伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」制作秘話~作家・寺坂が聞いたミラーゲートの裏側~

TBSチャンネル2で再放送中「ザ・ベストテン」を100倍楽しむ為の連載がスタート!

第3回 番組の“生き字引”宇都宮荘太郎さんにインタビュー!松田聖子の中継舞台裏&貴重な資料も続々公開!

2020年10月29日

「もう…ホントに…とっても嬉しいです!」
タラップから降りて、飛行機の前で歌う「青い珊瑚礁」。
松田聖子さんの「ザ・ベストテン」初登場は、テレビ史に残る伝説の名シーンです。
TBSチャンネル2での再放送第3弾は、その、松田聖子さんが羽田空港から出演した1980年8月14日の放送回です。
今回は、ベストテンに10年以上制作スタッフとして携わった、番組の歴史をよく知る生き字引、宇都宮荘太郎さんにお話をお伺いします。宇都宮さんは、知る人ぞ知る“ベストテングッズ”のコレクターでもあるとか…、今回も楽しみです。

寺坂)寺坂と申します。39歳なんですけど、「ザ・ベストテン」が大好きで、音楽番組の構成作家などをやらせていただいています。よろしくお願いします。

宇都宮)こちらこそ、よろしくお願いします。

■大人の音楽番組に憧れてTBS入社も…

寺坂)宇都宮さんがTBSに入られたきっかけは、ジャズがお好きだったからと伺いました。

宇都宮)中学生からドラムをやっていまして、高校生でジャズに触れて、大学で“ジャズ研究会”に入りました。そこにはタモリさんが先輩にいて。

寺坂)早稲田大学ですね?

宇都宮)はい。そこでプレイングマネージャーをやっていました。当時、TBSには「サウンド・イン“S”」という番組があって。

寺坂)しっとりと上質な音楽を届ける番組ですね。

宇都宮)当時、唯一といっていいジャズの番組で「あんな番組出来たらいいなぁ」と思って、受けたらたまたま入れまして。「これで『サウンド・イン“S”』の担当ができるかな」と思ったんです。僕は1977年(昭和52年)入社です。同期には、アナウンサーの吉川(美代子)、三雲(孝江)のあの代。最初に配属になったのはラジオ制作で、当時ラジオはほとんど聞いたことがなくて、「え~ラジオかよ~」と思って、新人歓迎会で「あ~すみません、僕ラジオなんか来たくなかったんです」と若気の至りで言ってしまったら「なんだコノヤロウ!生意気だ!」と大バッシング(笑)。

寺坂)アハハハ。

宇都宮)でもラジオは少人数でアットホームで、出演者とも親しくなれますし、すごく良い感じでやらせてもらえて。それから2年後に、テレビに異動したんです。これで「サウンド・イン“S”」が出来ると思ったら、ベストテンに配属されて「いきなり歌謡曲の番組かよ」っていう気持ちで…。ただ当時「ザ・ベストテン」は2年目くらいで、のぼり調子でしたから、すごい番組に入ったなぁという感じでした。テレビの制作は大きく3つに分かれていて、我々は音楽班で。他にドラマ班とバラエティー班があって。バラエティー班に入ると「8時だョ!全員集合」というとんでもない番組があって。そこも“タコ部屋”みたいな感じのところで。ミスしたら翌日丸刈りにして来い、って言われる。

寺坂)今だったらパワハラですね。

宇都宮)そう、私の同期なんかも、結婚式のちょっと前にミスをして、丸刈り姿で式に出たんですよ(笑)。そこに入らなくて良かったなぁって。

寺坂)凄い時代ですね。

写真 『ザ・ベストテン』配属当時を振り返る宇都宮さん(右) 『ザ・ベストテン』配属当時を振り返る宇都宮さん(右)

宇都宮)ベストテンのトップは渡辺正文さんで。

寺坂)ギョロナベさん、伝説の…!?

