橋本です。
第5話もご覧いただき、ありがとうございました。
最近読んだ本の中に、非常に興味深い記述がありました。
それは、小説にしろ、ドラマにしろ、登場人物を「どこまで」描くかで、
与える印象が180度変わってしまう、という内容でした。
確かに、ドラマを作っていて一番難しいのが「キャラクター」の造形です。
その人物のどの部分にスポット・ライトを当てるかで、
見ている人に与える印象がまったく変わってしまうからです。
だから、ちょっとした仕草やセリフにも、ものすごく神経を使います。
その本の中に出てきた例は次のようなものでした。
「険しい山岳地帯を走るバスの中に、
地元の村人たちに交じって、
まだ若い父親と母親と幼い子供が乗っていた。
幼い子供が、トイレに行きたいとぐずり始め、
母親は停車ボタンを押した。
次の停留所でバスは止まり、料金を払って親子3人は下車した。
見知らぬ寂しい村の外れで、子供のトイレを済ませ、
バス停に戻り、父親が持っていたラジオのスイッチを入れると、
臨時ニュースが流れた。
さっきまで自分たちが乗っていたバスが、落石事故に遭い、
谷底に転落し、全員絶望だという。
それを聞いた母親は、ぽつりとつぶやいた。
『降りなければよかった……』」
さあ、ここまで読んで、この母親のキャラクターをどう感じたでしょうか。
疲れ切り、精神的に追い詰められ、
絶望的な目をした女性を思い浮かべたのではないでしょうか。
母親の表情に関する描写はいっさい無いにもかかわらず、
多くの人がそんなイメージを持ったと思います。
でも、この文章には続きがあります。
「『降りなければよかった……。
だって、私たちが降りなければ、その何十秒かの間に、
バスはもっと先に行っていて、落石に遭わずに済んだじゃない!」
ここまで読むと、母親のキャラクターがまったく違って感じられるのではないでしょうか。
これが、登場人物を「どこまで」描くか、という一例です。
文章と映像とでは表現の仕方が異なるので、
キャラクターの描き方も同じ方法論では語れないかも知れません。
しかし、「どこまで」描くか、という観点では、
相通ずるものがあるような気がします。
そんなことを考えながら、毎回の台本作りにウンウン知恵を絞っています。
第4話・小池刑事メイン、第5話・結城刑事メインと続いて、
来週14日(月)の第6話は、いよいよ尾崎刑事メインの回です。
「1年前、西多摩で小学5年生の女児がひき逃げ事件に遭い、死亡した。
犯人と断定されたケニー・フジムラは、
『自分は犯人ではない』と言い残し、ブラジルに逃亡。
ブラジルと日本は『犯罪人引き渡し条約』を結んでいないため、
未解決のまま捜査は中断していた。
しかし別件で捜査中の尾崎がケニーと接触、
ケニーは国内に潜んでいたのだった。
再捜査を始める安積班に立ちはだかる 日系人社会の壁。
冤罪なのか!?それとも……。
そして事件は急展開。
事件の裏に隠された深い闇に尾崎がひとり立ち向かう。
捜査1課の命令に従わず、単独行動を貫く尾崎に、
真山1課長は、ついに逮捕状を請求する。
安積は、そして結城、小池は、尾崎を守れるのか!?」
という回です。
サブタイトルは、
「尾崎暴走!逮捕状発令」。
自分で言うのもなんですが、
かなり面白い回に仕上がりました。
あんまり面白いので、私はすでに3回も完パケDVDを見てしまいました。
小澤さんの魅力が爆発しています。
ぜひ、ご覧ください。