2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第九回

『福羽逸人〜農学博士〜』

今回のお話で、篤蔵くんは宮内省の大膳寮で厨司長になるという前提で就職しましたが、そのときの大膳寮の責任者だったのは、大膳頭の福羽逸人さんだったわね。ちなみに、当時は現在の 「宮内庁」 は 「宮内省」 で 「主厨長」 は 「厨司長」 と呼ばれていました。大膳頭は歴史用語としては 「だいぜんのかみ」 と呼びますが、宮中では天皇陛下を 「おかみ」 と呼ぶので、大膳頭は 「だいぜんとう」 と呼びます。
少し変わり者で、人がよさそうに描かれていますが、実は実在したすごい人なのよ。日本の園芸史の金字塔で、明治から特に西洋の野菜や果物の新しい品種をとりいれ、日本の風土に根付くように品種改良して研究した人なの。今の新宿御苑は、当時、陛下のお庭のひとつで宮内省の御苑だったんだけれど、そこに温室を建てて蘭や果物を育て、畑では野菜を育てて栽培の実験をしていたの。海外でもたくさん勉強や研究をしてきた農学博士だったのよ。

視聴者のみなさんにとって、この福羽さんの恩恵を感じることは何かしらというと… イチゴね。「福羽イチゴ」 といって、今のみなさんが食べているイチゴは日本原産のイチゴを改良したのではなくて、西洋イチゴの改良品なの。それを日本に根付かせたのは福羽さん。そこで彼の名前をとって今食べているイチゴのご先祖のことを「福羽イチゴ」と呼ぶの。さらに、マスクメロンってあるでしょ?あれは、ヨーロッパから福羽さんが日本に導入して普及させたのよ。高級マスクメロンの育ての親でもあるわ。
大饗のときに、テーブルに飾っていたお花を覚えているかしら?それも、福羽さんが世界各地から花の苗や種などを持ってきて、新宿御苑で育てた花がテーブルを飾っていたのよ。福羽さんは大膳頭としての心構えとして 「日本の料理には日本できた野菜で食べ、日本でできた花を飾るというのが本来の姿。だから日本で栽培しましょう」 と常々言っていたという資料があるわ。

『福羽逸人〜大膳頭〜』

作品の中でも紹介していましたが、植物学者として福羽さんはすごい人だったんですよ。でも、それだけじゃなくて、宮内省の大膳頭という役職もしていたの。さらに、当時は子爵の位でいらっしゃったから本当に偉い人だったのよ。彼が篤蔵さんに差し出した書類には 『宮内省大膳頭子爵 福羽逸人』 と書いてあるわ。だけど、ドラマを見てもおわかりになるように、とても飾らない人だったそうよ。彼は、宮内省の新宿御苑とかの責任者から大膳を管理する立場になったの。料理ができなくても管理部門のトップだから別段問題はないのよね。とはいえ、彼が大膳のトップになったのは海外経験が豊富だったからでしょうね。パリで一流のフランス料理を食べたでしょうし、なんせ植物学者だったから、いろんなものを食べたことがあると思いますよ。東南アジアでもアメリカでも… いろいろな国で。料理がその国のレベルをはかるというのをすごく感じている人だったはず。篤蔵くんが選ばれたとき… もしかして選ばれるときの審査の一役も担ったのかもしれないわね。篤蔵さんが、即位の礼の大饗のメニューを一生懸命考えて提出したとき 「このレベルか…」 と言い放ったけど、本場のフランス料理を食べてきた人だからこそ言えたのでしょうね。ほかの日本人だったら 「そういうものか…」 と思ったかもしれないけど、彼は世界を知っているからこそ言えた。篤蔵くんはいい上司に恵まれましたよね。

『史上最大の大饗』

今回の最大の山場だった 「御即位の礼の大饗」 これは天皇が即位したときに一生に一回だけ行われる大嘗祭 (だいじょうさい) という式があって、それは神さまと一緒にお食事をするという式なの。
その式のあとに国民と天皇陛下が一緒にお食事をするのよ。国民と言っても国民の代表よね。大臣だとか華族とか、そういう人たちと食べるの。式は2日あって1日目は和食で、日本古来の伝統的な和食。2日目は、西洋料理で海外の使節や大使たちをご招待して、かつそこに華族や大臣たちも一緒に宴会をするの。その2日目の西洋料理をつくるために篤蔵くんは呼ばれたのよ。今までに宮中の晩餐会で西洋料理がなかったわけではなくて、有名なホテルのフランス人シェフに指導してもらいながら作っていたの。だから100%大膳寮の仕切りではなかったので、今回は大膳寮として、全部献立からやりたい… ということになり、彼に任されたのね。