宇都宮)はい。当時の凄い音楽ディレクターばっかりいたんです。僕らが今里(照彦)さんのデスクで電話に出ると「赤坂警察です。いまちゃん(今里さん)いる?」と電話がかかって来て「何ですか!?」って言ったら、先輩が「あ~、内田裕也さんですね」って。よく内田裕也さんから「赤坂警察です!」っていう電話がかかって来て。“芸能界のど真ん中”っていう感じがしましたよ。

寺坂)へぇ~!

宇都宮)でも何といってもベストテンはやっぱり山田(修爾)さんが芯になっていて、山田さんがいなければこの番組はなかったと思いますよ。“山田イズム”って言われますけどね。ただ、山田さんは音楽を“王道に”お届けするのは嫌で、今流行っている面白いものを出したり、中継したり、セットを作ったり。僕はどちらかというと歌をいかに良く見せるかっていう演出をしたくて、結構逆らっていたから「おまえは面白くねぇ」と山田さんには言われたもんです。

寺坂)そうなんですね。

宇都宮)とはいえ、山田(修爾)さんも久保嶋(教生)さんも亡くなりましたし、そういう長年やっていた方がいらっしゃらない中では、(ベストテンが放送されていた)12年間のうち出たり入ったりしながら僕が一番長く携わっていたのかな。

■深夜の打ち合わせは黒柳さんの“おしゃべり”から

寺坂)最初はフロアというかアシスタントをやっていらっしゃったんですか?

宇都宮)いわゆるADで、雑用全般をやりつつ、それでフロアディレクターという当日のスタジオを取り仕切る役をやったんですが、僕が入るまでは、プロダクションから派遣されてきた人たちがスタジオを取り仕切っていたんですよ。TBSのADはスタジオにいてもモニターの所にずっと立っているだけだったんだけど、「TBSの人間がフロアをやらないのはマズいだろう」と弟子丸(千一郎)さんが言って、僕が司会担当のフロアディレクターをやらせてもらったんですよ。

寺坂)司会担当だったんですね。黒柳さんと久米さんの印象はいかがですか?

宇都宮)テレビに出ているあのまんまでね。僕は、チーフADの時は黒柳さんとの打ち合わせにも出ていたんですけど、それが、毎週火曜日に翌週分のランキングが出たらやる構成会議の裏でやってたんです。

寺坂)“地獄の会議”って言われるやつですね。

宇都宮)はい。その会議を途中で抜けて、2日後に放送する、その週の打ち合わせをするんですけど、火曜は「世界ふしぎ発見!」の収録で黒柳さんがTBSにいらっしゃっていたんです。それで収録が終わると大体夜中12時くらいから、その週の担当ディレクターとか、山田さんとか僕とか、久米(宏)さんもその場に合流して打ち合わせを始めるんですが。そうするとまず、「ねーねー、あのさあ」と、黒柳さんのおしゃべりが1時間くらい続くんですよ。

寺坂)アハハハハ!

宇都宮)で、話がちょっとそれた瞬間に「黒柳さんそれでですね…」とすかさず番組の打ち合わせに戻すと「あ、そうね、お勉強しなくちゃね」と言って。

寺坂)お勉強なんですね。

宇都宮)で、黒柳さんも「じゃ、こんな事しゃべるわね」と言いながらノートに色々書き込んで、それを僕らも台本に反映させて、30分くらいで大体打ち合わせが終わるわけですよ。それで終わった、と思ったらまた「それでね」って黒柳さんのおしゃべりが再開するんですよ。

寺坂)おしゃべりがメインなんですね!

宇都宮)黒柳さんはおしゃべりがしたくてしたくて仕方がないものですから、で、こちらも楽しいお話しですから、夜中の2~3時まで続いて。

寺坂)楽しいですね!その時間が本番を迎えるに当たって大切な時間だったんでしょうね。

■新婚旅行を切り上げてロサンゼルスから生中継

寺坂)そんな過酷な生活でご家族の理解は得られましたか?

宇都宮)独身だった時は良かったけど、新婚旅行で大変な事があって。

寺坂)山田さんの本(山田修爾著「ザ・ベストテン」)にも書いてあるお話しですよね?

