伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」制作秘話~作家・寺坂が聞いたミラーゲートの裏側~

TBSチャンネル2で再放送中「ザ・ベストテン」を100倍楽しむ為の連載がスタート!

第1回 ザ・ベストテン大好き作家が当時の台本(超貴重)から検証!黒柳&久米の圧倒的司会力

2020年9月9日

「ザ・ベストテンの再放送がスタート!」というニュースが発表された時、体中に電撃が!
昭和を代表する数々の音楽番組のラスボス的存在「ザ・ベストテン」。
その一報は、ベストテン世代だけではなく、歌謡曲を愛する平成生まれの若者達も歓喜したに違いない。

黒柳徹子さんが「私の青春」とおっしゃる「ザ・ベストテン」。それは70年~80年代、木曜9時、テレビの前でスターたちの最高のパフォーマンスを熱中して観ていた人々にとっても、「青春」だったはず。

このコラムを書かせて頂く私にとっては青春ではなく、どこか憧れの存在のような番組、それが「ザ・ベストテン」だ。
私が生まれたのは1980年。番組が幕を閉じたのは1989年だから、多感な時期に見ていた訳ではない。だが、幼稚園の頃から妙に熱中していた事だけは記憶にある。
自分とほぼ大きさの変わらないラジカセを持ち上げてテレビのスピーカーにくっつけて、好きな歌が始まるとカセットテープで録音。しかし父の足音や姉のクシャミが入り失敗…この「ラジカセをテレビにくっつけ録音」は、きっと多くの方に経験があるだろう。

そして遊びといえば、家にあるレゴブロックで、ベストテンのGスタジオを作り、人形を徹子さんや久米さんや聖子ちゃんや明菜ちゃんに見立てて「ひとりベストテンごっこ」。高校生の頃には、紅白歌合戦が好きになり、自分の部屋の勉強机をNHKホールのステージの舞台だと妄想して、装置の模型を作って「ひとり紅白歌合戦」と銘打って遊んでいたのだが、その原因は幼き日に「ザ・ベストテン」の豪華なセットを見た事に起因しているのかもしれない。

「ザ・ベストテン」は、なぜ終了してから30年以上が経った今も愛され、伝説となったのか?
その魅力は、司会、演出、構成、美術、テンポ、歌手のパフォーマンスなど、挙げればきりがない。そして、ザ・ベストテンがいかに特別な番組かを象徴するかのように、この番組には、当時の台本や写真に記念品、スタッフのメモなど、ベストテンファンにはたまらない貴重な資料が残っている。

次回、9月24日(木)21時00分から、昭和アイドル全盛の1982年5月6日の回が再放送されるのだが、この日の台本を拝見した。

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オープニングは『久米「※当日のニュース」』と、特に話す内容の指示もなく司会者におまかせ。黒柳さんと久米さんのあの絶妙なやり取りは、台本やリハーサルもなく行われていたのである!
さらに圧倒されるのはMCのお2人のしゃべりテンポの速さ!番組正味45分間の喋りを文字数にしてみたら今の音楽番組の2倍はあるかもしれない。

さらに、曲紹介のナレーションも『久米「※楽屋情報」』と、非常にざっくり!この台本を受けての中村雅俊さんの曲紹介は「中村さん、どうもここのところ体調が良くないので、何とか今月中に時間を見つけて、人間ドックに入らなきゃあかんなぁとさっき仰ってました。今週第6位です。中村雅俊さん“心の色”」という内容。この時、久米さんにしかできないナレーションに生放送の醍醐味と、中村さんの気持ちが伝わる。

写真3

今回の見どころの一つでもある、小泉今日子さん・三田寛子さんが初登場したスポットライト。
こちらの写真は、ザ・ベストテンの生みの親と言われる、演出・山田修爾さんの指示で、担当ディレクターが毎週放送後に欠かさず書いていたというメモ。

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小泉今日子さんに関してこんなコメントが。
「あまり緊張せず当時から大物の片鱗あり」

写真6

なるほど、納得である。

そして改めて素晴らしいと感じるのは徹子さんの質問の仕方。スポットライトで登場した初出演で緊張する歌手に、通常だと「初めての出演ですが、今どんなお気持ちですか?」と聞くだろう。
しかし徹子さんの聞き方は、「ミラーの後ろで待ってらっしゃるのって、どんなお気持ちでした?」
もちろんこのセリフも台本にはない。より一層気持ちを吐き出せるこの問い。改めて黒柳さんは日本一の司会者だと実感する。

この回は他にも、松田聖子さんのジェットコースター絶叫シーン、1位のマッチなどなど、見どころがたくさん!

今後このコラムでは、ザ・ベストテンの秘話を、当時のスタッフへの取材や、貴重な資料と共に紹介して行きます!

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