ドリマ署橋本班 “ハシ”チョウ日記 シリーズ5

vol.12

2012年5月10日(木)

橋本です。
第5話もご覧いただき、ありがとうございました。

最近読んだ本の中に、非常に興味深い記述がありました。
それは、小説にしろ、ドラマにしろ、登場人物を「どこまで」描くかで、
与える印象が180度変わってしまう、という内容でした。

確かに、ドラマを作っていて一番難しいのが「キャラクター」の造形です。
その人物のどの部分にスポット・ライトを当てるかで、
見ている人に与える印象がまったく変わってしまうからです。
だから、ちょっとした仕草やセリフにも、ものすごく神経を使います。

その本の中に出てきた例は次のようなものでした。
「険しい山岳地帯を走るバスの中に、
地元の村人たちに交じって、
まだ若い父親と母親と幼い子供が乗っていた。
幼い子供が、トイレに行きたいとぐずり始め、
母親は停車ボタンを押した。
次の停留所でバスは止まり、料金を払って親子3人は下車した。
見知らぬ寂しい村の外れで、子供のトイレを済ませ、
バス停に戻り、父親が持っていたラジオのスイッチを入れると、
臨時ニュースが流れた。
さっきまで自分たちが乗っていたバスが、落石事故に遭い、
谷底に転落し、全員絶望だという。
それを聞いた母親は、ぽつりとつぶやいた。
『降りなければよかった……』」

さあ、ここまで読んで、この母親のキャラクターをどう感じたでしょうか。
疲れ切り、精神的に追い詰められ、
絶望的な目をした女性を思い浮かべたのではないでしょうか。
母親の表情に関する描写はいっさい無いにもかかわらず、
多くの人がそんなイメージを持ったと思います。

でも、この文章には続きがあります。
「『降りなければよかった……。
だって、私たちが降りなければ、その何十秒かの間に、
バスはもっと先に行っていて、落石に遭わずに済んだじゃない!」

ここまで読むと、母親のキャラクターがまったく違って感じられるのではないでしょうか。
これが、登場人物を「どこまで」描くか、という一例です。

文章と映像とでは表現の仕方が異なるので、
キャラクターの描き方も同じ方法論では語れないかも知れません。
しかし、「どこまで」描くか、という観点では、
相通ずるものがあるような気がします。

そんなことを考えながら、毎回の台本作りにウンウン知恵を絞っています。
第4話・小池刑事メイン、第5話・結城刑事メインと続いて、
来週14日(月)の第6話は、いよいよ尾崎刑事メインの回です。

「1年前、西多摩で小学5年生の女児がひき逃げ事件に遭い、死亡した。
犯人と断定されたケニー・フジムラは、
『自分は犯人ではない』と言い残し、ブラジルに逃亡。
ブラジルと日本は『犯罪人引き渡し条約』を結んでいないため、
未解決のまま捜査は中断していた。
しかし別件で捜査中の尾崎がケニーと接触、
ケニーは国内に潜んでいたのだった。
再捜査を始める安積班に立ちはだかる 日系人社会の壁。
冤罪なのか!?それとも……。
そして事件は急展開。
事件の裏に隠された深い闇に尾崎がひとり立ち向かう。
捜査1課の命令に従わず、単独行動を貫く尾崎に、
真山1課長は、ついに逮捕状を請求する。
安積は、そして結城、小池は、尾崎を守れるのか!?」

という回です。
サブタイトルは、
「尾崎暴走!逮捕状発令」。
自分で言うのもなんですが、
かなり面白い回に仕上がりました。
あんまり面白いので、私はすでに3回も完パケDVDを見てしまいました。
小澤さんの魅力が爆発しています。

ぜひ、ご覧ください。