2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第五回

『バンザイ軒は神田にあり!』

現在も神田という町には大学がたくさんあって、学生街と言われているわね。昔からずっと学生さんが多い町なのよ。なぜかというと、昔、あの辺には昌平坂学問所と言われた孔子廟を祭った幕府の学校があったの。そこを中心に学校の先生たちが私塾をひらいたりしていくうちに、学者たちが集って住むようになるの。今みたいに通勤するのに便利な時代でもないし、自然とまわりに集まってくるのよね。そこへ今度は学生たちも住むようになって、学者が自分の学校をつくって… といった具合に神田の街が学生街として発達していったの。

さらに江戸時代は、あのあたりには旗本屋敷が多かったわ。幕府がなくなったあと、旗本たちは失業してみんないなくなったの。そうすると学校を開くにはいいサイズの土地がたくさん余っていたのよね。

当時、帝国大学と言われていた東京大学や京都大学のような国立の大学は大学と呼ばれていたんだけど、それ以外は “専門学校” と呼ばれていたのよ。けれど、篤蔵くんが東京へ来た明治37年の2年前に、徐々に私立でも大学と名乗っていいよと言われて、篤蔵くんのお兄ちゃんである周太郎さんが通っていた日本大学や早稲田大学、慶応義塾などが大学と名乗れるようになった時代だったの。ちょうど、学校の転換期だったのよ。
篤蔵さんが働くことになるバンザイ軒は、神田にあるという設定なんだけど、バンザイ軒に来るお客さんは、学生さんが多いなぁと思わなかった?学生街にあるし、学生さんたちがお腹いっぱい食べられるように安い店というのが売りだから、学生さんが多かったの。学生街ということで、本屋さんが多い地区でもあるわね。となると出版社も多い、ということは、製本屋さんや印刷屋さんも多い。それを想定して、印刷屋さんに勤めていた人がバンザイ軒で食べている… という裏設定があるの (笑)

バンザイ軒の路地を出たところには、西陽堂という出版社をあえてつくったの。実在した東陽堂という有名な出版社があって、残っている錦絵をもとに、その出版社の看板の出し方やポスターをイメージしてつくったのよ。それからバンザイ軒を出てすぐ左のところに勧業所も作ったわ。今でいうデパートと見本市会場がセットになったようなところね。新商品が展示してあったり、物産展をやっているわ。
神田のような、新しいもの好きな人たちがいるところに勧業所がたくさんあったの。バンザイ軒の傍の町並みは、当時の神田のイメージを再現しています。今後もまだまだ登場するので、バンザイ軒の外の様子もお見逃しなく!

『庶民の洋食』

バンザイ軒は、庶民が気楽に入れる 「町場の食堂」。
西洋料理は、華族会館や帝国ホテル、今回、ドラマとコラボしている精養軒が西洋料理のトップクラスと呼ばれるフルコースを出すお店。当時の庶民が一食食べたら、月給が飛ぶんじゃないかと言われるようなお店ね (笑)。庶民は普段は行けないわよね。そして、一番庶民的なのは、バンザイ軒。ここではご飯を食べるのに、フォークもナイフも使いません!箸で食べます!そして、主食はパンじゃなくてご飯です。今でも、洋食屋さんでとんかつは箸で食べますよね。それの発祥だと思います。
バンザイ軒で出す料理は、西洋料理ではあるんだけど 「西洋を真似した料理でございます」 という意味も込めて、「お手軽洋食」 という看板を揚げています。そこではみなさんにも馴染みのある、メニューが多いわ。オムレツ、ライスカレー、カツレツ、ビーフシチュー… そういうのがメインね。それに、ごはんとスープを出しているわ。そこは味噌汁ではなくて、親父さんがちゃんとスープを一からつくっていたのでしょうね。
わりと、良心的なお店よ。お値段も当時の相場を調べて、庶民が食べられる値段にしたし、その中でも安く設定したのよ。学生さんたちが気兼ねなく来れるように。今でいえば600円くらいを想定しているかしら。ご飯をつけたら700円くらいかしらね。

こういう小さな町の食堂の経営は、だいたい家族経営なのよね。バンザイ軒も、親父さんと奥さんでやってたわね。ここに仲居さんがいたり、厨房にもお手伝いがいたり… 多くてもだいたい4人くらいね。バンザイ軒は色々な事情があって、夫婦2人の経営になっているの。忙しいと思うわよ。仕込みから全部ご主人が一人だし、フライも揚げて、キャベツも刻んで…。篤蔵くんが来てくれて親父さんが嬉しくてしょうがなくなるのはわかるわよね。

