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ドリマ署 橋本班“ハシ”チョウ日記

『ハンチョウ〜神南署安積班〜』の橋本プロデューサーが、シリーズ4のウラ話や自身の本音を、徒然なるままに書き綴る日記コーナー!

vol.19
2011.07.04

橋本です。

ロッキー山脈での撮影が続いていて、
今日久しぶりにネットの繋がる環境に下りてきました。
一週間ぶりに「ハンチョウ」のホームページを見たら、
皆さんからのメッセージがいっぱい届いていて、
先ほどようやく全部読み終わりました。

「ハンチョウ」シリーズ4、最後まで見ていただき、
本当にありがとうございました。
最終回の視聴率も良かったようで、
本当に皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

このシリーズを立ち上げる時、
私の心の中にあったのは、
「戦争は、常に『正義』から始まる」
という言葉でした。

少し理屈っぽくなるかもしれませんが、
どういうことか説明させていただきます。

世の中で、一番避けたいものは戦争ですよね。
どんな国だって、戦争なんかしたくないに決まっています。
でも、その国にとってどうしても譲れない「一線」を破られた時、
その国の指導者は「正義」のために戦争を開始します。

例えば、第二次世界大戦で日本はアメリカと戦いましたが、
当時の日本にとって、「日本を欧米列強の植民地にさせない」というのが、
どうしても譲れない「一線」であり、そのために、
「植民地化されていくアジアを欧米列強の手から救う」というのが、
絶対的な「正義」でした。

しかし、視点を変えてアメリカ側からこの事態を見ると、
アジア全体を、日本という非民主的な独裁国家が征服しようとしており、
これを放置することは世界中の民主主義国家にとって致命的な脅威である、
と映っていました。
つまり、日本のアジア進出を食い止めることこそが、
アメリカにとって絶対的な「正義」だったのです。

この時点で、絶対的な「正義」が二つ存在しています。
しかも、その二つは絶対に相容れない「正義」なのです。
国と国とが、互いの「正義」を振りかざしてぶつかり合うと、
どうなるか。
最初は紳士的な外交交渉から始まるものの、
妥協点などあるはずもなく、すぐに決裂します。
決断を迫られた指導者にとって、
選択肢は二つしかありません。
相手の言い分を呑んで自分の「正義」を引っ込めるか、
自分の「正義」を貫くために相手に宣戦布告するか。

かくして、お互いの「正義」のために戦争は始まるのです。
気をつけなくてはいけないのは、
この時点で、二つの「正義」に優劣はない、ということです。
どちらの正義が正しいのか、
あるいはどちらの正義が間違っているのか、
この時点では決められません。

なぜなら、戦争で勝った方の「正義」が、
正しい「正義」になるからです。

戦争で負けた日本は、すべてが否定され、
民主主義という錦の御旗の許に、
国の根幹から変革を強いられました。
アメリカの考える「正義」が、正しい「正義」となったからです。

もちろん、私は日本が民主化されて良かったと思っていますし、
アメリカの考える「正義」が、根本的に間違っているとは思いません。
戦後民主主義の下で、平和な社会を築けたことも、
ありがたいと思っています。

しかし、忘れてはいけないのは、
アメリカの「正義」が正しかったから、
日本は戦争に負けたのではなく、
日本が戦争に負けたから、
アメリカの「正義」が正しい、ということになった、
という事実です。
もし、日本が戦争に勝っていたら、
日本の「正義」が正しいということになって、
アメリカの憲法が修正されていたかも知れません。

つまり、「正義」に絶対的な正解はないのです。

私たちは、「正義の味方」と聞けば完全無欠のヒーローだと思うし、
「すべては正義のために!」と言われれば盲目的に従ってしまうけれど、
実はその「正義」は、「誰かにとっての正義」なのです。

人を殺すことは、絶対的な「悪」です。
どう考えても認められないことだと思います。
しかし、現実にはオバマ大統領が、
「正義のために、我々は戦う!」
と宣言すれば、アメリカ軍はミサイルを発射し、
その着弾地点で人々が死んでいくし、
過激派テロ組織が、
「正義のために、抗戦せよ!」
と主張すれば、若者が自爆テロを実行し、
罪のない子供たちが死んでいきます。

一体、これは何なのか。
「正義」とは一体何なのか。

そもそも、「正義」のために戦争をする、
「正義」のために人を殺す、って、
ものすごく矛盾してるんじゃないか。

長くなりましたが、
このシリーズを立ち上げた時、
私が漠然と思ったのはそんなことでした。

「戦争は、外交の最終手段であり、
国際法的にも認められている正式な行為である」
と法律学者は言い、
「多数の利益のためには、少数の犠牲はやむを得ない」
と政治学者は言う。

でも!
おかしくないか!?

誰か一人くらい、
「いや、どんなに理屈をつけても、
それは単なる人殺しだぞっ!」
と叫ぶ人間がいたっていいんじゃないか。

そんな思いから、
シリーズ4の構想を練り始めました。


ロッキーの山深いところにずっといると、
方向感覚も失われ、
今、自分がどの方角に向かって歩いているのかも、
わからなくなります。
陽が暮れ始め、あたりが闇に包まれ始めると、
このままこの方角に歩き続けて行っていいのか、
不安が一気に押し寄せ、
恐怖に押しつぶされそうになります。

そんな時、
ふと頭上を見上げると、
満天に散りばめられた無数の星たちの中に、
ひとり毅然と北極星が輝いています。

ああ、こっちが北か。
この方角でよかったんだ。
全身が、安堵に包まれます。

そして、思うのです。
この星がある限り、
私は自分の行く道に自信を持って歩いて行ける。
この星がある限り、
私は迷うことはない。

見ていただいた方にとって、
「ハンチョウ」というドラマが、
そんな存在でありますように・・・・・・。

1万年以上前からある氷河の上を歩きながら、
おこがましくも、
そんなことを思いました。