公演。7月7日、快晴で絶好の行楽日和。落語会は旧宿場内の箱根集会所。宿場寄席中一番の高所での落語会だった。大概箱根での落語会は湯本に近いホテルか旅館でお客様相手だ。今回は地元の人の為にやった。箱根の山の上で落語会を催したのは初めてではないかと町の人は喜んでくれた。
落語会も終わり次の宿へ行くため箱根峠を越える。時には富士山の色々な表情を見ながら坂を降りる。遠方の景色が奇麗でいい汗をかいた。登りは沢沿いで景色が悪い。それに比べて西坂は見晴らしが良くて気持ちがいい。取材陣も静岡県に入る様子をテレビ局と新聞社が一社ずつが同行した。その人達ともわいわい楽しい道のり。夏の箱根はやさしかった。
二度目は水戸黄門の箱根ロケ。11月1日の事。嵐の様な風雨の中、撮影どころではない。それより、風の為にJRが止まって箱根までなかなかたどり着けなかった。宿へついても雨が窓をたたき風で電線が鳴いていた。箱根の山は怖かった。

箱根宿は人工の町、東海道が制定されて何年か経って、あまりの難所に山の上に宿を設けることになった。小田原と三島から五十軒ずつ移住する様に命ぜられ、初めは百軒でスタート、その後、二百軒近くまで増えた。箱根の関所は東海道を江戸から来る人間にとっては宿場の手前にある。関所を通らないと泊まれないのだ。後に関所の手前に茶店が出来て、関所通行の作法を教えたそうだ。さぞ繁盛したに違いない。
厳しく関所で取り締まった物に「入り鉄砲に出女」がある。当然裏道を通り関所破りをしようとした者もいたはず。それが為、箱根山周辺に脇関所が根府川(小田原市)、仙石原・矢倉沢(南足柄市)、川村・谷ケ(川北町)に五つあり、その他、番所も数多くあり、全体で取り締まった。それでも道中、箱根を越すときには家来が一人、二人増えたそうだ。関所の手形を持っていない者が、御用道中ということを見込んで、その若党や仲間(ちゅうげん)に頼んで金を出して家来にしてもらう。主人も承知の上、見逃していたそうだ。しかし、手形には主従何人と明記してあるので、関所役人も咎めるが、箱根にかかって荷物が重いゆえ臨時で雇ったという言い逃れで、通行を許された。
これは仲間にとってのおいしい見入りになった様だ。

今は箱根は観光地、温泉のでる保養地である。今回の箱根ロケもホテルを借り切って雨の為初日はホテルでのんびり待機となった。私にとってはレギュラーの皆さん、箱根宿の主役、長門裕之さん、脚本家、監督、スタッフや制作にたずさったTBSや電通、CALの皆さんそしてマスコミの皆さんと、初めての顔合わせの場となった。今までテレビで見ていた雲の上の人達と同席出来たこの日は緊張と興奮で飲みすぎて翌日が辛かった。
現場ロケは何年かぶりと聞く。東海道に限らず年々町並みが現代風になってその宿場でのロケはほとんど不可能だろう。唯一可能なのはこの箱根だけかもしれない。ロケ隊は役者や撮影スタッフだけでも相当な人数。それが無駄足にならないよう明日が晴れてくれる様、酔いでぐるぐる回ってる頭ではあったが祈った。翌日は曇り、何とかもって良かった。昨日とれなかった分を含めて今日一日で撮るので、ロケ隊は朝早く出掛けた。私は出番なし。頭が痛いのをのんびり味わえた。
この日とうとう富士山を見ることが出来なかったそうだ。放送では富士山が奇麗に写ってるがあれは合成したもの。
それがわからない位今は技術が進んでいる。それも一つの見どころ。もう一つの見どころが大名行列だ。放送の大名行列も大変な撮影だった。箱根には昔から11月に大名行列を町の行事としてやっている。その大きさ、本格さは日本一ではないだろうか。先頭が毛槍。毛槍持ちのいなせな人情話は箱根の景色と相まって今シリーズでも思い出深いものになった。


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