『続・牛肉を食べよう運動』

バンザイ軒に、牛乳配達が来るというシーンがあったけど、お気づきになったかしら?
前回もお話したけど、明治の頭の頃は、「肉・牛乳・じゃがいもを食べよう運動」 をやっていたでしょ? じゃがいもは新しく開拓した北海道から送られてくるし、肉は肉屋さんで売っているわよね。で、牛乳はどうしてたの?と思われると思うけど、昔から毎朝牛乳は各家庭に配達してくれていたの。今は紙パックだけど、昔はビンに入っていて、牛乳箱に入れてもらっていたのよ。飲んだらその空瓶を返して、また使う… というリターナブル瓶だったわ。それは今も同じよね。
どこで牛乳を生産していたのかというと、なんと明治後期には東京都心にも3,000頭以上の乳牛がいたのよ。丸の内もそうだけど、東京には大名屋敷なき後、空き地になっている所が多かったのよね。大きい敷地が廃れて草ボーボーになっているところに牧草地を作って、牛を飼うことにしたの。

古い時代から言えば、実は江戸時代から牛乳を飲んでいた人がいたわ。なんと、それは将軍様。八代将軍吉宗は、鎖国は解いていないけど、西洋のいろんなものを入れるようになった。すると、牛の乳が栄養があって、病気に効くと知るのよね。そこで、千葉県の幕府の牧場で牛を飼っていたの。「酪」 「醍醐」 と呼ばれるチーズとバターを作っていたのよ。特にチーズは、子だくさんで有名な十代将軍家治が好きで、それを食べていたそうよ。
ただ、場所が遠いという話になって、後々は江戸城のなかで牛を飼っていたらしいわ。そこで乳を搾って、酪を作って、毎日少しずつ食べていたそうよ。幕臣でも病気になったら 「少し牛乳を分けてください」 とお医者さんを通して、分けてもらったりもしていたそうよ。薬だと思っていたのよね。

味の面では… チーズにはどうやら砂糖をいれてたみたい。今でいうチーズケーキみたいな感じかしらね。
けれど、本格的に庶民も飲むようになったのは、明治に入ってからだったわ。体格をよくしようとした国策で、天皇をはじめみんなが飲み始めたの。そうすると、西洋的な考えを持っているお家は牛乳を取り始めるし、病人がいる家もそうね。それこそ、結核の人がいると、とる家が多かったわ。周太郎さんの枕元にも後々登場することになるから、気をつけて、枕元を見てみてね。
牛乳配達の人は、初期はラーメン屋さんの出前のように、おかもちにいれてぶら下げて配ってたけど、自転車が大衆的になって、うしろに荷台がつけられる時代になると、自転車で配達する時代になってくるの。今回のドラマで出てきたころは、ちょうど自転車で配り始めた頃かな。流行の最先端ね!

『当時の物価』

お金というのは明治の時代の中でも物価が上がったり下がったり… 変動するけど、篤蔵くんが生きた時代は、一銭を150円くらいに考えています。
当時のお米の値段と今のお米の値段で換算したり、当時のお給料で換算するとか、お蕎麦一杯の値段とかいろいろ方法があるけれど、偏っちゃうのよね。特にお米で換算すると、当時の米は値段がすごく高いから、今の米の値段にすると他の物価が安くなっちゃったり、給料が昔は安いから、物価が高く感じたりもするので、平均にならして考えて一銭150円計算にしています。

1円は=150銭。ということは1円は1万5,000円に相当します。篤蔵くんの最初のお給料は1円50銭だったから、今で言うと2万5,500円くらいになるわ。安く感じるかもしれないけれど、華族会館では住み込みだし、家賃も光熱費もいらない。3食食べさせてもらえるものね。当時、小僧の間は原則給料はもらえなかったのよ。でも、それじゃあ着るものも、ちょっとしたものも買えないから… ということでお小遣いのような感覚のお給料ね。それは華族会館だけの制度ではなく、当時の商家は、最初小僧から始まって、手代さんになって、そのあと番頭さんになれるんだけど、番頭さんになって、やっとなんとか家族を養えるだけのお給料をもらえるの。小僧の間は、仕事を教えてやっているし、食わせてやっているという気持ちもあって、お小遣い程度しかもらえないの。でも、使い道もないのよね。商家のお休みは、年に2〜3日だけしかないんだから。薮入りと言って1月と7月の数日だけ。お金は欲しいけど、ないから暮らせないというものでもないのよね。使う暇もないんだから。

篤蔵くんもそういうシステムの中で、小僧と呼ばれているころは、お小遣いがもらえただけでもいい待遇なの。3話で俊子さんとご飯を食べようと思って、お財布に30銭しかなかった。ということは4,500円だから、定食屋さんに行ってご飯は食べられるけど、おいしいもの食べたいと言われても払えない金額という想定ね。


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