2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第四回

『大使と公使』

今では英国大使館と言いますけど、篤蔵が生きた時代ではまだ 「公使館」 と呼ばれていたの。公使は、大使よりも格がひとつ下なのよね。大使館では、お互いの国で大使を交換して駐在していて、片方の国は大使で、片方は公使だなんて、格が違う人を出すことはないんです。けれど、当時日本はまだ西洋諸国からみたら、二等国だと思われていたから、大使を派遣してくれないのよね。「国の格が低いから、お前のところは公使でいいだろう」 と言われてしまうのよ。だから、当時の英国大使館は公使館なの。それが結果的に、日本が日露戦争に勝つと日本も同格だと認めて、大使をだしてくるようになったのよね。

のちのち、篤蔵くんがフランスに留学したときにお世話になるのは、フランスの日本大使館の粟野慎一郎さん。その時代には、公使館はすでに大使館になっていたということね。そういう意味では、日本にとって日露戦争は、国に等級があるかどうかはわからないけど、今までの二等国が一等国になるキッカケとなった戦いでしたね。

英国大使館が今、どこにあるかというと、千鳥ヶ淵を出たところ。昔から変わらない場所にあるのよ。篤蔵くんが走って華族会館と英国公使館を行き来するシーンがあるけど、あれはお堀のふちを走っていたの。華族会館は、日比谷公園の前にあったから、公園の前からスタートして、お堀沿いに皇居の周りを走ると、英国公使館に着くわ。

『戦術は料理』

大使館では、毎日の食事に駐在した国の食事ばかり食べていられないでしょう。だから、大使たちは、料理人を一緒に連れてくるわけ。ドラマに出てくる英国公使館でも、イギリスから料理人を連れて来ているわよね。かといって、イギリスの人を現地からたくさん連れてくるなんてことは出来ないから、現地採用もあったでしょうね。それが、今回登場した、英国公使館の五百木さんね。料理が出来ることと、あともうひとつは英語が出来ること。現地から連れてきたシェフの指示がわからないと困るものね。

大使に食事を用意するほかにもうひとつ、大使館にいる料理人たちの仕事は、晩餐会をやること。日本に来ている英国大使が、英国国王のお誕生日にパーティ開いて、日本の偉い人たちを招いたり…反対に、海外にある日本の大使館でも同じようなことをするわね。大使館で開かれる晩餐会では、その国ならではの料理を作れる人たちが必要になるわよね。それもあって、母国から料理人を連れてきたりするの。そのとき、まずい料理はだせないじゃない。だから一流のシェフを揃えてくるのよ。

外交では、古代から料理で相手をとろけさせる戦術はあったわ。特に有名なのは、ナポレオン戦争のあとのウィーン会議のお話。フランスが敗戦国になって、国が解体されそうになったとき、フランスから大勢シェフが出向いて、毎晩毎晩すごいフレンチのご馳走をしたそうよ。そうすると、ほかの国の人たちが、その料理を食べたいばかりに毎日のようにフランスの大使館に行って宴会をして、結局会議がだらだら延びちゃって結論がうやむやになり、フランスにとっていい結果が出た…まさに料理が国を救った例があるのよ。

『料理人という職業』

料理人の世界というのは徒弟制度。お店には、親方がいて従業員は弟子… といった感じね。その親方の味とかレシピとか、それを習って自分のものにしていくの。今みたいに教科書なんてないのよ。確かにお料理の本はあったけど、昔の江戸の料理の本なんて、何gだとか何ccとか、量は書いてないじゃない。そうなると、あとは体で、味で覚えるしかない。そういうのを親方から直接教わるの。それを、篤蔵さんみたいに、ほかの親方に習うということは、前の親方の恩を捨てる、不義理することになるから、今回は英国公使館に行ったということがバレて華族会館も辞めることになってしまうのよね。
普通の社会であれば、仕事じゃない時間にバイトをしても、規則で止められていなければ OK じゃない?徒弟制度では、自分の親方じゃない親方につくということは、破門になるから、お店を辞めざるを得ないの。そのかわり、反対に親方は私生活まで弟子の面倒を見てやらなきゃいけない。住み込みもさせて、飯も食わせて、小遣いもやって、弟子が一生食べていけるだけの腕をあげて、下手したら嫁さんも探してきてあげたり… そういうかたい絆、親子以上の絆で結ばれている社会なのよね。今はないわよね。

