2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

日曜九時の時代番

番組の時代考証を担当されている山田順子先生に、各話のちょっと気になるシーンのアレコレをお話していただくコーナーです。

第一回

『福井と昆布の関係』

撮影が始まる前、秋山徳蔵さんが生まれ育った福井に行きました。小さな城下町で俊子さんの家がある鯖江 (※) にも行ったけど、松前屋という昆布屋さんは、実際に存在はしないお店。商売をやっている家へ篤蔵さんは養子に行くので、脚本で昆布屋さんという設定をつくったみたい。
松前屋さんは、大きい意味で言うと乾物屋さんなんだけど、なぜあえて昆布屋かというと、福井という場所は、北海道から来た昆布が、京都〜大阪に渡るルートの途中にあるから。富山、石川、福井というのは、実は昆布の消費量が多い土地なの。消費量が多いということは、とてもいい昆布屋さんがあるということを想定して俊子の実家も昆布屋さんにしたのね。屋号も北海道の昆布の産地、松前からあやかったみたいね。
ドラマの中で篤蔵くんが鼻で昆布のにおいをかぎ分けるっていうシーンがあったでしょ?だから、日高・羅臼・利尻と、あえて昆布名を出したけど、普通の家庭は、なかなか昆布を北海道の中の産地で使い分けるなんてことはやらないわよね。格的に料理をやるお家は、それをちゃんと使い分けるのでしょうね。各産地の昆布を用意して、さらに昆布だけじゃなくて、たくさんの種類の乾物を扱っているところを見ても、松前屋は大きなお店ですよね。

明治期の “さば” は魚へんに青を使うこともありましたが、現在は魚へんに青の “月” が “円” のほうを一般的に使用しています

『将校の期待に応えた田辺軍曹』

養子先があった鯖江には連隊がいて、篤蔵はそこで田辺軍曹に会うわけだけど、鯖江連隊は俗称で、本当は “陸軍歩兵36連隊” と言うの。36と聞いて気付くかもしれないけど、全国にたくさんあった中の1つ。日本を守るという意味で、全国に兵隊さんを配置して、地方から召集した兵隊さんを地方ごとにまとめる意味でたくさんの連隊が存在しているのよ。
鯖江という町は、江戸時代に城下町で栄えたけど、明治になってからは少し衰退したけど、連隊を誘致して、土地を提供して… それによって再度栄えた町という歴史があるんですよ。
なぜ鯖江連隊で西洋料理かと言うと、連隊のなかには将校さんと徴兵で集められた兵隊さんと2種類いるの。将校さんは職業軍人で、陸軍士官学校をでているプロ。普段の食事も、兵隊さんとは違うメニューだったりするの。かつ、将校たちには将校会館と言って、将校だけが出入りできる、いわゆる倶楽部のような建物があって、そこでは、将校さんだけが集って昼ごはんを食べたりとか、夜に宴会をやったりするのよ。そのときは、地元の仕出し屋さんから料理を持ち込ませるか、自分のところで作らせるケースがあって、今回はたまたま田辺軍曹さんが腕におぼえがある西洋料理人だったので、彼を料理長にして、将校会館で西洋料理を出していたのよ。
将校たちは東京の士官学校を出ているから、西洋料理に慣れているけど、一方で兵隊さんたちは地方の出身で 「西洋料理なんて食ったことないぞ!」 なんて言う人が多かったでしょうね。そういうことを考えると、将校には舌が肥えている人が多いので、鯖江連隊の田辺軍曹さんは、料理の腕が存分にふるえたのでしょうね。

『軍事力=体格??』

明治のはじめに “牛肉を食べよう運動” があったの。
なぜかというと、開国してみたら、外国人のほうがうんと背が高くて体格もいい。国の力が弱いのは 「体格が負けているからなんじゃないか」 と、時の明治政府は思っていたわけ。そこで、日本人の体格を大きくすることが急務だと、それで軍事力をあげようと思いついた。そのため、「外国人と同じものを食べよう!」 となって、牛肉・豚肉という肉を食べることにしたの。それから牛乳、じゃがいもも。じゃがいもは寒いところで出来るでしょ、ちょうど北海道の開拓を始めていたとき、米が育たなくて、何が育つかとなったときに、じゃがいもが一番育つから大量につくられていったの。でも日本人はそれまでにじゃがいもを食べたことがなかったから 「こんなまずいもの!」 という感覚だったそうよ。それまで芋と言えば、サトイモかさつまいもだけだったし、さつまいものほうが甘い。そうして日本政府は、どうにかして牛肉・牛乳・じゃがいもの普及運動をはかろうと、明治天皇が率先して、牛乳を飲み、牛肉とじゃがいもを食べて見せた、そうすると庶民も 「陛下がお食べになったのなら」 と言って食べようとするんだけど、今度は調理できる人が都会にしかいなかった。東京には当時、西洋料理のレストランが何件も出来て、上層階級や新しい物好きはそういうものを食べていたけど、地方にはそういうお店はまだなかった。それで、新聞だとか雑誌でも 「食べましょう!こんな調理法がありますよ」 と必死で普及していたの。

『おびえる篤蔵』

四足動物を食べてはいけないと言っていたけど、隠れて食べていた人はいるのよ。
イノシシだとか、熊とか、そういうのを猟師さんは食べていたんじゃないかしら?なぜかと言うと、“薬食い” と言って、冬の寒いときにたんぱく質と脂肪をとらないと寒いから。だって、目の前にあるんだもの肉が!だから、まったく食べなかったというわけではなかったそうよ。けれど、牛を食べることはなかった。牛は農耕牛で、畑を耕してくれる大事な友達。いまで言う “ペット” のような存在ね。それを食べるのは忍びないというのが、イノシシや熊を食べても、牛を食べなかったという理由。
軍隊に入ると将校たちも食べるけど、兵隊さんたちにも、ときには食べさせていたみたいね。どんどん普及させていった時代だけど、普通の庶民はまだまだ。大抵の人は、軍隊に行って味を覚えるのよ。20歳になったら徴兵検査を経て兵隊に行くんだけど、軍隊に行った人たちは、次第に肉の味を覚えていった。篤蔵さんのお家は、お兄さんもまだ大学生ですし、実家で食べる機会もなかったでしょうし、鯖江の松前屋さんでも、金之助さんが古いタイプのご主人だから、好奇心旺盛な篤蔵さんでも、食べたことがなかったんでしょうね。


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