宇都宮)はい。ベストテンに配属されて何年かしてから結婚をしまして、新婚旅行でサンフランシスコへ行ったんですよ。TBSの関連旅行会社でホテルを予約したんですけど、あろうことか、プロデューサーがその旅行会社に電話して「宇都宮どこに泊まってる?」って聞いたら、「あぁ、〇〇ホテルにいますよ」って言っちゃったらしいんですよ。

寺坂)はいはいはい!

宇都宮)それで夜中寝てたら、「お前いま西海岸にいるんだって?」って電話がかかって来て。

寺坂)ひぇ~!やっと出来たお休みですよね?

宇都宮)そうです。それで「ちょうどロサンゼルスで中継があるから、ちょっとやってくれない?」って言われて「新婚旅行に来てるんですよ」って言い返しても、東京で手配されていた現地のコーディネーターから翌日電話がかかって来て、しょうがないから下見をして場所を決めて。カミさんは「私ラスベガス行くわ」とか言って…。

寺坂)怒ってなかったんですか?

宇都宮)別にそんなには。

寺坂)えぇ~やっぱり理解があるんですね。

宇都宮)で、結局仕事して、帰るときに、「お前帰りはビジネスクラスで良いから」って言ってアップグレードしてくれましたよ。

寺坂)おぉー粋な事を!

寺坂)ベストテンといえば中継ですが、他にはどんな思い出がありますか?

宇都宮)この前CSで、マッチ(近藤真彦さん)を修学旅行に急に登場させるっていうのを放送してましたけど、これは多分あきもっちゃん(「ザ・ベストテン」の構成作家だった秋元康さん)が言い出したんですよ。それで僕が担当で、学校側や先生と打ち合わせをしたりして。先生もグルになって、食事の後、大広間に生徒たちを集めて「マッチでーす!」と言って出て行ったら、本当に大騒ぎになって!

寺坂)うわぁ~!

宇都宮)けが人が出るかもしれないと思って、その場にいたスタッフみんな飛び込んでマッチを守ったんですけど、それも全部映ってましたね。

寺坂)僕が見た中継の名場面で、中山美穂さんが新幹線の中から歌う時に、スタッフの方が耳にイヤホンを突っ込んで、「およしなさい!」って徹子さんから言われたのは、あれは宇都宮さんなんですよね?

宇都宮)はい。僕が中山美穂さんと一緒に新幹線に乗って「次の駅だからね」って打ち合わせしながら来て、「はい、どうぞ!」って言ったら、「え!?聞こえない」って言う事になって。本人のイヤモニ(モニターの音を聞くためのイヤホン)がどうも調子が悪くなって、「これはマズい!」と思って、僕の分の聞こえるイヤホンを中山さんの後ろにそっと行って、耳に入れようとしたらそれがずっと映っていて、黒柳さんに「およしなさい!」って生放送で注意されちゃって!結局、美穂ちゃんは何のクロストークも出来ずドアが閉まって終わっちゃった(笑)。

寺坂)ハハハ!制作者としてはあの場面が語り継がれるというのは、どんなお気持ちですか?

宇都宮)本当だったら歌ってもらいたかったけど(笑)。でも、ベストテンは「今この人がどこにいて、何をしているか」出来る限りの事をお伝えするっていう事で、あれは「生」の強み。テレビっていうのはやっぱりなんといっても生放送なんですよ。そのリアルを伝えられたっていうのは大きかったですね。

■テープ数千本!?「ザ・ベストテン」の超貴重コレクション

寺坂)宇都宮さんは、ベストテンの貴重な資料をたくさんお持ちだと聞いたのですが。

宇都宮)久保嶋さんが一番最後までベストテンの資料等を管理されていて、分室を閉じる時に「資料を捨てよう。宇都宮も手伝ってくれ」と言われて行ったんですね。でも、結構貴重なものがあって「これは捨てられないぞ」と思って、とりあえず持ち帰ったんですよ。ベータマックスとかVHSとか人に言えないくらい、何千本と持っていまして…。ベータマックスの再生機械も古いやつがダメになって、オークションで買ったりして。

寺坂)えー!

