2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

最終回

『配給制』

昭和12年に始まった支那事変 (日中戦争) が拡大し、大東亜戦争 (太平洋戦争) が始まる前年の昭和15年には、米・麦・砂糖・マッチが配給制になるわ。国の管理下におかれて自由に売買できなくなるのよね。米は主食、麦はそれを補うものよね。砂糖は輸入品だし、マッチも火薬の原料がまじっているから戦争に必要な物資ということね。太平洋戦争が始まると、衣類、塩、味噌、しょうゆ、石鹸、タバコ… 毎日の生活で使うものも規制がはいってくるの。ちゃんと使える分だけくれれば何の問題もないんだけど、物が不足しているから配給制になるわけで、そのうち配給が滞るようになってくるのよ。みんな困るわよね。農村の人だったら自分たちでつくるという手もあるけど、都会に住んでいると作る手立てもないわ。小さな庭でもあれば、そこで野菜をつくったり大豆で味噌やしょうゆをつくったり、いろんなことを考えるけどね…。

こうしてだんだん毎日の生活が不自由になっていくの。お米もほとんど配給がなくなっていって、お芋や、コーリャンっていうお米の親せきみたいのとかが代わりに配られていたんだけど、それすらも出来なくなって配給が滞るのよね。「配給ありますよ!」 と言いながら今日ありませんでした、みたいな日も増えてきてみんな食べるものもなくなってきた時代ね。

『国民服』

食料と同じく衣類にも規制がでてきて、新しい服がつくれなくなっていくわ。昭和15年には “国民服を着なさい” という法令が出来るの。ドラマ見ていただいたらわかるけど、カーキ色の軍服のような、制服のようなものを男性が着ていたでしょう。あれが国民服ね。軍人は軍服を着ていたんだけど、一般人も背広や着物を着ないで、みんな国民服を着るようになったの。その理由のひとつには活動的だということ。着物だと足元が悪いし、オシャレな紳士は高い輸入品の洋服地で服を作っていたりするでしょ。だから、みんなが同じものを着ることで質素倹約を形に示そうと、軍服にそっくりの国民服を着ることになるの。

デザインは2種類あって詰襟のタイプと、ネクタイが見えるテーラードカラーのタイプがあるの。オシャレさんや事務職の人はテーラードカラーの方を選んでいたようね。大人が着るようになってくると、小学生の服も徐々にミニ国民服みたいになって男性みんなが国民服も着ていたわ。女性はもんぺ姿よね。今はオシャレでもんぺ風のものを着たお嬢さんもいるけど、当時はそれを履かなきゃいけなかったのよね。着物なんかでチャラチャラして逃げたり作業したりするのでは足元が悪いから、もんぺが出来るのよ。新たな生地でつくるのではなくて、着物だった地味な生地を選んで自分でもんぺに改造するの。外にでるときは着ていないと “非国民” という呼び方をされるので、みんな着なければいけなかったわ。この時代は色が少ない時代だから、ドラマの画面を見ても寂しい時代よね。

『GHQ』

GHQ は “連合国軍総司令部” の略称。
みんなは GHQ と聞くと、アメリカ軍だけだと思うけど、単にアメリカ軍だけじゃなくて、連合国… 日本の敵側についた国が集ってひとつの組織をつくったのよ。それで日本を今後どう統治するか… という話になるのね。連合国側が全部日本に来て、右往左往しても仕方ないから、アメリカが代表して日本を統治しようとしたの。だから GHQ=アメリカというイメージになってしまうのよ。ここで登場するのは、みなさん御存知マッカーサーね。今回ドラマにはマッカーサーは登場しないけど、彼の副官だったり軍事アドバイザーだったり、その下で情報収集する人たちのグループを想定して、ドラマにはアメリカ軍将校を登場させました。天皇制… エンペラーシステムと呼んでいたらしいけど、それを今後廃止するのか、昭和天皇を退位させて新しい天皇をたてるのかということを模索するためのリサーチをしていたチームと想定しています。

だから鴨場で宇佐美さんに天皇のことを聞いていたんだけど、実はその前からいろんな調査はあったの。戦争する前から 「日本にとっての天皇とは何か」 って。ひとつには敵を攻めるときのヒントにもなるものね。結果からいえば、天皇制を残すことによって、日本を新たに統治していくことにしたわね。ピラミッドを崩さずに、そのピラミッドを利用しようとしたの。あとは民主主義で行政のトップを選挙で選んで、天皇は象徴にするというすみ分けを GHQ は選んだのね。

『秋山篤蔵の最後』

今回は、昭和天皇が微妙に登場されていらっしゃったわね。最初にトゥヌルドの糸が陛下のお皿からでてきたとき、陛下のもとへ行ってお小言もらうかなと思ったら 「朕のぶんだけか」 と言われたシーンと、最後の退職の挨拶をするシーンの2ヶ所。普通は、なかなか直接お会いする機会は無いそうよ。戦前だったら、たとえお会いしても、ある一定の身分以下は陛下のお顔をみないとか、軍人さんなら直立不動とか、ランクによって細かいマナーがあるのよ。篤蔵さんは、厨司長 (主厨長) で調理所のトップではあるけど、宮内省の序列でいえばそんなに高くないから下をむいていたのね。退職するときは戦後なので、もう少し顔をあげてもいいんだけど、彼の場合たぶん感激をしていたの。それと戦前から務めているから、戦前のマナーでお会いしているんじゃないかしら。現代の宮中マナーと戦前のマナーはだいぶ違うのよ。それだけ昔は天皇と一般人の身分差があったけれど、今はそんなのなくなってきているわよね。お顔を見てきちっと挨拶するほうがマナーになっているわ。
そして、篤蔵さんは昭和47年に無事に退職しました。
最後にモデルになった実在の秋山徳蔵さんが執筆した本 『味』 が出てきたわよね。実はこれ在職中に書いたものなの。人間宣言をされて象徴天皇になられたけど、特別なもの食べているんじゃないかとか、金の食器で食べているんじゃないかとか思われていたので、そうじゃなくて国民と同じように食事をされて、暮らしをしているということを料理人の立場で少しアピールしたかったんじゃないのかな。私も今回、戦前の陛下の食事やマナーを調べたけれど、ほとんど見当たらなかったわ。女官や侍従の人たちの回顧録の中に断片的に出てくることをヒントにしているけど、公に書かれているものがなくてほんと困ったわ。秋山徳蔵さんは陛下も普通の生活をしていますと分かって欲しくて本を書き上げたのだと思うわ。機会があったら、ぜひ読んでみてくださいね。

『最後にご挨拶』

全12話、ドラマと同じように、『日曜九時の時代番』 を最後までご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

明治・大正・昭和と激動の時代を、いつも走っていた篤蔵さんと同様、ドラマも駆け足で進みました。そのため、ドラマだけでは分からなかったことや、もっと知りたいということに少しでもお応えできればと思い連載いたしました。

篤蔵さんが生まれた明治31年 (1888) は、私の祖父が生まれた前年です。子供の頃に、祖父の膝の上で、もっともっと明治や大正の話を聞いておけば良かったと、今更ながら後悔しました。そして、大正生まれの父や母も亡くなりました。

俳人の中村草田男が昭和6年に詠んだ句に 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」 というのがあります。どんどん、歴史の闇の中に消えていく近代日本の姿を時代考証をとおして少しでも描き出せたことを幸せに感じています。

時代考証家 山田順子


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