2日目のお客様が2,000人。式典は京都御所で行われましたが、宴会は二条離宮で行われたの。江戸時代は徳川家の城だったのが、明治になって天皇の離宮になっていたの。現在も国宝の二の丸御殿という建物が残っているけれど、それの北側にお庭があって、そこに仮説の宴会場と厨房を建てたの。その大饗の一回きりでそのあとはすぐに取り壊してしまったそうよ。ある意味では、清いところになるから、新たに建てることが必要だったのね。そのとき、来賓の控え室に二の丸御殿を使ったそうよ。行ったことがある方ならおわかりになると思うけど、海外の人たちは、まさに絢爛豪華なお部屋に通されてビックリしたでしょうね。部屋の雰囲気でビックリさせて、そのあとの料理でもビックリさせる… という計画だったのかしら。
だけど、2000人のうち実際にフルコースを食べたのは200人くらいだったの。残りの1800人は夜会への出席だったわ。今でいう二次会よね。そこでもまた料理がでるんだもの。大変よね。来賓もお料理をお土産に持って帰ったみたいよ。昔は宴会料理をお重につめて持って帰る習慣があったの。それはお祝いの喜びをみんなで分け合おうっていう日本人の風習なのよ。だから陛下のお祝い事に出たお料理やお菓子を持って帰って、家族みんなで祝いましょう… そういうシステムね。だから二次会の料理は持って帰れることを前提で作られていたらしいわよ。

とにかくすごい人数だから、準備するのに献立を決めて、それから材料を集めて大変な騒ぎしていたわよね。ザリガニも大変だったけど、野菜なんかも、数を揃えて、サイズを揃えて、すべて同じ大きさにする。じゃがいもも、綺麗なまん丸にしてね。そうすると、やっぱり大膳寮の人たちだけだと手が足りないの。宇佐美さんや辰吉さん… ほかの西洋料理のお店から応援を呼んで、お手伝いをしてもらっていたのよ。和食もそうだったのよ。
当時ではとにかく過去最大の大宴会だったの。しかもお客様はみんな大使や大臣、華族だとかトップクラスの人たちがズラリですから、一人にでも落ち度があると大変なことになるから、緊張の連続だったと思うわ。

『篤蔵さんの職場』

和洋折衷の明治宮殿の中で、宮内省と大膳寮と調理所だけは西洋建築でつくっているの。
それはなぜかというと、宮内省は事務棟だし、大膳寮や調理場は作業場で、しかも西洋料理を作るので、大型のオーブンやパン焼き窯を設置する必要がある…ということらしいわ。この辺に関しては、実は現在の宮内庁の書陵部に通って、当時の図面を探し当て、大膳寮と調理場を完全に…とは言わないですけど、コンセプトを活かして再現しました。窓の雰囲気から調理設備に至るまで。
それからガスもあったし、ボイラーからお湯が出るようになっていて、蛇口をひねるとお湯も使えていたそうよ。

今回のドラマでは、大膳寮のことも大饗も、完全に再現出来なかったけれど、集められる限りの資料を集めて再現しているので、後半もセットに注目してぜひ見てくださいね。
大膳寮には料理を作る部門のほかに、それを配膳する部門があって、主膳と膳手の2種類がいて、今でいうサービス係ね。さらに、その2つを管理する管理部門があるの。
配膳する主膳さんと膳手さんの衣裳がおもしろかったでしょう?
明治から大正にかけての宮中の晩餐会の制服だったのよ。きらびやかよね。おそらくフランスやイギリスの晩餐会のサービスたちの服を真似しているんだと思うわ。私も資料を探していると制服の規定が残っていたから、衣裳さんになるべく近いものをつくってもらったの。現代の晩餐会と比べて違うと思わない?初めて見ますよね。今後は午餐会が行われるときには燕尾服・両陛下の日常の食事にはモーニングが出てきて、同じ膳手さんたちでも服装が食事の内容によって変わるのよ。制服にもご注目ですね。そしてかっこいいサービスぶりも注目してみて欲しいわ。


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