宇都宮)二世帯住宅の一階に父が住んでいたんですが、父が他界して、父が住んでいたところがすべて僕のコレクションで埋まってるんですよ。ウフフフフ。私はどうもそういう収集癖があるらしくって。妻からはもういい加減にしてちょうだい、と言われています。

寺坂)貴重なものばかりですよ!

宇都宮)今日は色々な物を持ってきたんで、全部出すのもアレなんですけど…。

写真 たくさんの資料 対談当日、スーツケースに入れてたくさんの資料を持ってきてくれました

寺坂)このノートは宇都宮さんのものですか?

宇都宮)これは私のAD時代のノートで。字が汚くて申し訳ない。

寺坂)いやいやいや~。

宇都宮)今度放送する#133の日の分もありました!

寺坂)うわぁ~すごい!!(拍手)

宇都宮)大したことは書いてないけど。アリスとか、松田聖子さんは羽田とか書いてあって、×は出ない人ですね。

寺坂)うわぁ~すごいですね!

写真 40年前に宇都宮さんが使っていたノート 40年前に宇都宮さんが使っていたノート

宇都宮)これはスケジュール表で、大体出そうな人を並べておいて、ベストテンの放送日にどこで何をしているかっていうのを調べて。最初は久保嶋さんが作っていたんだけど、途中から僕が引き継いで。ランキングが出て会議をやるときに、弟子丸さん辺りが「久保嶋、山口百恵はこの日どこにいるんだ?」っていうと「はい、その日は京都で取材をしています」みたいな事をやっていたわけです。

寺坂)手書きでこれだけのものを作るのって大変ですよね。今の人には出来ないですよ!

宇都宮)当時はワープロもないんだから、全部アナログですよ。これはね、めったに見られない物なんですけど、こんなのも出てきたんですよ。

寺坂)うわ~これは貴重!

宇都宮)コンピューターで計算されたベストテンのランキング。

寺坂)4要素(レコード売上げ、有線放送、ラジオ総合順位、リクエストはがき)のまとめってことですよね!これは貴重ですね!!!

宇都宮)昔はパソコンではなくて、コンピューターっていうと、10畳くらいの部屋だったんですよ。TBSの中にコンピュータールームっていうのがあって。

寺坂)その部屋から中継してましたよね!「いま出て来ました~!」って。

宇都宮)はい。それがこれですね。今だったらスマホでも出来るような計算を、そんな一部屋の中のコンピューターに入れて出てきたのがこれで、それに基づいて放送していたんですよ。

写真 左に曲名と歌手名、右にはコンピューターが計算した得点が記されている 左に曲名と歌手名、右にはコンピューターが計算した得点が記されている

寺坂)寺尾聰さんの「ルビーの指環」の一位記念のタバコも残っていますか?

宇都宮)これです。

寺坂)うわー40年前の!!

宇都宮)今は、古くて吸えないけど。1位の記念に500個、視聴者の人のハガキに描いてあった似顔絵をパッケージにして。それで寺尾さんに「お持ち下さい」と言って500個渡したら「ひとつでいいですよ」と言ってその場で一本吸ってお帰りになって。

寺坂)かっこいいですね~。

宇都宮)残りはマネージャーさんに。

寺坂)これを作るの、結構時間かかりますよね?

宇都宮)そうですね。発注した時点ではランキングはわからないから、完成する時にまだ1位でいるかわからない。多分大丈夫だろうっていう事で見切り発車だったと思いましたよ。

写真 寺坂直毅

写真 寺尾聰さんの「ルビーの指輪」の一位記念のタバコ 視聴者のハガキに描かれていた似顔絵がパッケージに

宇都宮)これは、海外から生中継をした時の台本で、表紙に「遂に実現、初の衛星生中継!!」って書いてあるんですよ。

寺坂)凄いですね~!

