2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第八回

『篤蔵が行ったパリ』

7、8話といろんなパリの風景がでましたよね?
みなさんもご存知の凱旋門・エッフェル塔は今でもパリの観光の最大の名所ですよね。篤蔵さんが行った当時にも、すでに存在していたの。

凱旋門は1800年に建てられていたし、エッフェル塔は1889年のパリ万博のときにモニュメントとして建てられたの。そのあとの1900年のパリ万博のときは、エッフェル塔とすごく巨大な観覧車が対のモニュメントとして建てられたけど、そっちは解体されちゃったのよね。エッフェル塔は電波塔の役目があったけれど、観覧車はただの観覧車だったから (笑)。街の景観を損なうというので、遊戯施設はそのとき限りのものになってしまったわ。そして、篤蔵さんがパリに行ったころ、すでにメトロも走っていたの。地下鉄のことね。これはパリ万博の交通の便のためにつくられたの。エッフェル塔・凱旋門・メトロ… それらが出来た、本当に華やかな時代に篤蔵くんはパリに行ったの。そんな時代のことを “ベル・エポック” と呼ぶのよ。“よき時代” と日本語では訳しますけど、芸術だとか文化は、ベル・エポック時代のものがすごく評価されているの。それはなぜかというとフランスの市民文化というものを一番現している時代だから。花の都パリと呼ばれることもあるけど、それもこの時代のことを呼んでいるわ。フランス人にとって、あの古きよきベル・エポックをそのまま後世に伝えることがフランス文化の象徴でもあるわね。

だってベル・エポックだからこそ、フランス料理が世界的に評価されていたのよ。料理は料理だけであるんじゃないわよね。文化・歴史・料理… その3つがまさに三位一体になっていたときに彼はフランスに行ったの。本当に一番華やかだった時代よ。それより前に行っていたら良きパリの時代じゃないし、このあとになると第一次世界大戦が始まっちゃう。パリもその影響を受けて、華やかなパリじゃなくなっていくわけ。篤蔵さんは、とても恵まれた人生よね。

『受け継がれる伝統』

今も芸術でベル・エポック時代のものは残っているし、現在のフランスの cafe もムードのあるアンティークな家具が揃っているお店がたくさんあるけど、みんなこの時代の建物で、今も残っているのよ。実はパリの町並みは、8階建てくらいの同じ高さで続いてるの。東京みたいにでこぼこしてないのよ。美観の指定でそうしているんだけど、篤蔵さんがパリに行く前からこの美観は決められていたの。ナポレオンの甥っ子にナポレオン3世がいて、その人が皇帝の時代、日本でいうところの明治維新のころね。そのとき、通りのビルの高さをあわせよう、表の建物の様式も個々の個性は保ちつつ、統一感も出そうというパリの大改造をやったの。そのおかげで今の町並みがあるのよ。未だにパリでも高いビルはその美観地区をはずれたとこでしか見ることが出来ないわね。だからエッフェル塔の写真を撮ったときも後ろに高いビルが写ることはないの。我々が今も見ているパリを篤蔵さんが当時見ていた景色と違わないのよ。
我々のロケも、パリが景観を残してくれたから篤蔵さんの時代の撮影が出来たのよ。東京で100年前の風景を撮ろうと思っても、とても撮れませんよね。

『明治のおわり…』

明治45年の7月30日に明治天皇がお亡くなりになったわ。
当時はすでに電報があったから、日本にいたフランスの記者さんが打電したんでしょう。それを新聞記事にしたのが、レストランで篤蔵さんたちが読んだのね。もう情報が世界を駆け巡っていた時代だったのねぇ。
明治天皇は世界からみて、今までアジアの端のちいさな国の皇帝とされていたけど、日清・日露戦争に勝って、一等国の君主になったので海外の人たちも 「明治天皇ってすごいね。どんな人なのか」 と思われ始めたんだと思うわ。だから大きなニュースにもされたんでしょう。明治天皇は明治維新のときにリーダーに祭り上げられたんだけど、政治は大臣たちに任せていたけど、リーダーとして国の方向性はちゃんと示していたらしいの。
ドラマで、次週あたりに明治天皇に関連する施設が出てくるんだけど、明治宮殿ね。

篤蔵さんが天皇の料理番として就職したときの大膳寮は、明治宮殿の中にあったの。だから篤蔵さんの職場にあたるわよね。明治22年に大日本帝国憲法が発布されたとき、その式典をやる場所にするため、明治21年に完成した建物群なの。そのときにいろんな話が出ていたらしいわよ。石造りの宮殿にしようとか、洋風にしようとか。そのときに明治天皇から 「日本の伝統文化を伝えたい」 とご希望があって、なんと外観は和風。内部は土足で歩く洋風なの。さらに建具は和風で足元はじゅうたんを敷いて… まさに和洋折衷の見本のような建物になっちゃったのよね。
昭和20年の5月25日の空襲まで、明治宮殿は現存していたわ。明治、大正、昭和天皇も昭和20年までその宮殿に住んでいたし、そこでいろんな儀式が行われていたし、大膳寮もずっとあったわ。

『即位の礼』

日本をリードしてきた天皇が明治45年に亡くなってしまったのは、すごくショックだったと思うわ。周蔵お父さんも泣いていたわよね。お父さんがどこで泣いてるかというと、二重橋の皇居前広場にわざわざ行って泣いていたの。福井で泣いてもいいのに、いてもたってもいられなくなって、陛下のお傍へいっていたのね。どこか身内が亡くなったような気持ちになったそうよ。でもそれは彼が特殊なのではなくて、全国でそういう人たちが宮城前に来て、みんなおいおいと土下座して泣いたり、起立して最敬礼したりしたそうよ。日本をアジアの小さな国から一等国にしてくれた恩人というか… 父のような存在をどんなに愛していたかという表現よね。そうこうしているうちに、明治天皇から大正天皇に践祚 (せんそ) といって、天皇の位を譲るんですけど、細かい儀式がたくさんあるんだけど、最後に締めくくりとして即位の礼というのがあるの。その即位の礼はすごいプロジェクトとなるわけ。それはなぜかというと、明治天皇即位のときは、幕末の徳川幕府の時代だったから、地味に行われたの。それが明治が終わり、大正天皇になって… 近代国家として初めての即位だから、いかにこれを世界に見せたいかという意味を含めて気合いが入っていたわ。日本中からその式に使う材料、木材だとか、食べ物…いろんなものを全国から献上してもらって、国民全員でお祝いしようとする。ここまでは今までやってきた和の世界だけど、今度は次のステップとして “洋もできます” と知らしめるために式典に洋食を出す。そのために、誰が作るのかが今回の大問題になったんでしょうね。そこで白羽の矢が立ったのが篤蔵さん。篤蔵さんがもう10年早くパリに行っていたり、10年あとにパリに行っていたら、この大役はまわってこなかったでしょう。本当にタイミングが良いですよね。ベル・エポックという最高の時代に、最高のシェフ、エスコフィエの元で働いている、花の都・パリの最高のシェフのところで勉強したというところが評価されたのよね。私は本当に篤蔵さんはつくづく時代の子だなと思いますね。


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