橋本です。
第9話もご覧いただき、ありがとうございました。
ちょっと重いテーマのお話でしたが、
皆さんから寄せられたメッセージを読むと、
とても真剣に見ていただいたみたいで、
ああ、この話を作った甲斐があったな、
としみじみ思っています。
ドラマを見ることで、
ふだん考えていなかった「何か」を、
少しでも考えるきっかけになることができれば……。
おこがましいかも知れませんが、
私はそんな想いで、いつもドラマを作っています。
なかなか上手くいかないことの方が多いのですが、
これからもあきらめずに挑戦していきたいと思っています。
第9話のお話を作るベースになったのは、
たまたま目にした、マザー・テレサの言葉でした。
「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
人から見放され、
『自分は誰からも必要とされていない』
と感じる事なのです」
この言葉に興味をひかれ、
知ってるようで実はあまり知らなかった、
マザー・テレサという人をもっと知りたいと思い、
初めて伝記を読んでみたのです。
漠然と、「貧しい人々を救った聖母」というイメージは持っていたのですが、
伝記を読んでみて驚いたのが、その「救い方」でした。
飢えた子どもに食べ物を与えたり、病気の人を治療したり、
という「救い方」しか思い浮かべていなかった私の先入観は、
見事に裏切られました。
もちろん、そういう行為は当たり前のようにしています。
そのための施設を作ったり、制度を作ったりと、
とても献身的に活動しています。
しかし、マザー・テレサが一番力を入れていたのは、
当時のインドにあふれていた、
「生まれた時から、誰からの愛情も受けられず、
ゴミのように扱われて生き、ゴミのように死んでいく人々」
を何とかして救うこと、でした。
彼女は言います。
「行き倒れている人は、
皆さん生まれてから愛情を掛けられた経験も無く、
ゴミの様に扱われて生きて来られました。
最後は道端のゴミとして終わろうとしています。
せめて最後の瞬間ぐらいは沢山の愛情を受けて、
自分がゴミでは無く人間なんだと思いながら旅立って欲しい」
道端で行き倒れ、
その生涯を誰に看取られることもなく終えようとしている人を、
マザー・テレサは抱えるようにして、家に連れてきました。
そして、何人かのシスターたちが付きっきりで、
その手を握りしめ、からだをさすりつづけてあげるのです。
「あなたは、こんなに愛されているのよ。
あなたは私たちにとって、本当に必要な人間なの。
あなたがこの世に生まれてきたことは、
けっして意味のないことじゃなかったのよ」
ゴミのように生きてきたその人は、
最期は愛に包まれ、人間として旅立っていくのです。
こんな「救い方」があったのか……。
ただ単に生存日数を増やすことが、
「命を救う」ことだと思い込んでいた私は、
はげしい衝撃を受けました。
それから、いろいろなことを考え、
脚本のいとうさんともいろいろなことを話し合って、
結実したのが第9話の安積さんのセリフです。
『人の命に重さの違いなんてない……。
ただ、その輝きを増すものがあるとしたら、
その命を愛おしく想ってくれる人の想いなのかもしれない……』
安積さんの言葉によって、
「何か」を考える人が少しでもいたとしたら、
ドラマ制作者として、こんなにうれしいことはありません。
最後に、マザー・テレサの言葉をもうひとつ。
「あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
蹴り返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。」
さて、来週の月曜日からは、
「ハンチョウ5」も、いよいよ最終章に突入します。
「木曜日の子供」とは!?
「容疑者M」とは!?
そして、「特捜一係」が新設された理由とは!?
さまざまな「謎」が明らかになっていきます。
「ハンチョウ5」ラスト・ステージ3部作!
まずは、来週月曜日よる8時、第10話をお見逃しなく!
よろしくお願いいたします。