親方につくことでいろいろ制約はつくけど、親方も弟子を育てる義務がある。そういう濃い時代だったわよね。
親方のところにいても、ほかの味が見たいという人は、親方の了承を得れば、修行の旅に出ることが出来るわ。親方が修行先を紹介してくれたりするのよね。お互いの弟子を交換してみたり。そういうシステムがあったから、調理人というのは旅がらすのような気風があるのよ。ほかの仕事人は、仕事の道具や材料が特殊だったりして手に入らなくて、そこでしか仕事が出来ないことがあるけど、料理は日本全国に魚はいるし、米もあるし、使い慣れた包丁だけを持って旅に出るのよ。どこでも仕事が出来るのよね。一方で親方についてがっちりしたピラミッドを昇っていくコースもあるわ。

料理人は地位が低いと思われがちだけど、のちのち登場する、天皇陛下の料理番になる人たちは、きちんと位をもらっていたのよ。それから宮内省で働くような人たちは、もともと公家だったりするし、武家社会では、魚をさばける料理人は武士並みの格をもらえていたし、華族会館と一緒で肉か魚か… 扱える材料によって、ランクが決まっていたらしいのよ。魚ひとつにとっても格がある。鯛と鯉がトップね。それは、鯛は海の王様だし、なんで鯉?と思うかもしれないけど、海がないところでは、鯉が一番トップなの。形が綺麗でしょ?京都あたりで新鮮な鯛が入らないと鯉をさばいていたわ。
料理人と一概に言っても、上から下までいろいろな格があるのよ。

『贅沢な病?』

周太郎さんが 「ろう咳」 とお医者さんに言われていましたけど、今でいう 「肺結核」 のこと。
昔の人たちは原因がわからないから、咳がでて体がおかしいとなれば、単純にろう咳や肺病だとか言っていたの。だけど、とにかく原因がわからない。“どうやら人間にうつる” ということだけはわかってくるのよね。というのは、看病する人も、どんどんうつっていくから。第二次世界大戦中のアメリカで発見された 「ストレプトマイシン」 というのが戦後に日本に入ってきて、治療が出来るようになってからは少なくなった病気ではあるけど、最近また増えてきているようで、完全になくなった病気でもないのよね。

篤蔵が生きた時代となると、やはりほぼ治らないでしょう。治療法としては、これ以上悪くしないということだけ。“安静にする” “栄養をつける” この二点しかない。安静にするというのは、激しい運動をしない仕事をしないということだから、贅沢病とも言われていたわね。もうひとつは、栄養をつけることが大事なので、栄養のあるものを食べましょう!… となると貧しい人たちには、治すのが難しい病気よね。
ただ、中には体力が復活してそのあと長生きする人もいるから、必ずしも亡くなってしまうということではなかったの。周太郎さんの場合は、何が原因かわからないけど、この時代は環境もよくないし、栄養状態もよくないし、周太郎さんは徹夜で勉強していたでしょうし、体力がなくなっていたのよね。だから、誰かにうつされたのかは、わからないけど図らずもなってしまった。桐塚先生が病気に気付いたとき、本人は大丈夫と言っても 「ほかに学生がいるから」 という台詞があるわよね。なぜかというとやっぱり伝染性だから。今度は先生の管理責任に問われるし周太郎さんも気まずくなるわけだから 「早く医者に行きなさい」 という意味を含めて言ったんだと思うわ。

『開国の反動』

明治から昭和にかけての文学作品でも 「不如帰 (ほととぎす)」 や 「風立ちぬ」 など、結核・ろう咳はテーマになっているわ。なぜなら、若い人のほうが多く発病したため、より悲劇性が強いのよね。それだけみんながこの病気をあげると 「不治の病」 と思っていたの。今で言う癌のような存在だったのかしらね。今でこそ、癌も治療できるようになったけど、当時はどう治療すれば治るのかがわからなかったから怖いわよね。

当時は、コレラのような流行病もたくさんあったの。それは、日本が開国したことによって、今まで日本になかった病気がどっと入ってきたことによるわね。日本人は抵抗力を持っていないから、明治に入って実に様々な病気が出てくるわ。たとえば、チフス・赤痢・ジフテリア・ペスト… などね。今まで知らなかった伝染病も増えてくる。それから戦地の栄養状態が悪いところで発病してきたり、海外に行くようになってきたりして、いろんな病気も入ってきたわ。

当時は、医学はドイツが一番進んでいると言われていたわ。森鴎外のようにドイツに医学を勉強するために留学した人もいたけど、今、我々が知っているレベルの医療の知識しかないお医者さんが多かったのよ。国家試験はあったけど、今みたいにお医者さんになるには難しい勉強や試験があったわけではなかったし…。
お医者さんの知識もまだまだ足りなくて、発展途上の時代。外国から入ってくるものに対応しきれていなかったのね。


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