2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第七回

『フランスに行くには…』

まずひとつは、船でパリへ行くっていうルートね。日本の海運会社の日本郵船の客船で横浜からロンドン、アントワープ行きというのがあったの。途中のパリに行くならたぶんフランスのマルセイユで下船してあとは鉄道でパリを目指すの。金額は3等が150円で、50日間かかったという資料があったわ。船はノンストップで目的地に行くわけじゃないから、いくつかの港に泊まってそのときに下船して食事をしたり、マルセイユからは汽車に乗り換えてパリに行かなきゃいけない… など事情があって、五百木さんからは200円の旅費がかかると聞いたんだと思うわ。

もうひとつのルートで、実際、篤蔵さんが行ったのは、シベリア鉄道というロシアがひいた大陸横断鉄道が開通していたので、それに乗って行ったのよ。東京から福井県の敦賀に行って船で日本海を渡り、ウラジオストックへ、そこからシベリア鉄道に乗ったの。当時のシベリア鉄道は日本郵船で行くよりも料金が高かったらしいの。明治45年に有名な歌人である与謝野晶子が、パリに行っていたご主人の与謝野鉄幹を追っかけて、シベリア鉄道を使ってパリに行ったという話もあるわ。パリやロンドンに行く日本人たちがシベリア鉄道を使い出した時期ね。やっぱり日数が短いというのがよかったみたい。たしか14日間。船は下りられるけど、鉄道の場合は乗りっぱなしで辛いけど、それでも早いというのが売りね。

『贅沢な海外旅行』

与謝野晶子が行ったように、実際に欧州に行って、西洋の文物を学びたい時代になってきたの。医学だったらドイツ、文学ならイギリス。芸術ならパリを目指した時代なのよ。日本人でも皇族や華族の息子たちは、結婚したらご夫妻で新婚旅行の豪華版としてパリにいくケースがあったわ。そこでお城のようなホテルに泊まって、現地の人と交流すると、みんな憧れてくるわよね。朝香官邸とか前田侯爵邸とか、小笠原伯爵邸など、今も残っている文化財の洋館は、ヨーロッパに旅行にいった経験者たちが建てていくのよね。

後のことですけど、昭和天皇の朝食は洋食だったそうよ。オートミールをお食べになっていたの。昭和天皇も大正末に欧州一周の旅に行かれて、そのときに朝にパンを食べるという習慣を身につけて、3食米よりもそのほうが合理的なのと、栄養上良いと思われたらしく、お亡くなりになるまでずっと続いていたそうよ。
かたや、お迎えする大使館の人も次から次へと偉い人がくるから大変だったそうよ。市内をご案内したり、ホテルの手配や観光案内的な要素も多くなってくるものね。なかには篤蔵くんのように、偉くもない若者がやってきたり (笑)。桐塚先生からの紹介状を持っているから無下にはできないから、紹介をしてくれたんだけどね。

篤蔵くんからコックになりたいという夢を聞いた粟野さんは、パリに長く暮していると、いかにフランスが料理人を尊敬しているか、シェフがどんなステータスがあるかを知っているから、それに憧れて来た篤蔵くんに 「え?そんな料理如きで来たの?」 じゃなくて 「いよいよ日本からも料理を学ぶ人が来る時代になったんだ」 と感動して彼を優遇してくれたところもあったのかしらね。

『俊子の再婚』

俊子さんは篤蔵さんとの離婚が成立し、お父さんの金之助さんが縁談を持ってきて嫁いだの。史実はわからないけど、今回どこが嫁ぎ先に相応しいか… としたとき、武生、鯖江、と福井県の内陸だったから、今度は海がいいねといった発想で決められました (笑)。1つ理由があって、当時福井で一番栄えていた街が敦賀なの。日清・日露戦争によって日本海側の軍港として敦賀は非常に栄えていたの。戦争後はロシアへ行く玄関口でもあったしね。俊子さんが嫁いだのは、そこにある呉服屋さんの想定なんですけど、そうすると非常にお金回りもいいでしょうし、大事にしてくれるんじゃないかと思って嫁にだしたのでしょうね。

実は松前屋さんで使っている昆布は、実は北海道から敦賀に上がってきたもので実際の撮影でも、敦賀にある昆布屋さんにご協力いただいて揃えた昆布を使っているの。

『大店のしきたり』

奥さんが赤ちゃんに母乳をあげるとき、母乳がでない場合、当時は良質な粉ミルクはまだないから、赤ちゃんにかわりにお乳をあげる乳母さんがいたのよ。その乳母が奥さんの代わりに赤ちゃんを育てるというのは、江戸時代から習慣があるけど、このくらいの時代になってくると、実際の子守に “姉や (ねいや)” と呼ばれる女の子を雇うようになるんです。今で言えば、15歳未満の年齢の子ね。俊子さんが嫁いだ先にもいたわよね。子守がいれば女中もいますから、奥様は何するの?となるけど、家庭によってはお商売を手伝ったり、お客様のご相手をしたり、現代のご主人とは違って重たいものは箸以外持たないというご主人も多かったので、身の回りの世話をするとかね。今回俊子さんもご主人の着替えを手伝っていたわ。つきっきりでサービスするの。

また、習い事をしたり親せきづきあいしたり、暇そうだけど忙しいのよ!決して昼寝をしているわけではないの (笑)
この時代、裕福な人は、なるべく人を雇って仕事を与えて… というのが、お金持ちのステータスでもあったし、お金を循環させていくひとつの方法として、自分でやれることも人にやってもらうという考え方があったの。

女中さんを雇うのはいいけど、四話の 「料理人という職業」 でもお話したけど、徒弟制度と似ていて、雇ったら責任を持って躾けて、礼儀作法を身につけて、料理を教えて、裁縫を教えて、嫁入り先も見つけて、花嫁道具の一つくらいは持たせるというのが、雇った側の義務… まではいかないけど、心意気だったの。反対に、子どもをそういう家に勤めに出すような家庭は、それを期待するのよ。子沢山で全員に教育もできないし、嫁入り道具は持たせられないけど、あの家で5年も頑張れば、結婚するときには何か持たせてくれる…と、そういう期待も半分で出すのよ。
雇う側も人をみなきゃいけなかったわ。今みたいに、単に雇えばいいだけじゃないのよ。雇う=教育するという時代だったの。


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