宇都宮)当時海外から生中継というと半年前からプロジェクトを組んでスタンバイして、技術局だけじゃなく、会社を挙げての一大事だったんですよ。ニューヨークでやった時は、現地に行っていたディレクターは確か田代(誠)さんだったんだけど、回線がつながって現地の画がサブ(副調整室。スタジオや中継先からの映像・音声を調整するため為の場所)に届いて、「田代です」って言った瞬間、サブでみんなが拍手したっていう、そういう時代でした。

写真 海外から生中継をした時の台本 「遂に実現、初の衛星生中継!!」の文字が誇らしい

宇都宮)あと、とっても貴重だと思うのを見つけたんです。これが多分一番貴重だと思うんです。実際に黒柳さんが、スタジオで何をしゃべるかをご自分で書いて、毎回持ってるんですよ。これ、黒柳さんの直筆です。

寺坂)自分でメモを作るなんて凄いです。それを今も「徹子の部屋」で続けているんですから!うわぁ~!

写真 黒柳さんの直筆メモ! 発見!黒柳さんの直筆メモ!

■伝説となった第133放送回

寺坂)(#133の)放送当日、宇都宮さんは何をされていたんですか?

宇都宮)フロアの司会者担当でした。あの時、すごかったなぁと思うのは、松宮さん(松宮一彦TBSアナウンサー)。彼は飛行機の到着する時間がどれくらいになるかわからないから、色々な情報を事前にご自分で調べていて、普通の人なら話す事がなくなるのに、カンペも見ずに覚えている事を7分間弱一人でつないだんですよ。

寺坂)実況でずっとつないでいらっしゃいましたよね!

宇都宮)あれは語り草ですよね。山田(修爾)さんが「飛行機の速度落とせ!」って言って、航空会社の人から、「スピードを落とすと飛行機は墜落します」って言われたり、フロアにいてもそういうやり取りが漏れ聞こえて。

寺坂)アハハハハ!

宇都宮)飛行機の速度を落とせないから、機長が機転を利かし滑走路をぐるっと回ってくれて、そうしたら、逆に時間が掛かり過ぎて、7分つなぐことになってしまって…。当時の台本を見たら、ベストテンの「過去の名場面集」のVTRがカットになっていたみたいだから、それがクッション(時間調整)になっていたんでしょうね。

寺坂)へぇ~!

宇都宮)山田さんはよく、新幹線にも「もっとスピード出せ!」って言ったりしてましたからね。

寺坂)ハハハ。そういう時、フロアも戦場でしょうが、司会者はどんな様子なんですか?

宇都宮)「どうするの!?」みたいな。

寺坂)さすがのお2人も。

宇都宮)TK(タイムキーパー。放送の時間を管理する人)のみどりさんが、普段は冷静な人なんですけど、本当にやばいとカナ切り声になるんです。黒柳さんに「みどりさん泣いてます」と伝えれば、本当に押している(残りの放送時間がない)という事が伝わりました。

寺坂)最後になりますが、宇都宮さんにとって「ザ・ベストテン」とは?

宇都宮)出演者、構成作家から、大道具さんに至るまで、超一流の人たちが集まって普段ならお付き合いができないような人たちとご一緒出来ました。それが僕にとって「一番の幸せ」です。せめてこういう資料を後世に残していく事をしなくてはと思っています。

寺坂)素晴らしいお言葉ありがとうございます。

宇都宮)話は尽きませんがまた聞いてください!

宇都宮さんは、取材場所のテーブルいっぱいに資料を並べて下さいました。しかも、どの宝物も状態が美しいのです。その後「風雲!たけし城」「そこが知りたい」など数々の番組に携われていましたが、捨てられないのは、今でもベストテンを愛されている何よりの証拠だと感じました。いつか「ザ・ベストテン コレクション」を開催していただき、もっと多くの人に、一流の番組制作の極意を伝承していただきたいです。

写真 宇都宮荘太郎さんと寺坂直毅2ショット 黒柳さんの直筆メモと一緒に、記念撮影

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